ラ・クカラチャ 04

目の前にいる女は、今確かに「自分の産んだ子供だ」と言った。
美味しそうに紅茶を飲む仕草だけを見ていると、育ちの良いお嬢様にしか見えない。
そうだ、今更だけど俺はこの女のことを何も知らない。
知らない癖に勝手に「ラジエル」って愛称までつけた。
よくよく考えると俺って本当に女子との付き合い方わかってない。

「おーい、神。戻ってこーい」

こんこんと、隣りからミツバが笑いながら俺の頭をノックした。
カップを持ったまま固まってる俺を見て、ラジエルは笑いを堪えている。
紅茶はすっかり冷めてしまっていた。改めて口をつけると、冷めているがふわりとやさしい茶葉の味がする。

「あ。美味しい」
「そうだろう。これは“クロト”の仕事じゃ」

ラジエルに再び笑顔が戻った。
そして、机の上にあった煙管をカツカツと二回だけテーブルに打ち付ける。

「お呼びですか、マスター」
「大した用じゃない。お前の紅茶が好評だったものでな。クロト──彼は、妾が産んだ最初の子供じゃ」

今度こそ俺はカップを落としてしまった。
現れたのは俺たちよりも少しばかり年上の、いや、青年だったからだ。
碧色の長髪を後ろで結った、映画で見た執事みたいな格好をしているクロトはにっこりと笑う。

「ああ、用事が出来てしまいましたね。チヨガミ、ほうきとちりとりを下さい」

高そうなカップと、香り高かった紅茶は白い床で潰れてしまった。
クロトという男は、俺のそばでしゃがみこんでその惨状をおっとりと眺めた。

「うーんと、出来れば雑巾も付けてね、チヨガミ」
「ごめん、折角淹れてくれたのに」
「はい。次は気を付けてくださいね」

謝る俺に対して、特に怒った風もなく笑顔のクロトにほっとする。
見上げてくるクロトの顔は穏やかな笑みを、嬉しそうに俺の瞳に向けた。

「貴方の目の色、私の髪の色と似ておりますね。おそろいですね」
「あ、ああ。俺もびっくりした」

碧色の髪色など見たことがない。
おそろい、と同性に言われるのも普通なら嬉しくはないのだろうけれど、クロトの邪気がない笑顔につられて笑んだ。

「……もしこれが貴方がやったことでしたら、私は何が何でも動きませんでしたけどね」
「え」
「こらこらクロトくん、仮定の話に人を巻き込まない!」

クロトは立ち上がると、笑みを一切顔から排除した。冷たい視線の先にはミツバを捉えている。
同じだけ冷えた「貴方」が指すものは明確だった。
美味そうに紅茶を飲んでいるミツバだけを見つめる目は、気持ちが悪いほどに動かない。
間に挟まれてるだけに、余計気まずい。

「えっと…クロト、くん…?」

ミツバにならって一応君付けをして、ひらひらとその眼前に手を振る。
クロトは眉間に皺を寄せて腕を組んだまま視線ごと動かない。
怖い、なんだこの二人。

「おい、客人を怖がらせてんじゃねーぞ、エセギャルソン!」

一触即発の空気を高い声が打ち破る。
そしてその声にも動じなかったクロトが次の瞬間、派手な物音を立てて倒れた。

「ったく、マスターの客人をもてなすどころかビビらせてどうすんだ!おい、聞いてんのかギャル男!」

クロトが倒れた方向に向かって、次に現れたのは女の子だった。
俺はもう手に何も持っていないので、ソファの背もたれにゆったりと頭ごと預けておくことにした。
紅茶を飲み終わったミツバが笑ってカップを机に置いた。

「チヨガミちゃんチヨガミちゃん」
「ミツバじゃねぇか。久々じゃん」
「ギャルソンとギャル男は違うよ?」
「似たようなもんだろ、仕事もしないでチャラチャラしてんだ」

俺は今猛烈に頭が痛い。頭痛が痛いとか言いそうなレベルで痛くなってきた気がする。
チヨガミ、と呼ばれたその女の子は、日本でも見たことがないくらいの純和風美人だった。
濃紺の髪の色や、陶器みたいな白い肌と赤い眼。それだけでも有り余るほどに美しいのに、そこに輪をかけて美しくあれと言わんばかりの着物を着ていた。
なのに、この言葉遣い。
おかげで俺は、近くでぶっ倒れているクロトの惨状を見逃していた。
身体に叩きつけられているちりとり、ほうき。それと何故か頭にはバケツ。
そりゃ声も出せない。俺はまだ出会って間もないクロトにものすごい同情の念を寄せた。

「チヨガミ!なんてことをするんですか、貴女は!」

バケツを取って反論するも意味はなし、止めとばかりにクロトの顔に雑巾がクリーンヒットした。

「注文は一度にまとめて寄越せ。ほうきとちりとりと雑巾、ってな!」
「…客人を怖がらせているのは貴女の方でしょう、チヨガミ!」

言いくるめられてる。どう考えてもチヨガミって子の方が年下だ。
俺の言わんとしたところをラジエルが汲み取った。

「チヨガミはクロトの妹に当たる。妾の次女じゃ。──チヨガミは掃除に。クロトも片付けたら持ち場に戻るように」

ラジエルの言葉が、二人の言い争いをぴたりと止める。
チヨガミの赤い瞳とクロトのグレーの瞳は一瞬火花を散らすと、「申し訳ありませんでした、マスター」と声を揃えてから俺たちに向き直る。

「騒々しくさせて、悪かった」
「どうぞ、ごゆっくりなさって行って下さいませ」

ばつが悪そうなのに横柄なのはもちろんチヨガミで、丁寧に深く頭を下げたのはクロト。
去っていくその後ろ姿は、目の前で座っている彼女よりも年上に見える。
俺は全ての謎にただ閉口させられるばかりで、出来たことはといえば二人を見送るあまやかな視線の元を辿ることだけだった。
紅茶の香りのため息をこぼして、ラジエルは幸せそうに彼らを見送っていた。

その視線から溶けた謎はひとつだけど、俺を十分に納得させる力があった。
ああ、本当にこの人は「母親」なのだ、と。