かりそめの御伽噺

mudan tensai genkin desu -yuki

それは、すれ違いで終わる御伽噺。

いつかの時、何処かの大陸、ありふれた小国で。
その国には一人の少女がいた。生まれながらに恐ろしい力を持っていた少女。
彼女は子供の頃から多くの魔術が使え、けれどその力を上手く抑えることが出来ずにいた。
ある日彼女は、泣いた拍子に住んでいた家を燃やしてしまい、その力を恐れた親や町の人間たちによって、森の奥の小屋へと追いたてられた。
帰る家を失くし、孤独の中に放り出された子供。彼女はそれから十年もの間、一人森の中で淋しい暮らしを送った。
昼でも暗いその森へは、滅多に誰も入ってこようとはしない。
おまけに彼女の体や顔には醜い火傷の痕が残っており、たまに彼女を見かけた人々は化け物でもいるかのように、声高に彼女を罵った。
人恋しさを覚えながら孤独に生きていた少女。
けれど彼女の運命はある日、森の奥に訪ねてきた青年と出会ったことにより一変する。
彼女の話を聞いてやって来た領主の息子は、彼女が本当は心優しい少女であることを知ると、その心根に惹かれ彼女を愛するようになったのだ。
彼は少女に結婚を申し込み、二人は森を出て城へと向かった。
そうして少女は青年の花嫁となり、いつまでも幸せに――――





崩れた壁から見える風景は広大なものである。
広がる荒野。その只中を緩やかに伸びる街道を、リウクレアは呆然と見つめた。
白い花嫁衣裳が風に煽られ、灰色の城の中鮮やかにはためく。
ここが何処なのか、彼女には分からない。
おそらくずっと昔に人の住まなくなった廃城だろう。荒れ果てた内部には、かつて多くの人々が暮らしていたらしき痕跡が見て取れる。
だが彼女に分かったのはそれだけで、この城が何処にあるものなのか、何故自分がここにいるのか、少しも理解出来なかった。
結婚式の最中、突如現れた見知らぬ男によって連れ去られた彼女は、震える手で白いドレスを掴む。
「どうして……?」
「すまない」
ようやく得られることとなった幸福を、目前で彼女から奪い去った男は、意外なことに苦い声でそう言った。
リウクレアは振り返ると背の高い男を睨む。
ヴェールに隠された彼女の顔。焼け爛れた半分と美しいままの半分が、共に怒りと悲しみで歪んだ。
「どうして? 私を帰して頂戴」
「それは出来ない」
きっぱりと答える男は、醜い悪鬼ではなく、意地の悪い貴族でもない。
端正な顔立ちに鍛えられた体を持つ、何処か威を湛えた不思議な空気の男だった。
夜になる直前の空を思わせる青い瞳が、鎮痛な光を帯びて彼女を見つめる。
「お前を帰すことは出来ない。お前はこれからここで暮らすんだ」
それは、彼女にとって絶望に等しい言葉だった。
生まれて初めて出会った優しい人。自分を愛していると言ってくれた人のところにはもう戻れない。
彼女は花嫁になれないのだ。そしてまた、惨めで淋しい暮らしへと戻っていく。
リウクレアは弱弱しい声音で問うた。
「それは、いつまで?」
生まれながらに普通ではなかった彼女は、どうしても幸福に手が届かない。
それがお前の運命だと嘲笑われているようで、彼女はきつく己の唇を噛んだ。
崩れ落ちそうな女の問いに、黒衣の男は苦々しい笑みを見せる。
「時が来るまで。永遠に」
埃に汚れたヴェール。
割れた壁の隙間から、乾いた風が砂を運んでくる。
他に誰もいない城。リウクレアは両手で顔を覆うと、声を殺して泣き出した。



