君を誘う物語 06

 うっかり余計な一言を言ったがために、金髪碧眼のおにーさんに結んだ髪の毛を引っこ抜かれそうになった深海は、どうにかこうにかその魔の手から抜け出すと、適度な距離を保ってから振り返り盛大に手を振った。
 無論、水稚は手を振り替えしたりしなかったが、別に深海もそれくらい気にはしない。
彼女が気にしたのは、うっかり水稚に近づいたときに置いてきてしまった自分の鞄のほうだった。
 別に、取られたところで取ったものの利益になるようなものは入っていないが、学生たる自分にとって教科書が取られるのはかなりの痛手だ。
というより、教科書自体は取られても痛くも痒くも無いのだが、それを買いなおさなくてはならなくなるだろうから、その出費が痛手になってしまう。
というわけで、深海はインラインスケートを勢い良く踏み出して、20メートルしかない鞄に向かって走ったが、そこには既に二人の子供が群がっていた。


「ムーミア!手伝ってくれ!この鞄恐ろしく重い!!」
「え?これが?」
「そうじゃ!持ち上がらない!!」


 必死になって鞄を持ち上げようとしている少年を、少女が鞄と交互に見つめている。
 それほど重さがあるように見えないため、少女には少年が一人パントマイムをやっているようにも見える。
 だが、とりあえず言われたとおりに少年の手に自分の手を添えて、同じ様に鞄を持ち上げようとした少女は、すぐに少年が嘘を言っているわけではないことを知った。


「持ち上がらない…。」
「まあ、ちょっと重いからねぇ。少年少女にはちょっと厳しいかもねぇ。」


 少女が茫然と呟けば、別の少女の声が頭から降りかかってきた。
慌てて振り返った二人の子供は、まず視界に入ってきたもさもさのフリルに一瞬固まった。


「というわけで、そこな少年少女。その鞄は私の何だけど、返してはくれんかね?」


 深海は平均的な女子高校生よりも背が低い。
しかし、インラインスケートを装備した上で10歳前後の子供との比較であれば、それもう比べるまでもないだろう。
 子供達の位置からではギリギリのラインで、深海はメイド服のスカートをぽよぽよと揺らしながら声をかけた。
 そして、深海の声に振り返った少年少女の反応は、対称的なもので。


「少年少女とは何じゃ!儂にはマルという名前があるというに!」
「わあ、ひらひらだ!」


 方や少年は深海の声に不満をあらわにし、方や少女はぱぁっと表情を輝かせている。
どちらの方から反応したものかと少しだけ考えてから、深海はとりあえず順番に答えてみた。


「じゃあマルっと少年。そこの荷物は私のだから、返してもらっていいかね?そして少女よ。君は見かけに騙されないように気をつけたまえ。」
「何がマルっと少年じゃ!」
「お姉さん、見かけで騙してるの?」
「別に騙してないけど。そんなにひらひらが珍しいかな?」
「別に珍しくないけど。でも可愛いから。」
「こら!ムーミア!儂を無視するな!」
「私はマルっと少年少女の方が可愛いと思うけどなぁ…。」


 素敵にマルと名乗った少年を無視して深海がスカートの裾をちょいちょい摘んでみれば、ムーミアと呼ばれた少女は『きゃあ!』と可愛らしげな声を上げる。


「中見えちゃうよ?!」
「スパッツ履いてるから大丈夫。」
「そういう問題じゃないんだから!お姉さん女の子でしょ?」
「マルっと少年。君の妹さんは私よりもずっと女の子なんだね?」


 怒られちゃった、と。
深海は完全に自分を無視されて進んでいく会話に、頭から湯気を上らせているマルを見下ろして呟く。


「ムーミアが女の子なのは見れば分かるだろう!それに儂の名前は『マルっと少年』ではなくて、マルじゃマル!ムーミアも妹ではないわ!ムーミア、お前も呑気に話してないで仕事じゃ!」


 見下ろされたマルは真っ赤になって言い返してくる。
とばっちりを受けたムーミアが慌てて憧れモードからお仕事モードに切り替えて深海を見上げてきた。


「お姉さん、この鞄はお姉さんのなの?」
「うん、私の。盗られてなくてよかった。」
「そうか、じゃあ話が早いな。そこな娘、早く礼を三割出すがいい。」
「そこな娘って…まあもしかしなくても私か。」


