Unnamed Memory -とある日-


 この大陸には、五人の魔女がいる。
 強大な力を持ち、数百年もの永きを生きる魔法士の女たち。
 彼女たちは気まぐれに現れ、全てを覆し、そしていずこともなく消え去る。
 人の形をした災厄。歴史の影に潜む無慈悲な力そのもの。
 そしてだからこそ、人は魔女を忌み畏れる。
 この「魔女の時代」において、彼女たちと向き合うとは、いわば絶望と同義だ。
 ――そんなことを考えながら、オスカーは目の前の扉を開ける。
 そうして扉の先に見えたものは、雑然と物の多い部屋と、その更に向こう、窓の外に広がる果てなき荒野だ。
 登りきれば「青き月の魔女」が一つだけ願いを叶えてくれるという試練の塔。天にそびえるその塔を踏破した彼は、最上階からの景色に気を取られる。
 その時、澄んだ笛のような女の声が聞こえた。

「ようこそ、私の塔に。こちらへどうぞ、お茶を淹れてありますよ」

 大陸を変革する二人は、そして出会った。

                 ※

「ティナーシャ、そろそろ俺と結婚する気になったか?」
「何寝ぼけてるんですか、寝たりないなら部屋に叩きこんでさしあげましょうか」

 もう何度目かも分からない求婚に、冷えきった言葉を返され、青年は笑い出した。大国ファルサスの王太子である彼、オスカーは、執務机に頬杖をついて浮いている魔女を見上げる。
 彼女はさっきから空中を緩やかに回りながら手元で本を開いている。長い黒髪は艶やかな夜色そのもので、瞳も深い闇色だ。もうすぐ二十歳に届こうかという美貌は、息を飲むくらい清冽なものだが、これは彼女の素の容姿らしい。身体の成長を止めてあるだけで、実年齢は軽く数百歳だというティナーシャは、溜息をつくと本を閉じた。

「いい加減諦めなさい。私は魔女ですよ、魔女。どうしてそれと結婚しようって発想が出てくるんですか」
「俺の子供を産めるのはお前しかいないんだろ? 他にどういう発想があるんだ」
「だからその呪いは、私が頑張って解くって言ってるのに!」

 悲鳴じみた魔女の叫びにオスカーは笑い出す。
 五人いる魔女のうち、最強と言われる「青き月の魔女」ティナーシャが彼の傍にいるのは、遡ればこの呪いが原因だ。
 彼の幼少時、「沈黙の魔女」によってかけられた後継が作れなくなる呪い。これのせいでオスカーの子を孕んだ女は、その子を産み落とす前に命を落とすようになっている。
 それは次期王位継承者として致命的な呪いで――だから彼は、呪いの解呪を願ってティナーシャの棲む塔を訪れた。

 苦労の末、登りきれば魔女が願いを叶えるという試練の塔を踏破し、けれど彼女から返ってきた答えは、「解くのは難しい」というものだ。共通法則のある魔法と違って、呪いは術者個人の作り上げるものだ。だからこそ魔女が生み出した呪いを解くのは困難極まると聞いて――オスカーは、解呪の代わりにティナーシャ自身を望んだ。
 沈黙の魔女を越える力を持つ彼女であれば、彼の子を孕んでも死ぬことはない。難しい呪いに挑むよりもよほどわかりやすくて、確実だ。そして何より、彼女といるのは楽しい。

 オスカーは、契約によって守護者となった魔女を見つめる。

「気が変わったらいつでも言うといいぞ? 翌日には式を挙げられる」
「結婚しないし! もし万が一そんなことになったら、翌日とか皆に迷惑だからやめなさい!」
「安心しろ。今から密かに準備しとくから」
「そういうことを言ってるんじゃないし! 立場を弁えろ!」

 ぎゃんぎゃんと苦言をわめく彼女は、とてもではないが人に恐れられる魔女には見えない。オスカーがそんな彼女を手招きしようとした時、だが執務室の扉が激しく叩かれた。駆けこんできた文官が叫ぶ。

