神秘的な痕跡

mudan tensai genkin desu -yuki

彼らは、魔女の青い塔を制覇した最初の達成者だった。

最上階の部屋は、それまでと異なり窓から解放的な眺めが窺える作りになっていた。
物の少ない部屋。広すぎるそこはがらんとした印象を与え、ここに住む者の拘りのなさを思わせる。
膝に両手をつき圧し掛かる疲労と戦っていた男は、そんな部屋を見回しようやく体を起こした。隣でしゃがみこんでいる女に手を伸ばす。
「ほら、行くぞ」
「平気かな……殺されない?」
「そんなこと言っても、折角ここまで来れたのに。―― お前は行くだろ?」
「行く」
二人の背後で息を整えていた少年は、頷いて足を踏み出した。
その様子を見て女も覚悟を決めたのか立ち上がる。三人は恐る恐る、奥の部屋へと進んだ。
開かれた扉越しに小さなテーブルと、その上に置かれた茶器が見える。
「あ、本当に来たんですね」
魔女の第一声は、そのようなものだった。
感心しているような驚いているような声音。
三人はそこにいた黒髪の少女を見て、思わず唖然と口を開いてしまった。
それくらい「彼女」は美しく―――― そしてその姿は彼らの抱いていた想像と、大きく食い違っていたのである。

ティナーシャと名乗った彼女は、不機嫌そうな顔で彼らの話を聞いた。
まず、数年ぶりに帰った故郷の村が、水不足で困っていたこと。
その原因は川の上流に建てられた貴族の城が、余興として城内に川の水を引いた水路を張り巡らせている為であること。
村人たちは何度も貴族に抗議したが、武力を盾に跳ね除けられたこと。
彼らはその現状を何とかして、村に水を取り戻したいということ。
「なるほど。理解しました」
「あの、難しいか? 水量を増やしたりってのは」
「出来ますよ。地図持ってますか?」
魔女はそっけなく問うたが三人とも首を横に振った。
つい数年前まで大陸中を覆っていた戦乱の影響で、普通の人間にとって地図はまだ簡単に入手出来る代物ではなかったのだ。
代わりに女が簡単な位置関係を手描きで示すと、ティナーシャは頷く。
「ちょっと水脈を弄りましょう。城よりも下流に新たな流れを加えれば問題ないですよね」
「あ、ああ……」
「じゃ、行きますか」
何がそんなに面白くないのか、初対面から憮然とした表情を崩さない魔女は、その場に転移門を開いた。
そこから村付近の街道へと出た三人は、何だかんだであちこち引きずり回され……だが結局その日の夕方には、元通り村には水の恩恵がもたらされたのである。

澄み切った流れを湛える川は、記憶の中にあるものと同じように見えた。
川べりに座っていた女は安堵の溜息を洩らす。
仲間である男が「魔女の塔に上って叶えてもらおう」と言い出した時にはどうしようかと思ったが、その願いはちゃんと魔女の手によって叶えられたのだ。
死ぬような目にもあったが、塔を上りきった甲斐はあった、と彼女は思う。女は隣に立つ魔女を見上げた。
「あなたって、どうしていつもそんな顔してるの?」
「そんな顔ってどんな顔ですか」
「機嫌の悪そうな顔」
比類なき力を持つこの魔女が、伝え聞く話とは異なり、意外とよく気がついて優しいことを彼女はもはや分かっている。
基本的に、ティナーシャは情のある人間なのだ。
ならばもっと柔らかい表情をしていればいいのに、と思う彼女に、しかし魔女は難しい顔で首を捻った。
「別に機嫌は悪くないんですけど、ずっとこういう顔をしてましたからね。もう固定されちゃったというか」
「なんでそんな顔してたのよ」
「人付き合いが好きじゃないんですよ。昔色々ありまして」
腕組みをしていた手をほどいて頭を掻く魔女は、瞳の中にふっと苦笑を浮かべる。
それは人間嫌いというよりも、人との関係に慣れていないだけのように、女には見えた。
彼女は膝を抱えて空と魔女とを見上げる。
「笑いなよ。私はそうしてきたよ。辛い時とか苦しい時とか。そうしてるといつの間にか楽になる」
「貴女は強い人ですね」
「そうでもないけど。あなたの塔で何度か落ちそうになったし」
「いえ。羨ましいです」
魔女は目を閉じて微笑する。
幼い外見ながら悠久を思わせるその姿は夕日に映えて、何処か物悲しい郷愁を女の胸に抱かせたのだった。

達成者の望みに応えた魔女は、来た時と同様唐突に彼らの前から姿を消し、元の塔へと帰っていった。
上流にあった城は一月後、何故か水路より生い茂る草木に埋もれ、人が住むことの出来ぬ場所になったらしい。
蔦の這う廃墟となった城は、その後二百年の間、近くの街道を行く者に神秘を思わせる光景を見せ続けた。
その発端に一人の魔女がいたことはけれど、誰も知らぬ真実なのである。