 ひょいっと小さなもみじのようなマルの手が伸びてくる。
勿論それは、謝礼を要求している手なのだが、深海はさらりと目の前の誘惑に負けた。


「ちょうぷにぷにしてる。」


 深海はその場にしゃがみ込み、つんつんとマルの手の平を指先でつつき始めたのだ。
まるで話を聞いていない深海の反応に、マルのこめかみがひくつく。


「ねえ、ムーミンちゃん。ムーミンちゃんも触ってみる?」
「お姉さん。ムーミンじゃなくてムーミアね。」
「そっかそっか、ごめんね。で、ムーミンちゃんも触ってみるかい?マルっと少年ってば名前のとおりマルマルしてるのかな?餅みたい。」
「お姉さん。ムーミアね。マルは別にマルって名前じゃなくても気持ちいいんだよ。」
「お前達、いい加減にせい!」


 こめかみの痙攣を青筋に切り替えたマルはがーっと擬音語が聞こえそうな勢いで怒鳴ったが、深海はきゃらきゃらと笑ってちっとも怖がる様子がない。
しかもそれに加えてムーミアまでが笑い出してしまったものだから、マルとしてはなんともやりづらい気分になりながらこぶしを握った。
 これでは慰謝料も含めて一割上乗せでぶん取ってやろうと心に決めたところで、深海がゆるりと立ち上がる。
 年齢差を考えれば身長差などあって当たり前なものだが、マルは何となく見下ろされるその状況が、酷く気に入らなかった。


「で、マルっと少年とムーミンちゃんは落し物拾ったっていうけど、それは私が置いといたやつだよ?落し物じゃないよ?」


 しかも深海は申し訳無さそうな顔を浮かべつつも謝礼を渡すことを拒んできているときた。
もともとそれほど長いわけでもない導火線がじりじりと更に短くなっていくのも無理はないだろう。
「だから!儂等の名前は!マルと!ムーミアじゃ!」と、しっかり訂正をしてから、マルはしたり顔で応えた。


「そんなこと、儂等が知るわけが無かろう。此処は物置じゃないしな。じゃから儂等はお前の荷物を『拾った』。拾った以上、落とし主であるお前が拾い主である儂等に三割の礼を支払うのは、決まり事ではないか!ほかならぬお前達ニホンジンが決めたな!」
「むー…そういわれると、そうだけど…」
「マルすごーい!」


 これでどうだ!と、言わんばかりにビシリと人差し指を突きつけられて、深海は思わず唸ってしまった。
その隣では、未だかつてないほど真剣に自分達のルールを突きつけたマルに対し、ムーミアがぱちぱちと拍手を送っている。
 これで謝礼は確定だな、と。


「しかし、なんなんじゃこの鞄は!」
「何って、普通の鞄だけど…少年少女よ、これはタネも仕掛けも無いぞよ。」


 何処もおかしいところなど無い。
少なくとも、深海はそう思っている。
だが、『持ち上がらない鞄』を実体験したマルとムーミアはとても深海の言葉を鵜呑みには出来なかったし、深海は深海で常に持ち歩いている鞄なのだから、それほど変なものとも思っていなかった。


「ちょっと厳しいで済むような重さじゃなかろう?!」


 さすがにマルも『少年少女』以外の場所に食いついたが、深海はちょっと笑っただけで自分の鞄に手を伸ばした。
そして、ひょいっと。


「「あっ!!」」


目の前で起こった事実が信じられなくて、マルとムーミアは同時に間の抜けた声を上げる。
深海は本当に普通の鞄を持つ程度の動作で、自分の鞄を持ち上げたのだ。


「ね?」


 にっこりと笑いかけてくるメイドに、何が『ね?』なのかも、『ね?』だけで済ませるような事態でもないと、どれだけ突っ込みたい衝動に駆られたことか。
 しかしそのときは突っ込むことさえ忘れて茫然としてしまっていた。