「殿下、大変です! 城下に魔物の群れが現れて――」

 その話を聞いて、オスカーとティナーシャは顔を見合わせた。

                 ※

 城都外縁部の一画に二人が到着した時、辺りは騒然として一部の建物からは火が上がっていた。
 ティナーシャが美しい顔を顰めながら手の中に魔法構成を生む。
 たちまちそれは、薄い水の膜となって炎の上に覆いかぶさると、少しずつ炎の範囲を狭めていった。近くで怪我人の手当てにあたっていた魔法士が、複雑すぎる構成技術に唖然とする。
 だがそれを為した女は、何ということのないように言った。

「とりあえず消火しときますね。貴方も周囲に気をつけてください。何がいるか分かりませんから」
「魔物か。ずいぶん色んな種類がいたらしいが、あとどれだけ残ってるんだろうな」

 オスカーは、広場の真ん中に散らばった木箱の残骸に歩み寄る。人々の話では、行商人の男たちが運んでいた木箱の中から、突然何匹もの魔物が飛び出して暴れ回ったらしい。そのうちのいくらかは駆けつけた兵士たちが退治したが、今なお捕まっていないものもいるようだ。王剣アカーシアを手に崩れた建物へ向かおうとしたオスカーを、魔女が見咎める。

「こら、一人でどこに行くんですか。危ないからそこにいてください」
「俺が行く方が確実じゃないか? 他の人間は住民の手当てに忙しそうだし。第一、城都内に魔物を持ちこんだやつらの意図がわからない。これがファルサスへの攻撃だとしたら早々に全部殺して回った方がいいだろ」

 他の人間より上手くやる自信はある。何しろオスカーは、何十年も達成者が出なかった魔女の塔を、ほぼ単独で登りきった人間なのだ。魔女に呪いをかけられた人間として、最終的には魔女とも戦えるように己を鍛えてきた。
 だから、こういった揉め事には自分が出た方が早い――そう主張して憚らない契約者に、ティナーシャは白い目を向けた。

「仮にそうだとしても、それなら私がやりますから! 貴方に何かあったら王家が断絶ですよ」
「どっちみちお前が結婚してくれなかったら断絶なんだが」
「そういう話を外でするなよ!」

 騒然とする街中で騒いでいる二人を、周りの人間たちは何だかよくわからないものとして眺める。
 ティナーシャは、契約者に止まる気がないと分かると、詠唱しながら右手を上げた。建物から上がる炎が、まるで見えない何かに吸い込まれるように細くなって消えていく。魔女はそれをしてしまうと、小走りにオスカーの後を追ってきた。

「もう……言っても聞かないんですから。貴方に塔を下ろされてから、こんなことばっかりです」
「それはよかった。何なら契約期間を一生にしてみるか?」
「しないってば! そんなに貴方と一緒にいると気苦労で死にますし! そろそろ飽きなさい!」
「飽きなそうな相手だから結婚を申し込んでいるんだけどな……」

 広く大陸中に恐れられる魔女だが、実際の彼女はいたって口うるさい善良な人間だ。ただ、その力の強大さはオスカーもよく知るところで……だからこそ彼女は、人と関わることを避けているのだろう。その気になれば、この城都を灰燼に帰すことさえできる。だがティナーシャ自身はそんな自分の存在に、ひどく自嘲的なのだ。
 だからその分、自分の隣に居場所を作ってやりたいと、オスカーは思う。
 崩れた建物の中、地下への階段を見つけた彼は、薄暗いそこを降り始める。ついてきたティナーシャが彼の袖を引いた。

「なんでここを降りてるんですか」
「何となく怪しい感じがするから」
「……ただの勘ですか」
「あと、あれだけ瓦礫だらけの床だったのに、この階段までの場所だけ拭ったみたいに綺麗だった」
「よくそんなの気づきましたね……多分、正解です。明かりを作ると向こうから狙われるんで、このまま降りてください」
「分かった」

 短く応えてオスカーは明かりのない闇の中へと降りていく。そうして地上の光が遠くなった頃――何かが空を切った。
 真っ直ぐに自分へと飛来するそれを、オスカーは剣の一閃で斬り捨てる。人並み外れた察知能力と危なげない剣の腕に、後ろでティナーシャが感嘆の息をついた。
 だがその後に続いたものは、称賛の言葉ではなく詠唱だ。

「――灯れ」

 広い地下室を、白光が照らし出す。
 引き攣るような悲鳴が上がる。それは人のものではなく、ヒュウヒュウとした風に似た声だ。
 照らし出された光景に、オスカーは眉を顰める。

