満たされない夢

mudan tensai genkin desu -yuki

夢を見る。夢の中で生きたいと思う。

瞼を開ける時、ティナーシャの意識はまだ現にはない。
彼女は緩慢な動作で腕を上げると、白い指を天井へとかざす。
現実を思い出すまでの時間は、緩やかな下り坂にも似ている。
一歩一歩を確かめ下りていく時間。
そして彼女は今日も、絶望を思い出した。

彼女の愛する男は、強い人間だった。
それは精神的な意味に限らず、あらゆる場面において彼は困難を乗り越えてきた。
だからティナーシャは、無数の繰り返しにおいても彼を喪うという経験をしたことがなかったのだ。
可能性を考えながら、だがあるはずがないと思っていた喪失。
けれどその瞬間は唐突にやって来て、彼女をひどく打ちのめした。
「オスカー」
呟いた名の響きは、心の中にまた一つ染みをつくる。
乾いた壁は黙したままで、窓硝子の外には埃が積もっていた。
もう一人の朝を九十年以上も迎えている。今更涙を流すことはない。だが悲しみは減らなかった。
ティナーシャはようやく体を起こすと、力の入らぬ足を床の上に下ろす。
―――― ゆっくりと狂っていく。
今の状態は、そう言い表すしかないだろう。
彼女の精神にはいつの間にか大きな虫食い穴がいくつも出来ている。
ただ夢の中でのみ、彼に会い彼に触れ、安らかな時間を得る。
いつも目覚めるたび彼女は、夢の中に戻りたい衝動と戦っていた。
ティナーシャは吐く息と共に、己の体を両手で支え立たせる。

狂っていく、と思う。
けれど同時に、踏み止まらなくてはと思えるのは、彼の言葉があってこそのことだ。
「人はどんな悲劇でも越え得る力がある」
その強さに応える為に、ティナーシャは今日も自分の足で立つ。
そして彼を探す構成を組み――――
「……本当に?」
彼女は闇色の目を見開いた。



遠く東の国へ跳ぶ。
もどかしく構成を組んで、彼女はその場へと現れた。
山の木々の中、見覚えのある少年に向かってティナーシャは抱きつく。

会いたかった。
会いたかった。とても。ずっと。
愛している。触れたい。触れて欲しい。
手に入れたい。入れて欲しい。名を呼んで。支配して。
―――― 愛している。

背を叩かれる。
懐かしい感触。ティナーシャの目に涙が滲んだ。優しい声が聞こえる。
「迷子? 大丈夫だから落ち着いて」
綻びに注がれる温もり。
この旅路は絶望ではないと、彼女はようやく知る。信じられる。
そうして魔女は再び出会った彼を見つめると、拙くも微笑んだ。
もう夢を恋う必要はない。