懐かしのゴ

mudan tensai genkin desu -yuki

「あ、ネズミだ」
家の外に出ての掃き掃除。その作業に没頭していた雫は、ふと隣家の屋根を走っていく影に気付いて声を上げた。
隣で草をむしっていた夫が相槌を打つ。
「結構いるよね。今のところ家の中では見たことないけど」
「確かに。私は元の世界でもあまり見かけませんでしたよ」
ネズミはものによっては病気を運ぶと言われているが、この世界でもそうなのかは分からない。
雫は集めた落ち葉を麻袋に詰めながら呟いた。
「ネズミはゴキブリじゃないからいいですよ。この世界ってゴキブリいないんですか?」
「『ゴキブリ』って何」
「黒い昆虫です」
言葉を習いなおした雫は、通じない単語についてもはや「それに該当するものが存在するのか否か」すぐには判断出来ない。
だから彼女は枝を拾うと地面に絵を描いて説明することにした。
ほどほどにデフォルメを加え分かりやすくしたゴ(以下省略)の絵を描く。
「こういうやつです。これで黒くててかってます」
「うーん?」
絵を描いて相手に説明する―――― この役割を二人の間で逆にした場合、伝わる情報量は激減するが、雫は幸いイラストが得意だ。
なのでエリクが怪訝そうにしているとなると、存在しない生物なのだろう。
そう思いかけた時、彼は顎に指をかけ頷いた。
「ミドミズに似てるね」
「えええええ! 存在する生物なんですか!?」
折角ゴがいない世界だと思ったのにがっかりだ! と雫が落胆していると、男は続ける。
「暗黒時代、禁呪によって負を召喚しようとした男が、負荷に耐え切れず肉体に変質をきたした。
 その時彼の体の表面は、瘴気で出来た黒い虫で覆われたという。それがミドミズ」
「絶対違います」
そんな物騒な虫と一緒にしないで欲しい。
心から願う雫をよそに、エリクは自分も枝を取る。雫の描いたゴの隣に、奇妙な抽象画を描き上げた。
「こんな感じ」
「全然分かりません」
「似てるよね。この辺りとか」
「えーと、似てる……かなあ」
万が一似ていたとして何の意味があるのか。
その後しばらく二人は「似てる」「似てない」を繰り返した。
結論として雫は、「ゴはこちらの世界にはいないらしい」と分かり、非常に安堵したのである。