近い距離

mudan tensai genkin desu -yuki

差し込まれた十指は、隅々まで丁寧に男の髪を洗っていった。
穏やかな時間。浴槽に浸かり目を閉じていたオスカーは、背後の妻に声をかける。
「寒くないか?」
「平気です」
白い腕と足が付け根付近まで顕になっている薄着。
夫の髪を洗うことに集中している魔女は、娼婦というより子供のような格好でその作業に取り掛かっていた。洗い桶を拾い上げ、中にお湯を取り寄せながらオスカーの髪を流していく。
独り身だった頃は女官たちに身の回りの世話をさせることを厭って、自分で何でもしていたオスカーだが、結婚後は妻に手をかけてもらうことを楽しみの一つとしていた。
繊細かつ強力な構成を組む白い指が、ただの女のように自分の為に動く様は、いつ見ても言葉にならない充足感を彼に抱かせる。
ティナーシャは用意していた布で、オスカーの髪の水気を軽く吸い取った。背後から微笑んで男を覗き込む。
「終わりましたよ」
「ありがとう」
「背中も流しましょうか?」
「んー……」
ありがたい申し出、ではあるのだが、オスカーは少し逡巡した。今まで何度か背を流してもらった時のことを思い出したのだ。
彼は躊躇いながらも、楽しそうに待っている妻に応えて浴槽を上がる。
ティナーシャは白い布を固く絞って、夫の広い背中に当てた。
鼻歌混じりに背を流し出した彼女に、オスカーはしばし沈黙する。
だがややあって彼は、ついに口を開いた。
「ティナーシャ」
「はい」
「お前、力ないな」
「…………え」
それは、仕方がないと言えば仕方ない食い違いだったろう。
彼が女官に入浴時の世話をさせる人間だったら、そうは思わなかったかもしれない。
だがオスカーは、今まで自分の体は自分で洗うことを常としてきた。
その彼にとって、一生懸命背中を擦っているはずのティナーシャの手は……くすぐったく感じられて仕方ないのだ。
これまでの何度かは黙って耐えてきた彼は、ようやく指摘してしまった事実に、背後の様子を窺う。
ティナーシャは愕然とした面持ちで自分の両手を眺めると―――― 当然の解決策を口にした。
「腕力強化しましょうか」
「その手があったか」
「貴方を基準でいいですか」
「じゃあ試しにそれで」
そういう手段があるならばもっと早く言ってみればよかった。
だが折角妻が楽しそうに自分の世話を焼いてくれているのに、その好意に水を差してしまう気がして、今まで遠慮していたのだ。
オスカーは、背後で再開された鼻歌に、自身もほっと一息つく。気が緩んだせいか、悪戯心が湧き起こった。
「後でお前も洗ってやろうか」
「猫は嫌ですよ!」
「そのままでもいいぞ」
「貴方、何処もかしこも力がありすぎますからね……」
正反対の危惧を口にする妻に、オスカーは苦笑する。
そうして彼は妻の頭を手招きすると「ちゃんと優しく扱ってるだろ」とその耳に囁いたのだった。