銀色の花

mudan tensai genkin desu -yuki

花に色をつける行為は、とても自由なものにクリュアの目には見えた。
父の指示によって姉たちが絵筆を取って行うそれは、美しく繊細で、加えて遊び心が必要なもののように思えたのだ。
幼い彼女は常日頃、そうして羨望を持って泉の傍で行われる姉たちの仕事を見ていたが、ある日自らもそっと絵筆を取って花に色をつけようとした。
だが彼女が鮮やかな赤を選んで筆に含ませた途端、目ざとく見つけたすぐ上の姉がそれを留める。
「だめよ、クリュア。あなたはお父様にお許しを頂いていないでしょう?」
「すこしだけよ。この花だけ」
「だめ。さあ、筆を返して」
目の前に出された掌に、けれどクリュアは不満顔を見せただけだった。筆を持ったまま後ずさり、姉の手を逃れようとする。
力の篭った赤い雫が草の上に落ち、姉は顔色を変えた。幅広の葉についた赤い斑点を見て、次に妹をねめつける。
「返しなさい、クリュア。あなたはまだ何も分かっていないのだわ。だからこんなことをしてしまうのでしょう」
「すこし、こぼしただけよ」
「クリュア、あなたは……」
きつい声音になった姉に、クリュアは身を竦めた。
このように怒られることは初めてではない。むしろ日常茶飯事だ。
奔放な末娘の彼女は、他の兄姉たちからみると無鉄砲で気紛れが過ぎるらしく、兄たちはそれほど口煩く説教することはないが、姉たちは皆、程度の差こそあれ彼女を叱ることが多かった。
すぐ上の姉は、クリュアが縮こまってしまったのを見て口を閉ざす。
納得していないという意思を明らかにする妹の目に、彼女は溜息をついた。
「わかったわ。いらっしゃい」
手招きする手に、クリュアは用心しながらも従う。
他の姉たちであれば問答無用にあしらわれることもあるのだが、彼女は年が近いせいもあって、比較的クリュアに寛容だった。
姉はクリュアを隣に座らせると、新しい筆を取る。
「この花はね、病に効く薬草の花になるのよ。とてもとても強い力を持った薬草」
「赤がいい」
「待って。少し聞いて、クリュア」
五枚の花弁から成る白い花は慎ましやかで、姉の言う「強い力」がどのようなものなのか、クリュアには分からなかった。
彼女は退屈を覚えて、持っていた筆を赤の壷に戻す。姉は微笑してクリュアの髪を撫でた。
「でもこの花が咲く場所は日の差さぬ森の中。滅多に人の入れぬ場所」
「どうして? 病に効く花なら近くに咲いた方が便利なのに」
「容易く手に入るものにするには、この薬草は強すぎるの。長く体に入れ続ければ人の精神を蝕むわ」
「ならもう少し弱くしたら?」
何故それほどに強い力を持たせるのか分からないと、強く顔に出す妹を見て、姉は苦笑した。白い花弁に指を触れる。
「それでも、そういうものが必要となる時もあるのよ。希望と絶望の両方が必要とされる時が。
 だからこの花は強い意志を持った人間が、探して探して探し続けた果てに、ようやく見つけられるものでなければならないの」
教え諭す姉の言葉に、クリュアは不思議な情景を思い浮かべる。
それは暗い森の中、一人の男が奥へ奥へと進んでいく―――― そんな光景だ。
男は手にも足にも細かな傷を負って憔悴している。だがその目だけは意志の光を帯びて、前を向き続けていた。
やがて彼は、ようやく辿りついた深奥で、捜し求めていた花を目にする。
その花の色は――――
「なら、銀がいいと思う」
「クリュア?」
「銀色にすれば、暗い森の中でもよく見えるでしょう? きっと見つけた人は喜ぶわ」
クリュアの指は、銀の液体が湛えられた壷を指した。姉は僅かに瞠目し、けれど顔をほころばせる。

全てのことには理由がある、気分で選んではいけないと、姉たちは彼女に注意する。
その意味が今まではよく分からなかったのだ。だが今は少しだけ、分かる気がする。
クリュアは、震える手で銀の花を摘む男を想像し微笑んだ。姉の筆が、銀の壷へと伸ばされる。

「さあ、塗ってごらんなさい。あなたがはじめて生む花だわ」
「いいの?」
「ええ。お父様にはわたしからお伝えしましょう」
渡された筆と花を、クリュアは順に見下ろす。
そうして不意に嬉しそうな笑顔になると、彼女はそっと筆先を白い花弁の上に乗せたのだった。