君を誘う物語 02

ちなみに、深海を拉致した男は、別に某国の特殊工作員でもなかったし、営利目的の誘拐を企む犯罪者でもなかった。
確かに方法を完全に間違っている彼は、そもそも横暴にして唯一の上司に無理難題を吹っかけられて途方に暮れた末の暴挙だったのである。
だから彼は、これからこの少女を説得だか泣き落としだか、ありとあらゆる手段を使っても丸め込まなければならなかったのだ。
彼はまだ少女が『深海』という名前であるということを知らなかったが、少しでもこの少女がテンペランティアを気に入ってくれれば、多少は話が早くなるかとも思ったのに。

「てんぺらんてぃあ?」

頭の悪そうな反応で呟き返した深海に、男は深々と頷く。
大抵、日本からこっちに来た者は自分達の生活や文化、世界観の違いに過剰な反応をかえすのだ。
それを、もったいつけて説明するのは、テンペランティアを知る日本人に取っては中々の娯楽になる。
だから男の身振り手振りなんかも自然と大袈裟になっていたというのに、深海はそれをさらりと返した。

「まあいいや。テンペランティアだかテンプテーションだか知らないけど、ラチごっこが終わったなら帰ってもいーい?」

至って普通に、深海は男を見上げる。
驚いてるようには見えない非常にマイペースな様子に、無駄に張り切っている男ははっきり言って肩透かしを食らった。

「少女Aよ、君はこの素晴らしい世界にたいして他に反応は無いのかね?」
「誘拐犯Bよ、君は無断で人をラチっておいて他に口にする言葉はないのかね?」

もうちょっと人目を憚らないと完全犯罪にはならないんじゃない?と。
男にしてみれば大変な皮肉を、深海は軽く言ってのけた。
しかも何だか暢気に鞄を漁ってペットボトルのお茶なぞ口にしながら。
あまつさえ携帯電話を取り出して、ぴっぽっぱっと電話までしだしている。

「あ、おばあちゃん?深海だけどね、ちょっと今日帰るの遅くなるかも知れないの。だから一応連絡。うん、9時とか過ぎるようならまた電話するから。じゃあまたー。」

別に相手が見える訳でも無いのにひらひらと手を降るのは、もしかしたら少女の特性なのかも知れない。
だが、見かけよりもしっかりしているらしい少女Aこと、佐藤深海は、ぱたりと携帯電話を鞄にしまうと腕時計で時間を確認し、男に向き直って踏ん反り返り、更には小さめの身長に無駄な努力を強いて腕を組んで偉そうに見せると、自分の眼の前の誘拐犯Zにのほほんと言ってのけたのだ。

「さてお兄さん。貴方に残された時間はあと三時間くらいです。それまでに、ラチの動機を話すか今すぐ私をラチゲンバに戻しなさい。9時を過ぎたらおばあちゃんが警察に連絡しちゃいますからね。」

何となく、男は頭を抱えたくなった。
まあ、騒がれても困るのだが、何とも扱い辛い反応である。
だが、とりあえず話を進めないと自分の命が危ないのだ。
男は手始めに道端の花壇に腰をおろすと、ぺしぺしとその横を叩いて深海に座るように促した。
普通なら、深海は警戒すべきであるし、そもそも逃げ出すことを第一に考えるべきなのだが、深海は躊躇うことなく男の隣に腰を下ろす。

「実はですねぇ、僕にはやむにやまれぬ事情があって、テンペランティアに女の子を連れてくる必要があったのですよ。」
「事情?」
「そう。僕の変わりに、僕の仕事を引き継いでほしくてねぇ…。君、バイト探してたんでしょう?」
「そりゃあ、バイトは探してたけど。どうしてお兄さんの仕事を私が引き継ぐの?」

首をかしげて男の顔を見上げれば、男は胡散臭さ極まりないマントの中からフリルに縁取られたハンカチを取り出してさめざめと顔を覆う。
多分泣きまねだろうなぁ、と。
深海は鞄の中からまたペットボトルのお茶を取り出すと、また一口それを含んだ。

「だってさ、俺みたいな男に、メイド服を着ろって言ってくるんだ。店主が。」
「メイド服?いいじゃん、可愛くて。」
「――お前、俺のメイド服姿を見ても同じこといえるか?」

男はいかにも悲痛そうな表情になったが、実際八割程は演技ではなく素の表情だったのだろう。
深海は真面目に男のメイド服姿を想像してみたが、頭の中に現れたのは、深海の世界の首都の一部で話題になっているカフェとしてCMで見たことがある白と黒を基調としたドレス紛いの支給服に紫のマントを羽織った男の姿だった。
顔が見えないのだから仕方がない。

「いっそ紫頭巾ちゃんメイドバージョンとして売りに出したら?100人中0.5人くらいは指名してくれるかもよ?」
「お前も店長と同じ人種かよっ!」

ぽむ、と。
諦めろ、と言わんばかりに肩に置かれた手に、男は地面にのめり込みそうになる身体を鼓舞するように天に向かって叫び、そして立ち上がった。

「わっ!びっくりした。」

深海は驚いて手を引っ込めたが、男は構おうとはしなかった。
立ち上がり、ごそごそと懐を漁ると、二枚の小さな紙を深海の前に突き出した。

「なぁに?コレ?」
「そんな訳だ、俺はこのまま逃げる。後を頼んだ。」
「えー、何その放置プレイ。人をラチしといて無責任だなぁ。」
「いやいや、ラチのジッコウハンだからこそよ?下っ端は後はラスボスに任せるモンよ。」
「そーゆーもの?」

ぼやいて、深海はその紙を受け取った。
眼を落とせば、一枚には「探さないで下さい」と書かれており、もう一枚には何だか長ったらしい名前が書いてある。
一枚目を見た時点で、何だか子供の家出みたいだなぁと思ったが、その感想が言語かする前に、男は脱兎の如く走り出した。

「それじゃあな!少女Aよ!後は頼んだ!」
「あっ!待って、誘拐犯B!」
「日本への帰り方なら店主も知ってんからーっ!」

端から見たら随分とおかしな二人に見えただろう。
深海は豆の様に小さくなっていく男の背中が人込みに消えるまで見ていた筈だったが、一瞬だった。
結局、右も左もわからないまま置いて行かれた深海は、その店主とやらに会わざるを得なくなってしまった。
帰り道が分からないのだから仕方が無い。

「まぁ、人生諦めが肝心、ということで。いや、毒食らわば酒まで?」

呟いてから、深海はお茶のペットボトルを足元に置き、鞄を漁ってから携帯電話を取り出してぱかりとメインディスプレイを開いた。
その左上の隅の表示を見て、ひっそりと溜息を着いた。
『圏外』という文字が、深海を少しだけ不安にさせる。
否、本当は少しなんてものじゃないのだけど。
先程のは、完璧に電話をしているフリだ。
いくらマイペースで呑気な深海でも、それくらいの牽制は出来る。
男は騙されてくれたようだが、こちらから向こうに連絡する手段も無ければ、圏外だと向こうからかけても繋がらない。
誘拐、拉致、失踪、蒸発、行方不明。
不穏な単語が頭を過ぎっては消えていったが、とりあえず開いた時と逆の動作で再び携帯電話をしまうと、深海はぽつりと呟いた。

「神隠しって、こうして起こるんだねぇ…。」