男は名をオスカーと名乗った。
得体の知れない彼は、どうやら彼女の力が効かない人間らしい。
オスカーは廃城の一室をまるで普通の城の部屋のように整え、そこにリウクレアを閉じ込めた。
魔術で逃げ出すことも出来ない不思議な部屋。
そこで暮らし始めることとなった彼女は、最初の数日こそ会えなくなった領主の息子を思い泣きはらしていたが、やがて理不尽への憤りを、そして男への憎しみを抱くようになった。
日に二度彼と共にする食卓。その席上でリウクレアは刃のような目を男に向ける。
「ここは、何処にある城なの?」
「アディリランス領。かつてはウィリディス城と呼ばれていた」
その帝国の名は、リウクレアも聞いたことがある。
彼女の住んでいた場所から遠く東、膨大な広さの領地を持つ帝国。
地図で見たアディリランスへの距離を思い出し、リウクレアは内心絶望した。
これではとても探しになど来てもらえない。あまりにも遠すぎるのだ。領主の息子は彼女の行方を掴むことさえ出来ないだろう。
だが、それを悲しむのは彼女だけで―――― リウクレアが妻となることを喜ばなかった者たちは、今頃さぞ喜んでいるに違いない。
当の青年もやがて彼女のことを忘れてしまうだろう。彼女の胸は、辛苦と安堵の間を揺れ動いた。

結婚式の直前にもちりちりと感じていた違和感。正体の分からぬそれは、だが今この時は僅かな猶予を与えられているようにも思える。
リウクレアは無意識のうちに憂いた溜息を一つ零した。オスカーがそれに気付いて眉を上げる。
「あまり気に病むな。お前が悪いわけじゃない」
「なら帰して」
「駄目だ」
考える間もない返答に、彼女は叫び出しそうになった。
感情の揺れに反応してか、食卓の皿に次々と亀裂が入る。砕け散ったグラスの破片が男の頬に飛んだ。
破片の過ぎ去った後には薄い傷がつき、オスカーは指で己の血を拭う。
「あまり感情で魔力を操るな。火傷の痕が傷むだろう」
「あなたを殺してやりたい」
ちりちりと痛む顔を押さえてリウクレアは言い捨てた。
男は広がる空のような目で彼女を見つめる。
そこにあるものは嘲りでも憐れみでもない。軽蔑でも憎しみでもなく、ただ罪悪感と彼女の知らない「何か」だった。
リウクレアは熱くなっていく血のまま、顔の半分を隠すヴェールを投げ捨てる。その反動として無形の力をオスカーに向かってぶつけた。
空を切る音。顔の左半分から脇腹まで続く古傷に激痛が走る。彼女は呻き、だが男の悲鳴は聞こえない。
代わりによろめきかけた彼女の体をオスカーの腕が支えた。
席を立った男に抱き取られ、彼女は呪詛の言葉を吐く。
「あなたも、呪われればいい」
「お前は呪われていない。その傷も……」
彼はそこで言葉を切った。顕になった彼女の貌。焼け爛れた左半分を見つめる。

一月前、彼女を花嫁にと望んだ領主の息子が初めて彼女の顔を見た時、その目に浮かんだのは純粋な憐憫だった。
その日からリウクレアは、家の中でも顔の左半分を隠すようになったのだ。彼の心を悲しませないようにと。
だがこの時、オスカーが見せたものは、彼女の知らない感情だった。
ひどく近くにいるような。ひどく遠くに離れていたような思い。
それが何かも分からないまま、リウクレアは男を凝視する。
―――― この瞳を見ていると、何かを思い出しそうな気がする。
知らないはずの幸福。安らげる温もりに、いつか何処かで触れていたような気がしてくるのだ。
リウクレアは、得られる寸前の温かさを奪った男を前に、軽い混乱へと襲われる。
突き放すことの出来ない手。
男は黙って顔を寄せ、罅割れた彼女の唇に口付けた。






城に閉じ込められての生活は奇妙なものだった。
荒れ果てて広い城には、彼ら二人が暮らすにあたって最低限の部屋だけは手が加えられている。
男は時折町に出たり、街道を行く行商人と交渉したりして、必要なものを買い上げているようだった。
帰る術も持たず淡々と日常を過ごすリウクレアは、彼に対し憤懣やるかたない思いを抱いていたが、それ以上に分からないのは男の目的である
自分をこのような場所に捕らえておくことに何の意味があるのか。
リウクレアはそれを考える度、不安を覚えてならない。
彼の暴挙を批難しながらそれとなく尋ねたこともあるが、オスカーは苦笑するだけで目的については答えなかった。
リウクレアはその微苦笑にまた、不安を覚える。



