寺島沙里 -Traviata-

小さな部屋は、商談とは名ばかりの嫌な圧力で支配されていた。
遠く東の国からやってきた取引相手を迎えた店主は、額に浮かび上がる汗を何度もハンカチで拭う。
「しかしこの条件ではとても……」
「条件が問題ではないのでは? 今を逃してこれと同じものが手に入るかといったらそうではないでしょう」
背後に用心棒を立たせたまま尊大に振舞う男は、手元の箱をちらつかせた。
その中には希少で知られるドラゴンの爪が入っているというのだ。だがそれも本物かどうか疑わしい上、男はこの街にしかない武器を寄越せと代わりに言ってきている。頼みもしていないのに強引にやってきて、だ。
そんな取引はとてもではないが飲めるはずがない。第一”ゲート”の向こうから持ち込まれた武器は、暗黙のうちにこの街から外に出すことを禁じられているのだ。も しこの脅しに負けて、彼が男に武器を男に渡してしまったことがばれたら、ヴァイシルトかシュヴァルツァか……二大貴族のどちらかが黙っていないだろう し、何よりも武器を持ち込んだ外来人たちとの関係が悪化してしまう。彼は剣をちらつかせる用心棒をちらちらと窺いながら拒否の言葉を探して視線を彷徨わせた。
「も、申し訳ありませんが……」
「何ですかな?」
口元だけで笑う男の後ろで用心棒が剣の柄に手をかける。
店主が思わず生唾を飲んだ時、だが突然部屋にのん気な女の声が響いた。
「こんにちはー。トラヴィアータです」
「……は?」
ノックもなしに開けられた扉の前には、変わった服を着た少女が立っている。
もっともその服装を変わっていると思うのは、”ゲート”外の文化を知らない街の外の人間だけで、店主は彼女が着ている服が高校の制服と呼ばれるものだと 知っていた。白いブラウスに紺色のネクタイ、膝上丈のボックスプリーツスカートもまた同じ紺色だ。その上に申し訳程度にエプロンをつけた彼女は手に持っている盆を掲げて一同を見回すと、無表情のまま言い放った。
「コーヒーの出前に伺いました。三人前で一万五千円になります」
「高っ! サ、サリちゃん……」
「あれ。千五百円だったっけ?」
顔見知りの店主の困り顔をよそに、いい加減極まりない出前の少女は無造作にテーブルに歩み寄る。
剣に手をかけたまま威圧をかもしだしている用心棒が見えないのだろうか。男は苛立たしげに彼女を睨んだ。
「邪魔をするな。さっさと出て行け!」
「すみません。恐喝の最中でした?」
「……こ…の小娘!」
力で他人に言うことをきかせることに慣れていた男は、普段しているままに見知らぬ少女に向って振舞う。
自分に向かって平手を食らわそうとする男、だがその手を見ても彼女は表情を変えなかった。半歩後ろに下がると
「てやっ」
盆ごとコーヒーを投げつける。
顔面に火傷を負った男の絶叫がこだましたのは、その直後のことだった。

「またお前か!」
通報を受けて駆けつけてきた男は、乱闘混じりに店中の物が飛び交う騒ぎを鎮圧するとその中心にいた少女を引っ張り出す。
彼女は染みが出来た自分のエプロンを不快そうに睨んでいたが、男の声にようやく顔を上げると口を尖らせた。
「またって。私が原因じゃないんだけど。出前しただけ」
「お前が原因じゃないのに率先して応戦してたのか!」
「図太く荒波を乗り越えていかなければこの街では生きていけないよってヴィオレッタが言ってた」
「うっ……」
『ヴィオレッタ・ティリス』―――― メルヴェイユ魔法学校の非常勤講師で凄腕の魔術師。
七歳くらいの子供の姿を取っていながら、実際はその十倍は生きているという彼女は、自警団にとって「関わらない方がいい」リストの上位に入っている。いつもあちこちを放浪しており、この街にいないことも多いヴィオレッタだが、彼女の言葉を否定するようなことをして危ない橋を渡ることもない。
彼はそれ以上の追及を諦めると、目の前の少女を解放することにした。
「今度揉め事を起こしたら、お前の叔父さんに注意するからな」
「どうぞどうぞ。言ってやって、トールくん」
「お前のことを注意するんだよ!」
耳元で怒鳴ってやっても少女はどこ吹く風である。図太いにも程があると項垂れて……自警団の一人であるトールス・ライズは寺島沙里についての思考を放棄した。

