腐っていく玩具

mudan tensai genkin desu -yuki

意識を失い、意識を取り戻す。
それは彼女にとって、明かりをつけ消しするが如く、容易に加えられる苦痛の過程だ。
まるで玩具のような扱い。目を覚ましたレオノーラは、床に広がる己の血を無感動に見やった。
全身が冷え切っている気がする。
それは床に横たわっているせいであるのか、血を流しすぎた為なのか分からない。
彼女はもう一度眠りたく思って目を閉じた。

既に数日前に流れた分の血は黒く凝り固まり異臭を放ち始めている。
だがそれを掃除するものはいない。レオノーラはもう一週間も同じ場所に横たわり、与えられる苦痛に縫いとめられ続けていた。
血の上に血を重ねる行為。
もっとも新しい液体はひたひたと赤く、横たわる彼女の頬までを浸していたが、気持ち悪いと思う感情も既にレオノーラには残されていなかった。彼女は血溜まりに捨てられた己の臓腑を眺める。
―――― 眠りたいと思っても、やはり眠れそうにない。
それさえも彼女の自由には出来ないことなのだ。喘ぐように息を零した時、真上から男の声が降ってくる。
「目が覚めたか? まだ生きてるのか。意外と持つもんだな」
素直に「人間」について感心しているような声音。
レオノーラは男の評価に返答したく思ったが、返す内容は思いつかず、声も出せそうにはなかった。ただ浅く息を吐き続ける。
封じられた石室には彼ら二人以外に誰の姿もない。
時間はまるで、初めの時から少しも進んでいないような気がした。
「―――― っ……!」
レオノーラは突然の激痛に目を見開く。
無造作に体の中へと捻じ込まれた手。その指先が、おもちゃを探す子供のように彼女の胎の中をかき回した。
もはや痛みなど感じぬと、思っていても襲い掛かる苦痛にレオノーラの躰は弓なりになる。
「か……っ! は……」
「動くんじゃねーよ。邪魔だ」
男の指が内腑の壁にめりこんでいく感覚。世界の全てに皹が入っていくような眩暈に彼女は舌を噛む。
早く、気を失いたい。
そう思った刹那、体の中で何かが引きちぎられる音がした。






憎かった。
憎しみが全てだった。彼女を襤褸切れのように扱い、殺そうとした現領主の男。
彼女はその男と、彼に従う者たちのせいで全てを失ったのだ。ある日父母を殺され、瀕死の状態で雪の中に放り出された。
小さな体からどんどんと流れ出ていく血を見て、子供心に「ああ、もう死んでしまう」と思ったことを覚えている。
彼女の人生は、そこで終わるはずだった。

だがそうして諦めかけていた彼女を、森の奥に棲む半妖の老婆が拾ったのだ。
決して優しくはなかった老婆は彼女を下働きとして使いつつ、しかし魔法と生きる術を教えてくれた。
そうしてみすぼらしくも糊口をしのいで生きていたあの日―――― 「彼女」の運命は再度一変した。






壊され、再生される。
もうずっとその繰り返しだ。
子供が虫をばらして好奇心と嗜虐心を満たすように、彼女の体は人ならざる男によって解体され、構築されている。
何を言う間もなかったのだ。
失敗に終わるはずだった召喚。開いた門より現れた美貌の男は、彼女を見るなりその手で腹を貫いた。
内臓を引きずり出されながら陵辱された―――― その記憶は彼女にはない。おそらく半分死んでいたのだろう。
これが上位存在というものなのだと、レオノーラはその時知った。

「起きたか」
次に目覚めた時、男は美しい笑みを見せて彼女の顔を覗きこんでいた。
悪意と興味。そんなものしかない瞳をレオノーラは見上げる。
「大体どういう作りか分かってきたな。……ああ、お前はそろそろ死にたくなったか?」
壊れたら次の玩具を探そうと、言わんばかりの口調で男は問うた。
レオノーラの脳裏に、自分と同じ顔が一瞬過ぎる。



あの日、彼女たちの運命は再度一変した。
押し寄せてきた兵。殺された老婆。捕らえられた娘。
「何もかも憎い」と、叫んだのはどちらであったか。
用意していた花嫁衣裳は、血で汚れてしまった。
「彼女」の体も、死んでしまった。



「死にたくないわ……あの男を殺すまで……」
ようやく声を搾り出してレオノーラは答える。だが喉を通る息は引き攣れ嗄れて、上手く言葉には聞こえなかった。
男は完璧な美貌で彼女を嘲笑う。
「醜いな」
再び伸ばされる手。
レオノーラは力なく両眼を閉じた。






燃える城を見下ろす目には、消せない憎しみがちらついていた。
宙に浮くレオノーラは、かつての帰処が崩れていく様を食い入るように見つめる。
もし一度目の悲劇がなければ、彼女はあの城で恵まれた娘として暮らしていただろう。
二度目の悲劇がなければ、何も知らぬまま花嫁になっていたに違いない。
だが流転する運命は、彼女を今へと導いた。
魔女になった娘は乾いた笑い声を上げる。
「満足か? エルー」
「その名を呼ばないで」
間を置かぬ否定に男は微笑した。優美な仕草で彼女へと手を差し伸べる。
もう何度、彼女を殺したか分からぬ手。レオノーラは男を憎悪と諦観をもって眺めた。
「私を殺せば、あなたは元の位階へ送り返されるわ。そして二度と現出は出来ない」
「…………は? 何だと?」
初めて見る驚愕の顔は、思っていたより遥かに彼女を心地よくさせた。レオノーラは白い指で己の胸を叩く。
「ずっといいようにされていると思ったのかしら。あなたの手が私の心臓を突き破った時に、そういう契約呪をかけたのよ。
 あなたが私を殺した時、代償の制約が発動するようにと……」
自分が死した時、この男が世に解き放たれることを憂いたわけではない。
ただ少し意趣返しをしてやりたかった。壊され続けた玩具が、その欠片で子供の指を切りつけるように。
男は驚きから我に返ると、彼女の視線を鼻で笑う。
「やってくれたな。虫けら風情が」
「別に私を殺せばいいでしょう? 遊びはもう終わったわ」
「まだだ。この位階は存外面白い」
火を孕んだ風が上空へと巻き上がる。だがその風は男の銀髪を一本たりとも動かしはしなかった。
レオノーラは乱れる髪を押さえて男を見つめる。
相容れぬもの。憎悪と嗜虐。恋焦がれるに似て、だが似ても似つかぬ駆け引きがその場で交錯した。
男はもう一度、己の手を彼女へと差し伸べる。
「いいぜ。来い、レオノーラ。俺にもっと遊ばせろ」
甘い声。恐ろしい誘い。
だが彼女はもはや抵抗を覚えない。艶やかに笑って白い手を重ねる。
その場から転移する一瞬―――― レオノーラの目が崩れていく城を見やった。
「さようなら、姉様」



彼女の本当の名を呼ぶ者は誰一人いない。
そして大陸には、新たな魔女が現れる。