はじめは一室に閉じ込められていた彼女も、諦観を抱き、感情に任せた狂乱が収まると、自由に城内を歩けるようになった。
城の外周には結界が張られており、そこから逃れることは出来ないが、その内なら自由に動けるようになったのだ。
生きる為に食べ物を集める必要もなく、ひたすら朽ちた城を歩き回る日々。
月光が照らす城は、かつてはどのような姿を人々に見せていたのだろう。
ただ、夜には青白い光が降り注ぎまるで海のように見える荒野を、リウクレアは美しいと思っていた。
欄干の崩れ落ちた露台に佇んで、薄青く輝く景色を眺めていた彼女は、肩に上着をかけられて振り返る。
そこにはオスカーが立っていて、彼女が眉を顰めると「風邪を引くなよ」と言った。
「私が風邪を引いてもあなたには何の関係もないでしょう」
「関係ない、かもしれんが、お前が苦しそうにしてると辛いな」
「なら私をここに連れてきた時も辛かったというの?」
辛辣に口の端を上げて糾弾するリウクレアに、男はまた苦笑した。大きな手が彼女の頬に伸ばされる。
ざらついた左半分に触れる手。彼女はそれを避けたいと思ったが、体が動かなかった。古傷の上から温かいものが染み込んでくる。
「辛かったな。だが、放っておくことも出来なかった。俺は」
男は青い目を閉じる。
その仕草は、酷く疲れているようにも、まだ希望を失っていないようにも見えた。
リウクレアは理解出来ぬ相手を前に、言葉を飲み込んで立ち尽くす。
月光が白と黒とを塗り分けるひととき。冷え切った体を抱くように、男の手が彼女を上着でくるんだ。
「リウクレア、もう少し時間をくれ」
「何故?」
オスカーはそれには答えない。彼女の額に口付けて、その場を立ち去った。
一人となったリウクレアは静寂の支配する荒野を見下ろす。
永遠にこの城に閉じ込める、と彼女に言った彼はだが、彼女を解放する時を待っているようにも時々思える。
男が何がしたいのか、何を待っているのか、リウクレアは少しも分からない。
ただ確かに―――― 彼は、彼女をこの城に連れてきたということ以外は、とてもとても優しかった。






城での暮らしが三ヶ月を過ぎた頃、彼女は自ら訪れる行商人の相手をするようになった。
オスカーは料理をはじめ家事のような作業があまり上手ではない。その為、彼女が自ら必要なものを見極めて買い上げるようになったのだ。
街道を使い近隣の町を回っているという気のいい商人は、はじめこそ彼女の顔を見て驚いたようだったが、すぐに親しく接してくれるようになった。二人の他に誰も住んでいない城について、知っていることを教えてくれる。
「ここは帝国の初代皇帝が若い時に住んでらっしゃった城なんだよ」
「初代皇帝? え、何でそんな城が……」
「そりゃあ不便なところにあるからね。昔は国境間近だったから要所としての意味もあったらしいけど」
今はたまに見物人が来るくらいだと、商人の男は品物を渡しながら笑って締めくくる。
別れ際に「奥さん」と呼ばれたリウクレアは複雑な表情で厨房へと向かった。
彼女が夕食の下ごしらえを始めると、オスカーがやって来る。
彼は嫌そうな顔をするリウクレアの髪を撫で、瞼に口付けると、買い上げたものを貯蔵庫に運んだ。
少し迷ったが、リウクレアは彼が戻ってくると商人から聞いた話をする。
「ここ、初代皇帝に縁のある城なのですってね」
「ああ……そうだな。もうずっと昔のことだが」
「そんな場所に勝手に住み着いていて怒られないの?」
いつか誰かが来て、追い出そうとするのではないか。彼女は町を追われた時のことを思い出しながらそう問うた。
オスカーは一瞬目を丸くすると、何故かおかしそうに笑い出す。リウクレアは眉を吊り上げた。
「真面目な話なのだけれど」
「いや。多分大丈夫だ。結界が張ってある。招かれた者以外は入れない」
それはあながち嘘でもないだろう。確かにこの城の外周には、なんらかの力が張り巡らされているのだ。
リウクレアはそれを破れないか試みたこともあるが、火傷が疼いてどうしても結界を越えることが出来なかった。
オスカーは膨れている彼女に気付くと、その頭を撫でる。
「それより、ヴェールをしていないのだな」
「ああ……」
一時期は必ず身につけるようになっていたヴェールを、最近はつけていない。
それは、彼女と顔を合わせる人間は馴染みの商人以外はこの男だけであり、また彼はまったくリウクレアの火傷を気にしていないということが原因だった。
あまり鏡も見ない彼女は、いつの間にか自分に火傷があるという意識さえ薄れ始めてきている。
リウクレアは男の手を逃れて二歩下がった。
「別に、どうでもいいでしょう」
「そうか。俺もどちらでもいい。ただ魔法を使いたくないというなら別の方法で封じることも出来るが」
男の提案は、リウクレアにとっては落雷のようなものだった。
彼女は闇色の目を見開いてオスカーを注視する。
「…………知っていたの?」
「ああ。その火傷は過度な魔力を動かすと痛み始めるよう、お前が自分で残してあるのだろう?」
そして、二度と人を傷つけないようにと。
彼女は大きな右目と潰れかけた左目で、男を見つめた。