寺島沙里は、この街に外から通いで来ている人間の一人である。
家は外にあり、学校も日本の高校である県立本郷北高校に行っている為、毎日街に来ているわけではない。
“ゲート”近くのカフェ、『トラヴィアータ』のマスターである叔父に頼まれ、日本から食材などを買い出して来ている彼女はしかし、一部ではトラブルに巻 き込まれやすい人間として非常に有名だった。
勿論、普通にしていても揉め事が多い街であるから、そのいくつかに同じ人間が関わっていたとしても不思議がることではない。
ただそれにしては、彼女はただの少女でありながらいつも騒ぎの中心で何かをやらかしているのだ。
今日などは店にあったマジックアイテムを無作為に投げて店を半壊させていたくらいである。
刃物をちらつかせて脅迫されかけていたという店主はある意味では助かったと言えるのだろうが、その代償としての損害は尋常ではないだろう。 もっともこういう場合でも最近は”ゲート”の向こうからやってきた保険会社が何とかしてくれるのかもしれないが。
「シュウさん、そういうわけでコーヒーのお代もらいそこねた。一万五千円」
「千五百円な。そんな高いコーヒーは売ってない」
半ば諦め半分に姪の言葉に頷くと、修は新たにコーヒーを注いで「これ、奥のテーブルに持ってってくれ」と頼んだ。
沙里は素直に頷いて盆を手に客のところへと向う。その背を見て修は深い溜息をついた。
コーヒー代どころかコーヒーカップもなくなってしまったのだが、これは忙しかったからといってたまたまそこにいた沙里に仕事を頼んだつけだろう。 何となく嫌な予感がしたからこそ、彼も比較的安いカップで出前に行かせたのだ。むしろ彼女に怪我がなくてよかったと思うしかない。
彼が初めてこの街に迷い込んだ十年前はもっと動転していたものだが、沙里は若さのせいか、高校に入ってこの店に出入りするようになって以来、あっという 間に異世界の環境に馴染んでしまった。馴染みすぎてトラブルの中でも妙に堂々としているくらいだ。せめてもう少し何とかなって欲しい。
悩みの種でもある少女を彼が見やると、沙里は奥のテーブルに座っている一行と談笑している。もっとも彼女は滅多なことでは表情が変わらないので、笑っているのは客たちだけだったが。
「サリ。俺らこれから西の森のダンジョンに行くけど、一緒に来るか?」
「もう帰るよ。ご飯の時間だし」
「あー残念。じゃあなんか土産取ってきてやるよ。その代わりまたあれ頂戴。キシリトールガムってやつ」
「いいよ。買ってきてあげる」
沙里は手元にメモ帳を出すとそれに何かを書き込み、冒険者風の男に渡した。男も似たようなメモを返す。これは異文化が混交するこの街ではちょっとした 契約のようなもので、一種の備忘録でもあるのだ。彼女は手を離せば周りをパタパタと飛び始めてしまうメモを小さく畳むとスカートのポケットに押し込ん だ。無表情のまま彼らに手を振ると、二つにわけて編込みした髪を揺らしながらカウンターに戻ってくる。冷静沈着と誤解されることも多い姪から下げた皿を受け取ると、修は一応聞いてみることにした。
「沙里、テスト勉強はしてるか? もうすぐ中間だろう?」
「してない。でも平気。だって習ったことしかでないでしょ」
「……習ってないことが出たら大変だよ」
帰宅の準備の為、沙里はエプロンを外すと高校指定のバッグを手に取った。その彼女に向かって修は小さな円筒状のものを放る。
「ほら、今日のお礼」
「やった!」
バイト料代わりのマジックアイテム。押せば対象物に効果を及ぼすスタンプはこの街で生きる外来人にはよく知られた魔法生産品だ。 沙里は手の中のスタンプを確認してにやりと笑う。高校生である彼女にはこの効果のスタンプは手が届かない値段のものだったのだ。
「浮遊のスタンプ欲しかったんだよね! ありがと、シュウさん」
「外で使うなよ」
「承知承知」
彼女はさっそく重い鞄に軽くスタンプを押し付ける。それだけで教科書が数冊入っているはずのバッグはほとんど重さを感じさせなくなった。 予想通りの結果に満悦してしまうが、効果には限度がある上、インク量にも限界がある。楽しいからで使っていてはすぐ切れてしまうだろう。
「じゃ、また水曜日に来るから」
「勉強がんばれよ」
入り口のドアにつけられた鐘を鳴らして少女の姿は店から消える。
若さとしか言いようのないフットワークの軽さに修はどっと疲れを感じて、つい自分が歩んできた年月に思いを馳せてしまったのだった。

日本と異世界にある街テンペランティアを繋ぐ”ゲート”。
これは、その”ゲート”を使って二つの世界を行き来する人間たちの、ろくでもない騒ぎの記録の数々なのである。