君を誘う物語 03

「別に、帰れるんだし、神隠しにはならないわよ。」

泣きそうに、とまではいかなかったが、誘拐犯とはいえ、知らない場所で話し相手がいなくなったことに不安を覚えていた深海は、答える相手などいないと思って呟いた言葉に応えた声が鼓膜を叩いて、深海は慌てて顔を上げた。
いつの間にきたのか、深海の真ん前にはやたらと背の高いスレンダーな美人が仁王立ちで構えていた。
さらさらと背中の真ん中辺りまで揺れる髪、これぞマイクロミニ、と主張しているくらい短いスカート。
座っている深海の角度からだと秘境が覗けそうだ。

「お兄さん、見えちゃいそうだよ?中。」

だが、深海はその程度で怯む性格ではなかった。
誰がみても女にしか見えない相手に向かって、深海は平然と「お兄さん」と言い切る。
相手は僅かに驚いたようだったが、直ぐににっこりと笑って深海の隣に腰を下ろした。

「お嬢ちゃん、どうして私が男だって思ったの?」

いかにも女らしい口調で問い掛けて来るのは、見破られたことに対する腹いせなのか、それとも深海の自信を打ち砕こうとしているのか。
だが、帰ってきた言葉は全く関係ない答えだった。

「はい。」
「何これ?」
「ブレザー。このまま座ったら道行く人々に出血大サービスだよ?いいの?」

無造作に突き出されたのは、たった今まで深海が着ていたブレザーで。
つまり、足にかけろということなのだろう。

「あなただって短いじゃないの。見えるわよ。」
「見えないよ。スパッツ履いてるもん。抜かりはありません!」

きゃらきゃら笑った顔が、いかにも可愛いらしいものであったから、お兄さんだかお姉さんだか分からない美人も、うっかりつられて微笑んでしまった。
ついでにブレザーを受け取って、有り難く膝にかけさせて貰う。
別に見られたところで今更気にもならないが、自分に対するその気遣いが、単純に嬉しかった。

「お兄さん、ロルベールさん?」
「ロルでいいわよ。てコトは、貴女がうちのバカに拉致されちゃった子?」

ロルベールの言葉に、深海は少しだけ視線をさ迷わせてから答える。

「ロルが言ってる『うちのバカ』っていうのが、紫のマントをフードまで被った、男なのにメイド服でお店の切り盛りを任されそうになるって危機に曝されてるって人のことなら、そうなるかな?」

まあ、この状況的には、間違っている可能性の方が低いのだけれど。
深海の言葉に、ロルベールは一度だけそっぽを向き、苦々しい表情で舌打ちをした。
つい数十分前、件の従業員から唐突にメッセージが来たのだ。
いわく、俺よりメイド服の似合いそうな子を向こうから拉致ってきたので、俺はお役御免ということで。
後はテンチョーが丸め込んで下さい、と。
全く、何を考えているのか。
メイド服が嫌なら向こうの世界の『メイド喫茶』なるものの話しなどしなければよかったのだ。
だが、頭の中とは反対に、深海に向き直った時には、ロルベールはとろけるような微笑を浮かべていた。

「ねぇ、名前なんて言うの?」
「佐藤深海です。」
「サトーちゃん?変わった名前ね?私はロルベールよ。ロルベール・リス・ガレヴィー。ロルって呼んで頂戴。」
「ロル?分かった。ロル、私、『佐藤』が珍しいって言われたのは初めてだよ。一般的な名前だと思ってたけど、実は違ったのかな?」
「さぁ、日本のことは、偏ったことしか分からないから。でも、名前を付けるのは親の特権だもの。一般的だろうが一般的じゃなかろうが、子供にはどうしようもない領域よね。サトーちゃんも自分の子供には是非嫌がりそうな名前を付けるのよ?」

うふふふふ、と。
微笑むロルベールの顔はとても綺麗なのに、言ってることは何だかえげつないなぁ、と。
深海は思ったが、思っただけでそれを口に出したりはしなかった。
したら最後、同じ微笑みを浮かべながらこのテンペランティアとやらに放り出されそうだったから。

「悪かったわねぇ。家のバカに常識が無いばっかりに、災難に遭っちゃって。」

深海の勘が働いたのか、それとも最初からロルベールにそんなつもりはなかったのか、ロルベールは余り悪いとは思っていなさそうな表情を曖昧な笑みの形に変えた。
悪びれた様子が無いのはどうかとも思うが、それでも予想外の事態なんだな、ということはしっかりと認識した深海は、少し表情から力を抜く。

「別に、ロルのせいじゃないから、きっちり向こうに帰してくれるなら、何でもいいよ。」
「え~?サトーちゃん可愛いから、帰したくないなぁ…。つーか、もうこの際うちでメイド喫茶しようよ。」