意図的にやったことではない。ただ癇癪を起こしたら、あちこちに火がついてしまった。
その火と自分の力を恐れた彼女は、あえて治せる傷を治さないと決めたのだ。
そしてまだ固まりきっていなかった火傷の中に呪詛を縫いこんだ。大きな魔術を使おうとすれば、傷の痛みに耐えられなくなるようにと。
青年からの求婚を受けた時、躊躇いながらも消すことを選ばなかった傷痕。
リウクレアは左手の指先まで続くそれを、じっと眺める。
―――― 誰もこの傷痕の意味に気付かなかった。それでよかったのだ。これは彼女が望んだ自らの枷だ。
だが今、それを見抜いた男に、リウクレアは落ち着かない気分に駆られる。
いつものように左頬に触れた手が、やたら熱く感じられた。
男の低い声が耳に染み入る。
「俺が直接体内に封印呪を入れれば、あまり大きな力は使えなくなる。
 その後に傷を治せば痛みに苛まれずとも済むだろう。
 そうなればお前は、誰に引け目を感じずともよくなる。
 …………婚姻に反対していた者たちも、お前を見れば気が変わるだろう」
オスカーの表情は、自嘲に彩られた鎮痛なものだった。リウクレアは最後の言葉に驚いて男の服を掴む。
彼自身が壊してしまった婚姻を、今更後押しするような言葉が納得いかなかったのだ。
「どうして?」
「そのうち分かる」
男は普段と同じ苦笑を見せ、だが急に苛立たしげな顔になった。言葉にならぬ強い感情を含んだ眼が、彼女を射すくめる。
その一瞥に支配されそうになった。

驚いていたからか、見惚れていたのか、リウクレアは自分に触れる手を払いのけようとはしなかった。
左頬に触れていた手。その手が頭の後ろへと差し込まれ、体を引こうとする彼女を押し留める。
触れ合った唇。気が狂いそうな熱にリウクレアは目を閉じた。
泣きたいような胸の痛み。いつも男が自分に向けていた、未知の感情を思い出す。
憐憫ではない。同情とも違う。
もっと深く、穏やかで、時に狂おしいそれは――――



リウクレアが喉の奥で嗚咽を洩らすと、オスカーはゆっくりと顔を離した。
彼は、先ほど一瞬だけ見せた苛立ちなど、微塵も感じさせない眼で彼女を見つめ、その頭を撫でて厨房から立ち去る。
一人になったリウクレアは、途端襲ってくる不安に目を閉じた。熱の残る左頬にそっと触れてみる。
答は出ない。それは教えられることではない。
彼女のうちにあるものは、彼女自身が考えなければならないものなのだ。






