水桶に沈む

mudan tensai genkin desu -yuki

元々仔豹であった頃から、リグは水浴びが好きではなかった。
それでも庭で転がって埃まみれになる度に、ルースはなだめすかせて何とかこの黒豹を洗ってきたのだ。
しかしそんなリグも、返り血にまみれた時などは比較的素直に、というより諦めて自分から洗い用の水桶に入った。
―――― だからこそ彼は今、この有様に呆れた顔になってしまっている。
彼の手の届かないところで身構えている黒豹に、ルースは疲れた声をかけた。
「いいから来い。ちょっと流すだけだ」
彼と共に戦場に出て、埃と血の匂いがついてしまった黒豹。
その体をさっきから水で洗おうとしているのだが、リグは慌てて彼から遠ざかり距離を取ったままで、一向に言うことを聞こうとしない。闇色の目を見開いて用心している豹に、ルースは白い眼を向けた。
「シェライーデ、人に戻ってから洗えばいいと思ってないか?」
彼の言葉を肯定するように黒豹は尻尾を上げ下げする。
しかし見出されかけた希望を打ち砕くように、ルースはきっぱり言った。
「駄目だ。今流せ」
大きな桶に溜められた水を、彼は少し手で掬ってリグの方へととばす。豹は慌てて飛び退いた。
ルースは目を細めてその様を睨む。
「シェライーデ。怒るぞ。俺は暇じゃない」
中庭に溢れる妙な緊張感。
黒豹はその言葉を聞いて、少なくない衝撃を受けたようだった。
やがて頭を垂れ、のろのろと彼の前へ戻ってくる。いやいやの仕草で水桶へと入る豹に、ルースは大きく頷いた。
「最初から言うことを聞いておけ。艶々にしてやるから」
水をかけ、血落としの薬を薄めて己の体を洗い始めた男に、豹は「きゅー」と情けない声を上げて鳴いた。何だかめそめそしているようにも思える様子に、ルースは少しばかり罪悪感を覚えながらも手を休めることはしない。てきぱきと埃を落として濡れた毛並みを布で拭いていく。

数時間後、女の姿に戻ったシェライーデは「毛が濡れるの嫌なんですよ……」と零しつつ改めて風呂に入りなおしたのだが、ルースにはその違いがまったく分からなかった。
ともあれ、彼の黒豹はそれからしばらく元の艶やかな毛並みを取り戻したのである。