「まあまあ、固まってないで。落し物云々の三割はともかく、ちょっと聞きたいことがあるから、それに応えてくれたらちゃんとお礼するよ?」


 深海はそういうと、少し大通りの脇によって、ちょこんと腰を下ろす。
まだ茫然自失の状態から抜け出せていないマルの手を、それより少しだけ早く我に返ったムーミアが引っ張った。


「マル、大丈夫?」
「――ムーミア。あの鞄、何かとんでもないスタンプとか押してるのかも…。」


 だとすれば、盗難防止のスタンプかな、と。
マルより少しだけ柔軟な感性を持つムーミアは、呑気にそんなことを考えながらマルの手を引いて深海に近づいていく。
「おねーさん、その中、何が入ってるの?」と、ごく素直にムーミアが聞けば、深海は「んー?」と間の抜けたような声を出しながら、種明かしでもするかのように、無造作に鞄のファスナーを開いて中身を取り出し始める。
 最初に出てきたのは、服だった。
ブレザーにスカートにタートルネックのシャツ、それに細長いリボン。
あろうことか、ローファーまで。


「あのね、聞きたいことがあるの。」
「「――……。」」


 次に出てきたのは、本だった。
教科書にノート。いずれも4~5冊ずつある。無論、ペンケースもあれば、分厚い辞書も。
マルとムーミアにはよく意味が分からなかったが、それには英和辞書と古語辞典と書かれている。


「マルっと少年とムーミンちゃんはこっちの人なんだよね?」
「「――……。」」


そして更にお弁当箱、ウォークマン、枕に出来そうな厚みを持った文庫本、ポーチ、財布に携帯、定期。


「ロルベールのお店って知ってるかな?」
「「――……。」」


 そこに行きたいんだけど、場所がさっぱり分からないの、と。
一人続ける深海は、最後に中身が尋常じゃない色をした液体が詰まっているペットボトルと半分空いたプレッツェル菓子の箱、更に大袋に入った一口チョコレートの袋を取り出して、ようやく顔を上げた。
 が、マルとムーミアからしてみればそれどころではない。
とてもスクールバッグ一つに納まるはずが無い容量の荷物が次々と出されるのを目の当たりにして、二人は言葉を失っていた。
だが、ようやく顔を上げた深海は2人が固まっている理由を他のものと勘違いしたらしい。


「ああ、私ね。梱包とか得意なの。」
「お前、まさかその一言で済ますつもりじゃなかろうな!?」
「本当なら、お姉さんの梱包術は梱包スタンプよりずっと高性能だね。」
「スタンプ?」


 正真正銘テンペランティアは初心者の深海は、此方で最もポピュラーな『スタンプ』の存在を知らない。
 だから素直に首をかしげて、だけど別にそれほど興味があるわけでもなかったから、深海はそのままマルとムーミアにそれぞれペットボトルとチョコレートを差し出した。


「それより、君達はロルのお店って知ってるかな?何か情報教えてくれたら、これあげてもいいんだけど…」


 まあ好みもあるだろうから、とりあえず一つ食べてみてよ、と。
深海に差し出されたチョコレートを、マルとムーミアは一つずつ口に放り込んだ。
 その、甘くて蕩ける幸せに、思わず表情が緩む。


「美味じゃな!」
「うん、凄く美味しい!」


 日本側ではチョコレートはメジャーなお菓子であるが、テンペランティアに住むマルとムーミアにはあまりなじみがなかったらしい。
 感激している子供を見ながら深海も一つそれを口に放り込むと、マルはペットボトルの方にも興味を示してきた。


「して、娘。こっちは何だ?」


 何だかドス黒い、だけど何処か濁ったような色の、しかもしゅわしゅわとボトルの中であわ立っている奇妙な液体に、マルは釘付けだ。
 ムーミアは何だか気味悪そうに眉を寄せたが、それが何かはやはり気になるようで、マルの傍らから覗き込んでいる。


「ああ、これはね、メロンコーラ。コーラにメロンソーダが混ざってるの。多分だけど。」


 朝学校に持っていったときはコーラだったのに、帰るときには何故か量が増えてて色が変わってたんだよね、ミステリー?と。
 深海はからから笑ったが、マルはそんな反応を全部待ってはいなかった。


