ひとかけらの残照

mudan tensai genkin desu -yuki

一目で彼女と分かった。
一目で彼女ではないと分かった。



彼にとって長く嫌悪と妄執の対象であった大国ファルサス。
それは、彼の母が残した因縁によるものだったが、その因縁の誤解が解かれた今でも、オルトヴィーンはすっきりとした気分で彼の国に向かうことが出来ずにいた。
その理由の一つには、ファルサス国王である彼の従兄弟が、なかなかに癖のある性格だということもあるだろう。
久しぶりに呼び出されたファルサスで、機嫌よく意味不明な話をしている従兄弟を、オルトヴィーンは覚めた目で見やる。
「それで? 俺はもう帰ってもいいのか」
「まぁ待て。レティがいなくなってから、しょうもない話を話す相手がいない」
「帰る」
すかさず踵を返したオルトヴィーンの目の前で、しかしちょうど執務室の扉が叩かれた。
部屋の主の「入れ」という声に応えて、一人の女が入室してくる。
その女を見て、オルトヴィーンは思わず硬直してしまった。当の女本人も彼を見て目を丸くする。
「あれ?」
「何しに来た、魔女。俺の退屈しのぎにつきあう気があるのかー?」
「まったくありません。お菓子売って下さい」
「ファルサスはいつから菓子屋になったんだ?」
国王に対し物怖じせず受け答える姿は、以前の「彼女」と同じで、だが決定的に違っていた。
押し黙る彼に闇色の瞳が投げかけられる。
「オルトヴィーン? お久しぶりです」
「……リースヒェン」
それは彼女の名であって、彼女の名ではない。
今のオルトヴィーンは、彼女の本来の名を当然のものとして知っていた。
だがどうしてもその名を呼ぶ気にはなれず、彼は再び沈黙する。
背後からファルサス国王がその様を面白がるように見やった。

今、ここで彼女と再会する以前、ドラゴンで飛ぶ彼女を遠目に見たことがある。
その時も一目で彼女と分かったのだ。
だが、その彼女はもういない。

「この私とお会いするのは確か初めてですよね」
「ああ」
「あの頃は大変お世話になりました。色々と……感謝しています」
彼女の謝辞が明快なものとならないのは、その過程においてオルトヴィーンが彼女の祖国を滅ぼした為だろう。
かつてリースヒェンだった彼女は、自分の中に善悪の基準を持っていなかった。
だが今の彼女は女王とも呼ばれた存在なのだ。短絡的なオルトヴィーンの行いに、何も思っていないはずがない。
女はしかし、そのような苦さを感じさせつつも、悠然と美しく微笑む。
「もし何か私の力が必要なことがありましたら、言ってください。貴方がくれた恩に一度だけ応えましょう」
そして二度は応えない。
彼女の力は膨大すぎるものなのだ。
オルトヴィーンは目を伏せる。ほんの一瞬の間に色々な記憶が甦った。彼は自嘲ぎみに唇を上げる。
「いや、その必要はない。お前が残していった技術で充分だ」
「ならいいんですけど」

初めて会った時、一目で彼女に惹かれた。
それはおそらく、彼女の容姿が亡き母親に似ていることと無関係ではなかっただろう。
長い年月を経て過去から解放されたオルトヴィーンは、ただ一人の王に従う魔女を遠き目で見やる。

「菓子だけの為にここに来ているのか?」
「そうなんです。あんまり表に出たくないんで、執務室前に転移で」
「お前がそういうことするから、目撃した女官が怖がってたぞー」
同じ血を持ち、別々の道へ分かれていく三人は、束の間の邂逅に分かりあえぬ言葉を交わす。
そうしてオルトヴィーンは新たな犠牲者と入れ替わりにファルサスを去ると、己の国へと帰っていくのだ。