「大蛇の魔物……か?」
「元はそうだったみたいですね。それを禁呪で弄ったんでしょう」

 二人の視線の先にいるものは、大木の幹ほどもある胴の「巨大な白い蛇」だ。だがそれが、純粋な蛇と断じられないのは、背にあたる部分に、ドラゴンのものに似た白い翼が生えている。だがそれは、まるで出来損ないのように折り畳まれたまま翼同士癒着し、日に当たったことのない白さと相まって、一種病的な印象を与えていた。
 大蛇の赤い目が二人を見据え、同じ色の舌がちろちろと覗く。オスカーは首を傾けてその視線を受けた。
 彼が剣を提げたまま一歩を踏みだした時――大蛇の影から男の魔法詠唱が聞こえた。

「死すべき者よ、爛れ落ちよ!」
「消え失せろ」

 間髪置かずの魔女の声。オスカーに向かいかけた緑色の閃光は、音もなくふっと宙で掻き消える。彼の影から歩み出たティナーシャは冷ややかな目を向けた。

「さっさと出てこい。その蛇ごと引き裂いてやっても構わないぞ」
「ティナーシャ、俺があの蛇と戦ってみたいんだが」
「そんなことで口を挟んでこないでください。好きに戦ってていいですから。私は首謀者を締め上げます」
「首謀者? そこに隠れてるやつか」

 とうに気づいていたらしいオスカーの言葉に、蛇の影から灰色のローブの男が現れる。ぎらついた殺意の宿るその視線に、ティナーシャは動じることなく返した。

「魔物の種類が多かったって話を聞いて疑ってましたけどね。多分その魔法士、魔物の幼生を捕まえて魔法実験の試験体にしてるんですよ。成功したものは売って失敗したものは人知れず処分する……今回はその途中で取り扱いを誤って幼生たちに逃げられたんでしょう。そこの白い蛇も、翼を移植されない本来の状態なら、あの五倍は大きくなりますよ」
「あの蛇、あの大きさで子供なのか」
「そうですけど、だからって成体のいる群生地に連れてったりはしませんからね!」

 冒険が大好きな契約者に釘を刺してから、魔女は続ける。

「あと、あの蛇はもう殺すしかないです」
「子供なのにか?」
「ええ。どの道、程度の低い施術を受けたおかげで、もうあまり生きられませんから」

 それを聞いた彼の瞳に、瞬間憐憫とも怒りともつかない感情がよぎる。

「そうか……分かった」

 彼の声にいつもの稚気はない。
 ただ静かな、強者としての姿は、普段表に出ないオスカーの本質だ。
 この国を背負う為に、魔女と相対しうるほどに、研鑽を続けてきた彼の真実。
 ティナーシャはそんなオスカーの横顔に少し見惚れる。だがすぐに、魔法士のいきり立つ声が聞こえた。

「程度が低いだと? 宮廷魔法士がどれほどのものだと――」
「私は宮廷魔法士じゃありませんよ」

 オスカーが王剣を手に歩き出す。それに呼応するようにして、白い大蛇が首をもたげた。
 空気が漏れるような威嚇音が聞こえる。だが彼は足を止めなかった。
 無造作に近づいてくる人間に、蛇は癒着した翼を軋ませて狙いを定める。
 紅い両眼がゆるりとオスカーを見据え――次の動きは、目で追えぬ速さを持っていた。
 巨大な頭が瞬間で肉薄する。剣を携えた青年に食らいつこうとする顎。
 獲物を一飲みするための速度を極めた動きに、魔法士の男は快哉の声を上げた。

「馬鹿が! 人間が翼蛇に敵うわけが――」

 鈍い音が、床に響く。
 落ちたものは顎を開いたままの大蛇の首だ。
 すれ違いざま剣の一振りだけで蛇の首を両断したオスカーは、遅れて床に広がろうとする蛇の体を一瞥した。
 そこにある歪な翼に顔を顰めると、王剣の一閃で翼を斬り落とす。
 信じられぬ光景に絶句している魔法士の上に、淡い影が差した。
 見上げるとそこには、美しい女が浮かんでいる。彼女は幻じみた美貌に、嫣然とした笑みを浮かべた。

