論理

mudan tensai genkin desu -yuki

元の世界には「論理哲学論考」という本が存在することを、雫は知っている。
読んだことはない。もっとも人文系の学生であった彼女だ。異世界に落ちることなく進級していたなら、いずれ読んでいた可能性が高いだろう。
だが結局彼女は、「論考」を読むことがなかった。
その本の存在を思い出したのは、家に届けられた分厚い三冊の本の題名が「魔法論理論考」であった為だ。
居間のテーブルの上に鎮座した紺色の背表紙。
頭の上に落ちてきたなら死ねるかもしれないという重くて固い本を目にして、雫は興味津々で頁を捲る。
「何が書いてあるのかな……って何にも分からない」
「インクが滲んでるとか?」
「いえ、書いてあることは分かるんですが、意味が分からない。……うわっ!」
いつの間にか背後に立っていた夫は、腕を伸ばして本の一冊を手に取った。第一巻と書かれているそれをぱらぱらと捲り始める。
「うん、問題ない」
「研究で必要なんですか?」
「いや、趣味」
「へえ……」
雫も勉強は好きだが、彼には負けると思う。
むしろ彼が空き時間を読書以外で過ごしているところを見たことがない。
椅子を引いた彼女は、夫の向かいに腰を下ろした。
「魔法論理ってどういうことなんですか? 魔法理論と一緒ですか?」
「違うよ。魔法論理ってのは、魔法と、言語の与える表象の相関性について論じる学問だ」
「よし、久々に意味が分かりません」
「代表的なものは、詠唱研究だ」
「あー……大体理解」
魔法構成を作るうえでサポートの役割を果たす詠唱とは、それをただ読み上げればいいというものではない。
詠唱と結びついたイメージこそが重要であり、その定義などは術者によって大きく左右されるものらしいのだ。
魔法論理とはそういった問題を扱う学問なのだろう。納得した雫は、第三巻を手に取ってみる。
「これってつまり、確固たる表象を得られるなら詠唱が『ぽんぽんぷー』でもいいってことなんですかね」
「それで確固たる表象を得られる人間がいたら、精神の不安定を疑わざるを得ない」
「全然サポートになってませんね。むしろ足引っ張ってますね」
「精神の不動を保つ訓練の一環としては、有効かもしれないけどね。ああ、王妹に進言してみようか」
「ちょっ……私が言い出したって絶対言わないでください」
「なんで」
この家においては戯言と真面目な話の間には境界線が存在しない。
今日もそのことを思い知りながら、雫はお茶を淹れる為に席を立ったのだった。
あとで三冊の本を本棚に収納する為、スペース確保に苦労した。