どうやらこのお兄さんは、女装といい、ちょっと変わった趣味らしい、と。
今日び世の中に〇〇喫茶と名のつくモノがどの程度浸透しているのか理解していない深海は、少し考えてから、考えあぐねたように首を傾げて、伺うようにしてロルベールを見上げた。

「ご主人様、深海を向こうに帰して?」

フツーにお願いしても駄目なら、相手の好みに合わせてお願いすれば、あるいはあっさり聞き届けてくれるかもしれない、と。
マイペースな思考回路はそういう解答を弾き出したのだが、どう考えてもそれは間違った選択だった。

「はうんっ!何この子何この子何この子ーっ!」
「何って、ごく一般的な高校生なんだけど…」

どうやらロルベールのスイッチを入れてしまったらしい。
祈るように両手を胸に組んで身悶える男の姿を、深海は困ったように見つめていた。
人の趣味をとやかく言うような性格ではないが、今回ばっかりは相手が女装の似合う人でよかったと思う。

「ロル、お願いだから私をもとの場所に帰してよ。」
「あら、心配しなくてもあの門を潜れば向こう側よ?」

何だか会話が噛み合わないなぁ、と思いそうになる直前で、ほとんど独り言のように呟いた深海の声に、ロルベールはあっさりと答える。

「――ほんと?」
「ほんと。」

ロルベールが指をさした先には、テンペランティアでは『ゲート』と呼ばれている、二つの世界を繋ぐ門がそびえている。
門の向こうに続く景色はテンペランティアの町並みそのものだったので、深海は小さく首を傾げてみたが、だが、思えば向こうからこちらに来たときも、全く持って普通の電柱と壁の間をくるっと廻りながら通過しただけだったはずだ、と、思い直した。
まあ、仕方がない。
帰り道に関しては、後でくぐってみるより他は無いのだ。

「それよりサトーちゃん。本当にうちのお店に来ない?給料弾むわよー?」

にこにこにっこり。
スレンダーな美人は、うふふふふ、と笑いながら続けた。
もちろん、深海としてもその言葉には無関心を装うことが出来ない。
何しろ、自分はバイトをことごとく断られている身だ。

「――私、高校行ってるから。そんなにいっぱいは働けないよ?」
「いいのいいの。好きなときに来て店番してくれれば。どうせ今だって私の好きなときしか店やってないもん。」
「それでお店が成立してるの…?」

とても不審なものを見るような目で、深海はロルベールを見たが、彼は全く動じなかった。
何でも、道楽ではじめた店が、ロルベールが予想していたよりもはるかに需要があるらしく、一年の半分以上閉めているにもかかわらず、客足は変わらないらしい。
時々店を開けば、「なんで閉めてばかりなんだ」と文句を言われ、元来のロルベールの性格もあいまって、そういわれると余計に開けたくなくなる、ということらしい。
何だこの駄目店主、と。
思わなくも無かったが、そもそもがそういうスタンスの店であるから、ロルベールに言わせると、深海は好きなときに来て、好きな間だけ店を開けといてくれればいいということらしいのだ。
店は今よりも開店率が上がっていればそれでいいのであって、別に接客態度を求めてはいないらしい。
それは、仕事経験のない深海にとっては確かに重要事項であったが、それくらい破各な待遇であっても、深海は渋った。
当たり前だ。だって、制服がメイド服では、誰だって二の足を踏む。

「――でも、メイド服は似合わないもん。もっと可愛い娘をラチってくれば良かったのよ。」
「あらぁ、サトーちゃんは可愛いわよ?」
「ロルの目は多分、節穴なんだよ。」

深海は真新しい制服のスカートの裾を摘む。
何だかちんちくりんだぁ、というのが、これを来て鏡の前に立ったときの深海の感想だった。
別に気にしているわけでもないけれど、不意に視線を逸らして制服を弄び始めた深海を、ロルベールはがしっとその頬を両手で挟んで自分の方に向かせた。

「ふぎっ!りょるーーーっ!」

むにむにと、顔を挟んだ両手を動かせば、深海の顔が崩れる崩れる。
何なんだと思いながらも、こみ上げる笑いを抑えきれずに相手の名前を呼べば、ロルベールは実に楽しそうに笑って深海の顔から手を離した。

「ねえ、サトーちゃん。ちょっと『にゃあ』って鳴いてみてよ。」
「??にゃあ?」
「いやん!本当に鳴いたわ!何この子何この子何この子ーっ!かーわーいーいーーっ!」

もう採用決定よっ!と。
自分を抱きしめて感激するロルベールに、深海は思った。
そうか、ロルの「可愛い」はつまり、「変」って事なんだ、と。
そしてぎゅうぎゅう締め付けてくる真っ平らな胸の中で、一つ小さくため息を吐いてから呟いた。

「人生諦めが肝心?」