堕ちていく倦怠

mudan tensai genkin desu -yuki

周囲の人間全てを欺いて、まっとうな武官として振舞う。
―――― とある王族からもたらされたその依頼は、なかなか愉快な仕事に思えた。
飽きもせず淡々と舞い込んでくる人殺しの仕事。
代わり映えのしないそれらに、食傷とまではいかないが退屈を感じていたデファスは、二つ返事で問題の仕事を引き受けた。
王子の内偵として地方砦の様子を探りながら、表では部隊長として部下たちを取りまとめていく。
その生活は始めてみると、彼が思っていたよりずっと新鮮で……不思議と居心地のよいものだった。



眼前に突きこまれる剣。
その切っ先をデファスは、反射的に左手で外へと逸らした。
普段であれば短剣を使って防御するのであるが、今は武官として振舞っている最中である。
その為彼は本来持つ短剣の双剣ではなく、長剣一振りだけを目の前の少年に向けていた。
デファスは軽い痺れが走る左手を振る。
咄嗟に剣の平を狙って叩いたので怪我はないものの、そうまでせざるを得なかった相手の成長ぶりに、彼は舌を巻いた。
なおも追撃しようとしてくる少年に、蹴りを放って距離を取ると、デファスは左手を上げる。
「参った。降参」
「……またですか」
部下である少年は半眼で彼を睨んでくる。
だがデファスにはもう手合わせを続行する気がまったくなかった。彼は長剣を鞘に収めると肩を竦める。
「ちょっとは年上を労われよ。俺は休憩」
「隊長、ちょっとは隊長らしくしてくださいよ」
そのようなことを言われても、これ以上手合わせを続ければ、デファスは本来の戦い方に戻らざるを得なくなる。
それくらい相手の剣は鋭さを増していて、彼は部下の相手をすることが恐ろしくもあり楽しみでもあった。
訓練場の中央から下がって砦の壁に寄りかかった男は、こみ上げてくる欠伸を噛み殺す。
広がる青空。ふと見上げると、砦の窓から一人の女が訓練場を見下ろしていた。
この砦でもっとも美しいと言われる女。貴族の愛妾である彼女が、微笑を浮かべてじっと誰かを見下ろしている様を、デファスは皮肉げな目で見やる。
「見てくれが整ってりゃ、好きにしてても不自由はないってか?」
だがそれも、平穏があればこそのことだろう。
誰しもが認める寧日。
けれど彼はその終わりを知っていた。

「婚歴のある女、ね」
食堂を出たデファスは、肩越しに今まで座っていた場所を振り返る。
そこにはまだラジュが座っていて、半ば頭を抱えるような姿勢でスープを口へと運んでいた。
何処から見ても悩んでいると思しき部下の様子に、デファスは喉を鳴らして笑う。
「まだまだガキだな」
青いところがあるからこそ、年上のくだらぬ女になど引っかかってしまうのだろう。
そんな女を相手にせずとも、あと数年もすればラジュはおそらく、どのような女でも好きに選べるような器量になるに違いない。
だがデファスはそう思いこそすれ、踏み込んで忠告をしてやる気などはまったくなかった。
好きに拘り、好きに痛い目を見ればいいのだ。若い時分にはそういった経験も必要だろう。
―――― そこまで考えて、彼は不意に自嘲を浮かべる。
武官としての自分は見せ掛けで、本来はそうではないことを思い出したのだ。
この事実をラジュが知ったなら、あの少年はどんな顔をするだろう。
教えられたこと多くのことさえも無意味だと思うだろうか。
しかしたとえそうだとしても、別にデファスの知ったことではない。
人にはそれぞれ生き方がある。結局はただそれだけのことなのだ。

仮初の生活は、思っていたよりずっと楽しかった。
だがそれは、捨てることに痛痒を覚えるような暮らしでもなかったのだ。
事実ここ十年、デファスは何かに対し喪失感や未練を覚えるということはなかった。
だから彼は、何の抵抗もなく目をかけていた少年へとその剣を向けた。

本来の双剣へと戻ったデファスの攻撃。
ただの兵士ならば受けることさえ難しいそれを、ラジュは顔を顰めながらも何とか捌き続けた。
これは本当に似た動きをする相手と手合わせをした経験があるのだろう。
デファスは忌々しさを感じながらも、同時に「勿体無い」という感情を覚え始める。
―――― 今ここで、この少年を殺してしまうのは惜しい。
自分でも意外なその感情に、デファスは皮肉さを覚えて口の端を上げた。
「お前を今死なせるのは惜しい。気が変わったと言えよ」
「残念ながら」
即答での拒絶。
だがそれも、無理はないだろう。
この少年が執着する女とは、あの傾国だったのだ。
美しく、だが危険な女。
彼女をも標的とするデファスの誘いに、ラジュは決して乗ることはない。
それがどれほど自身を窮地に追い詰めようとも、捨てられぬ拘りを人は持つことがあるのだ。
かつて子供だった彼自身そうであったように。

最後に喪失感を覚えた時のことを、彼はもう思い出さない。
ただ今は、少年の未来を惜しみながら剣を振るうことが純粋に楽しかった。
あと数ヶ月あれば互角以上になったかもしれない相手。
ついに毒刃によって膝をついたラジュを、デファスは微笑んで見下ろす。
「最後だ、小僧」
この仕事が終われば、待っているものはまた代わり映えしない殺すだけの日々だ。
デファスは退屈と倦怠の予感に笑うことをやめると―――― 右手の長剣を無言で振り下ろした。