「何?それじゃあこれがニホンでは美味で有名な飲み物なのだな!?ちょっと飲ませてくれ!」
「別にいいけど、それじゃあ先に私の質問にも応えてもらっていいかね?」


 あまりメロンコーラが好きでは無い深海にとっては、何処がどうなって美味で有名なのか、甚だ疑問なところである。
 しかし、今はメロンコーラの味が云々よりも、ロルベールの店を突き止めるほうが深海にとっては優先順位が上なのだ。


「で、少年少女よ、君達はロルのお店は知っておるかい?」
「「知らない!」」


 だが、いかにも可愛らしく深海を見上げてくる二人の子供は、声を揃えて応える。
まあ、そんなところだろうな、と。
残念といえば残念であるが、深海としては苦笑が滲んだ程度だ。
 というより、深海は呑気な様でいても奇妙に現実主義な面があるから、こんなにとんとん拍子に行くはずが無いと思っているのだ。
 その癖、とんとん拍子に進んだなら、それはそれでそんな物かと受け入れてしまうような性格であるから、だから深海はその後に続いたマルとムーミアの会話にも別段驚きはしなかった。


「でもマル。確か、インクが無くなったスタンプでも引き取ってくれる装備屋さん?があるって聞いたことあるよね。」
「おお!そういえばそんな話もあったな!確かヨロズ屋?だったような…。ん?質屋?だったか?」
「古本屋?って言ってたような気もするけど…。でも、その店長さんの名前が、おねーさんのいうロールケーキ?あ、違った、えーっと、ローリングさん?がやってるって聞いたような気がする。」
「ロルベールね、ムーミンちゃん。」
「うん。ムーミアね、おねーさん。」


 うふふふふ、あはははは、と。
ムーミアの笑顔に、マルはちょっと背筋が寒くなるような気がした。
 いつも可愛らしい眼をくりくりさせて笑うムーミアが、怖いと思ったのは初めてだ。
だが、ムーミアがマルをどう見ているかは別として、マルとしては年下の、しかも女の子に気圧されるわけには行かない。


「ロルベールでもローリングでもロールケーキでもかまわん!もうよいじゃろ、娘。さっさと礼を渡せい!」


 メロンコーラ、メロンコーラ!と、騒ぎ立てるマルに、微笑みあっていた少女達はふいに小さく肩をすくめた。
 ムーミアとしては、あの凄まじい色をした液体がそこまで美味であるとは思えなかったし、深海は深海で渡していいのやら迷っている様子である。
 しかし何処のニホンジンから仕入れた情報か定かではないが、『メロンコーラは美味』という認識があるらしいマルは、ほとんど深海の手から奪うようにメロンコーラを手にすると、きゅっとペットボトルの蓋をひねり、片手を腰に当てて風呂上りの牛乳よろしくぐびっと煽ったのだ。


「「あー…」」


 どことなく哀れむような声が、ムーミアと深海の両方の口から漏れた。
そして。


「っ!!」


 多分、マルの反応は深海の予想するところであったのだろう。
ぐっと、マルはペットボトルを放り出してその手を口元に押さえた。
 が、間に合わなかった。
 マルは一瞬にして『メロンコーラ』に対する認識を改めた。
改めざるを得なかった、と言ったほうが、正しいであろう。


「きゃー!!マル!マル!!!」
「うわちゃー。」


 マルは盛大に、どす黒いしゅわしゅわする液体を噴出したのである。
それをまともにメイド服に被った深海は、しかし何処か予想内とでもいうように、あるいは何処か面白そうに、抑揚にかけた悲鳴を上げた。
 対照的にムーミアは、白目を剥きそうなマルと、マルが噴出したメロンコーラによって被害を被ったメイド服に盛大に悲鳴を上げたが、最早後の祭りである。
 とりあえず半死人になりつつあるマルを揺り動かしたてみたが、マルは水揚げされたばかりの魚がそうするようにごろごろ転がるばかりだ。


「大丈夫だよ。どんなに拙くても毒じゃないから。」
「本当に?」
「うん。だって、私も飲んだことあるけど、別に平気だったし。」


 心優しい少女の心配は、心無い少女の微笑によってあっさり流されてしまった。
しかしそれでも、深海はのた打ち回るマルをひょいっと捕まえると、まだ無事なフリルの先でその口を拭ってやったのである。