オスカーの言っていた意味はすぐに分かった。
祖国から遠く離れた荒野の城。にもかかわらず、どうやって彼女のことを突き止めたのか、領主の息子がリウクレアを迎えに来たのだ。
商人たちからの噂で「顔に火傷のある黒髪の少女」の話を聞いた彼は、彼女こそが連れ去られた自分の花嫁に違いないと、僅かな供だけを連れウィリディス城にやって来た。
一月ほどはゆうにかかったであろう旅路。だがそれを苦に思うこともない青年の嬉しそうな笑顔に、リウクレアは驚愕と共に胸の熱くなる思いを抱く。
行商人が来たのだと思い普段着で庭に出てきた彼女を、青年は一言も責めることなく抱き締めた。
「ああ、ようやく見つけた。私のリウクレア」
―――― 頭が痛む。
彼女は、強くなる頭痛を堪えながら青年を見つめた。
ヴェールを被っていない顔を見て、彼の表情に憐憫が浮かぶ。
青年は自分の荷物の中から花嫁のヴェールを取り出すと、それをそっと彼女に被せた。
大きな闇色の瞳に向かって彼は頷く。
「さあ、屋敷に戻ろう。今度こそ君を必ず守るから」
「屋敷に……」
嘘のない優しさ。温かさ。
差し伸べられた彼の手を取った時、これでようやく人と共に暮らせるのだと安堵した。
今はもう遠い日のこと。リウクレアは涙の滲む目をまたたかせる。
「……あなたは、本当に高潔な方。偏見にも恐れにも捕らわれず、私を見てくださった」
「当然のことだ。君はとても優しい。誰もがいつか、それに気付くだろう。―――― どうしてそんなことを?」
強くなる頭痛は、彼女の思考をも蝕んでいくようだった。
リウクレアはこめかみを押さえ、かぶりを振る。
今だけは、この言葉だけは、「自分」が言わなければならない。
彼女は涙の零れる目元を押さえると、青年を見つめた。
「愛されるに足らぬのは私です。私はただ、あなたの優しさに縋った。
 愛情を知らぬまま、それを享受しようとした」
「リウクレア?」
「私は、あなたから人の愛を得ようとした。自分がそれを与えることなど考えもせずに」
温もりに飢えていた。だから、彼の優しさに飛びついたのだ。
その時まだリウクレアは愛を知らず、ただ安らぎが欲しかった。
青年は彼女の言葉の意味することを悟って、真剣な目を向ける。
「それの何が悪い。人並みの幸せを望むことが罪なのか?」
「私が、私を許せません」
リウクレアは青年の手を取る。白い右手と焼けた左手。二つの手に支えられた男の手の甲に、彼女の涙が滴った。
青年は息を飲み、彼女のヴェールに手をかける。
「君は…………それで幸福になれるのだね?」
「分かりません」
強く握った手。かつては何よりも求めた手を、リウクレアは自ら手放す。
彼女は一歩下がり、ヴェールを取り去った。非対称の目で青年に微笑みかける。
「ありがとうございます。私は、あなたと出会えて幸せでした」
心からの言葉に、彼は切なげな目を伏せた。だが彼は小さく息を吐くと、彼女に向かって穏やかな微笑を見せる。
「私もそう思っているよ。私のリウクレア」
リウクレアが差し出したヴェールを青年は受け取った。
二人は最後に頬を寄せ、そうして永遠に別れる。



これは、上手くいかなかった御伽噺だ。
彼女は一人、朽ちた城に帰る。
そこで待っていた男は、彼女を見て自嘲ぎみに微苦笑した。
「帰らなかったのか」
「ええ」
「何故だ? 火傷のことなら治してやれた」
「それはもういいの」
頭の奥がずきりと痛む。
眠り続けた熱情が狂おしく叫んでいる。
だが、それらの全てを押さえつけ、リウクレアはリウクレアとして言った。
「あなたの目を、好きになった。私の傷痕を受け入れる目。
 私の頑なさも枷も、あなたは当然のものとして見てくれた。だから私は」
もう、すぐに終わる。
リウクレアは息を吐き出した。
「私は、あなたの傍にいたい」
彼女は息を止める。
苦しかった記憶。止まない孤独に苛まれ、温もりに飢えた少女を―――― 悠久の女が飲み込んだ。
そうして目覚めた「彼女」は、闇色の双眸を瞬かせる。



左半分を焼く傷痕が、波が引くように消えていく。
潰れかけていた目が右目と同じ形に戻り、長い睫毛がしばたいた。彼女は少し首を傾げると、着ていた服を脱ぎ去る。
首筋から脇腹にかけて惨たらしく残っていた火傷が、女の視線を受け、顔のものと同様薄れて消えた。
彼女は白い左手の指をあげ、確かめるように五指を握ってみせる。
比類なき美貌の魔女。ティナーシャは元に戻った躰を見下ろし微笑んだ。
苦笑するオスカーに向かって魔女は飛びつく。彼は両腕を広げて軽い女を受け止めた。
ティナーシャは甘えるように男の胸に顔を寄せ謳う。
「さっきの続きを言ってもいいですか?」
「ああ」
「私は、ずっと貴方の傍にいます。誰よりも、貴方だけを愛している。いつまでも、永遠に」
変わりのない熱情の言葉。注がれる愛情にオスカーは微笑んだ。
朽ちた城、忘れられた歴史に、いつかと同じ温もりが灯る。



御伽噺はすれ違い、不幸な少女は姿を消す。
花嫁にならなかった彼女がその後どうなったのか。それは古く永き物語の新たな一頁に記されている。