ラ・クカラチャ 05

紅茶の香りが部屋を支配しきれなくなった頃、次に空間を騒がせたのは二人の嬌声だった。
先程、自分たちを迎えに来た「パピヨン」と呼ばれる女の子と、床に転んで笑うもう一人の幼児。

「ラジエル」

俺の呟きをこくり、とその美しい顎で掬い取って、彼女は説明を続けた。

「先程迎えに寄越したパピヨンは、長女じゃ。見えんかもしれんが、チヨガミの姉になる。
そこで遊んでる肌の浅黒いのは二男。アンバーという。つい先日、産んだばかりでの」
「産んだ…ばかり?」

ラジエルはそこで少しばかり困った表情で、煙管に火をつけた。
甘い煙がふわりと漂う。パピヨンとアンバーは、白い床でもつれ合うように転がっていた。
褐色の肌、琥珀色の瞳。黒い髪がふわふわと踊っている。ふいにその琥珀色は俺と目があった。

「あー、くろー、くろー?」

目を指さす小さな手。舌足らずだけれども、俺の瞳に誰かを認識しているのは明らかだ。

「違いますよ。あちらはラファエル様。クロトさんはダイニングに戻られました」
「ふふ、ぱー」
「はいはい。頑張って磨きましょうね」

俺の碧眼が、クロトと同じだということだ。
そして、チヨガミよりも大人な振る舞いの少女のパピヨン。
全部は、語ってくれないと思った。
俺は客なのだろうけど、どういう立場の客なのか今ひとつ自分でも掴めていない。
一晩の愉悦を楽しんでいるわけではない。それどころか彼女には指ひとつ触れてない。ひとつのソファを共にした仲だけど。
ラジエルが客として俺を扱っているかも怪しい。
この流れを聞いて動じないミツバなんかもう、本当に何なんだろう。ああもう、やっぱりこいつ、変だ。

「…驚いたろう?」
「そりゃあ、まぁ…」

煙草の灰を落としながらラジエルは笑う。
もうどこから何を聞けばいいのかすら俺はわからなくて、語尾を濁すともう何も言うことが無くなってしまった。
静かにしていたミツバが立ち上がる。

「──あ、俺、行くわ。親父に呼ばれてる」
「呼ばれてる…って何だお前それ」

ミツバの手首に巻いてある銀の細い鎖のブレスレットが、ミツバのごつい手首を締め付けていく。

「家族間連絡網その一!という感じ?」
「呼ばれているって…何処にいるかわかるのかよ」
「これが引っ張って連れてってくれるから大丈夫。あっ、お前にもやったろ。次はちゃんとして来い!」

ミツバの手が、誰かに引っ張られるようにしている。
ラジエルが早く行け、と苦笑した。

「お前の御父上に、またのお越しをラ・クカラチャが心待ちにして居ると伝えてくれ」

はいはいっと、軽い返事をするとミツバはブレスレットのついた腕に身を任せて動き出す。
また明日迎えに来る、と一言残して。

「となると明日は店を開けねばならぬか…面倒じゃのう…」

はぁ、とラジエルは去ってゆくミツバを見送りながら溜息をついた。
掃除が終わるかどうか、と首を左右に振る姿は、美しい。
四人も子供を産んだ女には見えない。

「ラジエル、ほんとは幾つなんだ?」

ここの人間が、日本にいる、俺たちの世界にいる人間と同じなのであればラジエルはそれなりの年になるはずだ。
それに、「長女はパピヨンで次女がチヨガミ」ということ。何がどういうことなのか分からず、間抜けにもそれが口をついて出た。

「─妾は、二十歳じゃ」

年上であることはもはや不自然じゃない。黒いドレープを伸ばして頭に被る仕草は逆に幼いけれど。
答えるのが嫌なら別に答えなくてもいい、そう言おうとした。

「十六の頃から、ここで───気紛れに遊んでおる」
「気紛れって…」
「享楽な店の顔は見せかけじゃ。本当は嘘と欺瞞で出来ている店。妾の力を信じた者が夢を現実にしたくて、妾がその手助けをする」
「───夢?」

黒いドレープに隠れた顔が頷いたように動いた。

「ラファエル、お主には夢があるか?」

十八やそこらでそんなもの、決まらない。
大体夢って何だろう。仕事に関することなのか?
でも、ぼんやりとだけ思うことがある。

「夢っていうか、ずっと先だけど…いつか、お嫁さんをもらったり、子供を育てたりすることがあるのかなって思うことは、あるよ」

また、ラジエルは頷いて、今度はフードが取れた。顔が見えて、ほっとした。決して良い表情ではないけれども。

「そうじゃろう、な」

艶やかなラジエルの口元が、寂しさを押し殺しているのが俺にも解った。

「クロトは十六の時に産んだ。パピヨンは十八だったな。チヨガミは八か月前。アンバーは…お主が来る一週間前に産んだ。
四人以外にも、十人近くは産んだかの。あれらは…それぞれ事情があって、ここにおる。
本来は親元に還すものなのじゃよ。──妾の本当の仕事は、代理出産をすることじゃ」

十六で生まれたクロトは今は四歳児のはずだ。パピヨンなら二歳児で、チヨガミやアンバーは乳児で。
知能や身体の成長の説明はつかない。
そもそも、数か月で身体に子供を宿すなんて出来るのか。
わからない、わからないことばかりになっていく。
装飾の施されたテーブルの上に乗った。腕を伸ばした。

「ラジエル…」

彼女に触れたいと思ったのがいちばん分からないことだった。
俺は最低だって思った。
思わず、彼女の黒いドレープを濡らしていた。美しく黒く歪んでゆく視界。
細い細い肩。どうして、どうしてこんなことしてしまうんだろう。

「辛くなどないぞ。そうせねば、生きてゆけぬだけだっただけのこと。安心するがいい。優しいな、ラファエル」

子供をあやすようにして俺の髪を梳く。ラジエルの声が直に俺の耳に届いた。
俺は、止まらない涙をどうしていいかわからなかった。
言い切れるのは、同情、じゃない。

「身体、は、平気なのか」
「妾は特別なのじゃ」
「笑うなよ」
「すまんな。妾は本当に、特別、なのじゃよ。そういう意味では、ある意味決して寂しくもないし孤独でもないのじゃ」

だから今まで生きてこられた。
幸せそうに、俺の頭の横でラジエルは笑った。

「泣いてくれたのは、お前が初めてじゃ」

ぼうっと熱い頭を持ち上げると、ラジエルがその小さい顔をまっすぐに俺に向けた。

「ありがとう。ラファエル」

歪んだ視界に映るラジエルは、最初に会った時よりずっとずっと綺麗だった。
キスをしたら生き返るとかいう話の童話の姫みたいだな、なんて思って見つめる。
困った顔したラジエルが、俺のネクタイを引っ張る。
その林檎みたいに赤い唇は、毒なんか塗ってなかったのに、俺は何度も夢中になって求め続けた。