「魔女の契約者に、お前如きが敵うわけないだろう?」
「……魔女? まさか、そんなはずが」
「さあ、遊びの時間は終わりだ」

 女の白い手が、魔法士の顔を掴む。
 そうして耳をつんざく悲鳴があがり……後には静寂だけが、訪れた。

                 ※

 城への帰り道、オスカーは魔女と街を行きながら、露店の一つに目を留めた。
 そこに売られていた白い花飾りを買い上げると、彼女の黒髪に挿す。撫でられる猫のように目を細めたティナーシャは、花に触れて崩れないことを確認すると呆れ顔になった。

「私を構ってどうするんですか。変わり者にも程があります」
「俺が好きでやってるだけだから気にするな。可愛いぞ」
「…………変な人ですね」

 魔女の闇色の瞳に複雑な感情が浮かぶ。だが彼女は結局それ以上何も言わぬまま息をつくと、ほんの少し微笑んだ。
 小柄な守護者の頭を、オスカーは撫でる。

「それより、俺と結婚する気になったか?」
「さっき聞かれた時から今までの間で、どう心情が変化する要素があったのか、逆に聞いてみたいですね」
「呪いが解けなかったらどうするんだ。さすがに困るぞ。かなり困る」
「それは知ってるから頑張ってるんじゃないですか! ちゃんと解析してるし! 今!」

 騒ぎ立てる彼女に街行く人間からの視線が集まらないのは、彼女が遮音の魔法結界を張っているからだ。周囲を一瞥してそうと察したオスカーは、顔から笑顔を消すと彼女をじっと見つめた。

「けどお前、仮にどうしても解呪できなかったらどうする?」
「嫌なことを言わない! 解呪しますから!」
「たとえばの話で考えてみろ。万が一上手くいかなかったらどうする。それでも絶対何があっても、俺の妻になる気はないのか?」

 オスカーの声音からは、いつものからかいや冗談は感じれない。次期王位継承者としての真剣な問いに、彼の契約者であるティナーシャは顔を顰めた。

「……私、純潔じゃなくなると弱体化するんですけど」
「知ってる。その埋め合わせはするつもりだ。少なくとも、この国が続く限りは」
「えええ……ええええええええ……」

 自分と魔女の子を、次の王位につけようとする男を、ティナーシャは心底悩ましい目で見上げる。
 闇色の瞳に浮かぶものは、過ぎ去った時、滅びた国、失われた多くの、尽きせぬものばかりだ。
 だが彼女はその全てを飲みこんで閉ざすと……ふっと微笑む。

「そうですね……あり得ない話ですけど、そんなことになったら、子供を産むくらいはいいですよ。妻にはなりませんけど」

 もし奇跡のような偶然が重なったなら、或いは過去の妄執に精算がつく日が来たのなら、それでもいいかもしれないと、ティナーシャは思う。だがそんなことはあり得ない。全ては彼女が魔女になった時に終わってしまったのだ。

「ただし、私を殺せるほど、貴方が強くなったらです」

 彼に求めるものはただ、魔女と成り果てた己の終わりだ。
 永く生き過ぎてしまった、強くなりすぎてしまった自分に幕を引いてくれる男。
 何故なら王剣アカーシア――あらゆる魔法を無効化するこの剣の歴代使い手の中で、彼がもっとも強い剣士なのだから。
 ならばきっと、彼こそが魔女の時代を終わらせる王になるのだろう。
 ティナーシャは、憧憬を込めて契約者を見上げる。オスカーは彼女の返答に目を丸くしていたが、ふっと微苦笑した。

「分かった。お前より強くなってやる。けど俺は殺さないからな」
「何を甘いことを言ってるんですか。そんな生半可な気持ちでいると私に殺されますからね」
「それより、お前にその気があるなら明日にでも結婚するか?」
「万が一って言った! 万が一の話!」
「今から花嫁衣裳を作らせておこう。いざという時の為に」
「本当に人の話を聞かないなあ!」

 叫びながらもティナーシャは、耐え切れず笑い出す。
 そうして空を見上げる彼女の手をオスカーは取った。平穏な街並みを、平凡ならざる二人は歩いていく。
 やがて訪れる変革を前に。魔女の時代の終わりの先触れとして。
 これは彼らの愛した穏やかなる日常の、ほんの断片の記憶だ。