岐路を辿る

mudan tensai genkin desu -yuki

「おとうさん、わたしもやる!」
小さな右手が真っ直ぐに伸ばされる。
好奇心と真剣さが混じり合った闇色の瞳に、ルースは「ついにきた」と身構えた。包丁を手に四歳の娘を見下ろす。

「彼女」と共に暮らした永い年月。その大方において「彼女」は非常に料理上手であった。
永遠を連れ添う妻がそうであるということは、彼にとって非常に幸運なことであろう。実際ルースはある時までそれを当然の権利として享受してきたのだ。
だが、「彼女」の料理は必ず美味である、という先入観は、ある時覆された。
いくら「彼女」であっても、子供の頃からちゃんとした食事を採って、ちゃんと料理に親しんでこなければ、厨房を破壊するまでの惨たらしい代物しか作れない。そのことを彼は、身をもって思い知ることになったのである。

ルースは決して料理が得意ではない。
それは既に故人であるミミの母親が、彼の料理過程を見て「何それ……」と洩らしたことからも明らかだ。大体の作り方が大雑把すぎて、味も大雑把になる。
だから、このまま彼の料理法を見て、彼の料理を食べ続けて育てば、ミミも残念な腕前になってしまう可能性が少なくない。
ルースは運命の分岐点とも言える瞬間を迎えて、慄きの目で娘を注視した。ミミは不思議そうに両眼をまたたかせる。
「おとうさん、やる!」
「あ、ああ……ちょっと待った」
「やる!」
「待て。やらせてやるからちょっと待て」
必死に伸ばされた手の届かない場所に刃物を置いてしまうと、ルースは真剣に悩んだ。悩んで悩んで悩んだ結果、ある結論を出す。
「よし、ミミ。今日は外で食べよう」
「やるの! やるの!」
「坂の下の食堂に行こう。あそこなら厨房が見える」
「やー!」
日頃から懇意にしている食堂を目的地として、彼は暴れる娘を抱え家を出た。
近所の人間の温かい含み笑いを受けつつ、騒ぎ立てるミミと共に坂の下へたどり着く。

テーブルから硝子越しに厨房が見える小さな店は、ミミの好奇心を存分に満たしてくれた。
その上で美味しい料理を食べながら、ルースは店の主人に「出来たら娘に料理を教えてやって欲しい」とお願いする。
日頃からミミを可愛がってくれている主人夫妻はその頼みを快諾し―――― 結局、彼女は年の割りに料理上手な娘となった。
無事運命の岐路を乗り切ったルース。だがその代わり彼は、後に娘から「お父さんの料理って……」と言われるようになったのである。