守るべき望み

mudan tensai genkin desu -yuki

ライラが生まれた時、彼女は父親の主君である女王から直接祝福を賜ったという。
だが当然彼女自身にその時の記憶はない。
あるのは、王の子たち三人と引き合わされた時、件の女王が美しい声で自分の名を呼んだということだ。
トゥルダール最後の女王と言われる彼女。
ティナーシャは、幼いライラが拙くも「じょおうへいか」と呼ぶと、笑って「あなたはファルサスの人間でいてください」と囁いた。



「フィストリア様! ちゃんとなさってください!」
転移の構成を組み逃げ出そうとしていた王女。彼女は、ライラの一声によりびくっと構成を崩した。
悪戯を見つかった時の子供のような目で、やってきた魔法士を振り返る。
「ライラ……」
「式典に王女が欠席なさったなんて分かったら、他国の方々に何と思われますか!
 ほら、支度いたしましょう」
「うぐぐぐぐ」
歯軋りするフィストリアを、ライラは鏡の前に連行すると化粧を施し始める。
母親に瓜二つと言われる顔立ち。繊細な芸術品とも言える貌に手を加えていく過程は、いつも穏やかな狂おしさをライラに呼び起こした。
彼女は王女の顔に下地を施してしまうと、長い黒髪を結い上げにかかる。
馴れた手つき。だがフィストリアは口を尖らせて鏡をねめつけた。
「大体、私がいたっておかしな奴らが寄って来るだけだし……。ルイスを女装させて置いとけばいいじゃない」
「お似合いになりませんから。皆様が慄かれるだけです」
ファルサスと関係を深めたいと考える諸国の人間にとって、未婚の王女であるフィストリアは通り過ぎることの出来ない存在である。
だがそれに加えて、亡き王妃と同じ存在、つまり「魔女」であることが、彼女に対する人間たちの態度をいささか不明確なものとしていた。
注がれる偏見の目に慣れきって動じないフィストリアは、鏡越しにライラを見上げる。
母親と同じ闇色の瞳。それは、かつて滅びた魔法大国を髣髴とさせる神秘を宿していた。
微笑み一瞥するだけで人の精神を捕らえたという王妃。
その美貌と同じ顔立ちを持つフィストリアは、稚気をちらつかせて鏡の中笑う。
「どう? 母様の振りをしてみたら、みんな驚くかしら?」
異国の招待客にとって、既に死した王妃は一種、畏怖の対象でもあったのだ。
その彼女の振りをしてみようかとたちの悪い悪戯を提案する王女に、ライラはにっこりと笑んで返した。
「いいえ。フィストリア様はちっともティナーシャ様と同じには見えませんわ」
「むう」
「ですからきっちりお支度なさってください」
艶やかな黒髪を手の中で結い上げながら、ライラは自身が仕える王女を見やる。
母親と同じというその顔を、だが彼女は確かにまったくの別人と認識しているのだ。
ティナーシャはティナーシャの、フィストリアはフィストリアの空気をそれぞれ持っている。
そしてその意識こそが、あの日王妃が望んだことでもあるのだろう。
ライラはトゥルダールではなく、ファルサスの魔法士である。
それを彼女は日ごと、王の子たちと触れ合うことで実感するのだ。
「お綺麗ですよ、フィストリア様。諸侯の度肝が抜けるほどです」
「そう? 気に入らない奴ふっ飛ばしても許されるくらい?」
「多分、ルイス様は許してくださらないかと」
二人は顔を見合わせると声を上げて笑い出す。
花の香料が甘い香を漂わせる部屋の中、その笑声はよく響いて空気の中に溶け入っていった。