剣と盾

mudan tensai genkin desu -yuki

広い川を渡る橋はその時、両連合軍が激突する戦場となっていた。
昨日までの長雨のせいで水量が増した流れを、ティナーシャは目を細めて見下ろす。
実質の独裁者である彼女は、通常前線に出ることはない。戦場に出ることさえそう多くないのだ。
だが今の彼女は黒衣に身を包んで、橋の東の袂に立っていた。
対岸までの距離は、騎馬兵が全速で行軍をして二十分程。だが現在橋の西側には敵軍が布陣している。
お互いここから先には相手を通したくないと思っている要所であるからして、衝突はまぬがれないだろう。
ティナーシャはまとめた髪からこぼれ落ちた一房をかきあげる。枯れ草を踏んで傲然と在る美しい女を、他の指揮官たちは横目で窺った。川からふっと視線を外した彼女は、後ろに控える部下へと問う。
「向こうの動きは?」
「まもなく動き始めるかと」
「そう。ではこちらも動こうか」
彼女が軽く手を払うと、途端に周囲は忙しなく動き始めた。
ティナーシャは再び茶色く濁った川へと目を向ける。その遥か向こうの対岸には敵軍の姿が小さく見えた。
彼女はそこで指揮を執っている男を思って、薄く微笑む。
「さて、どう出ますかね」
用意した軍は、敵の数を軽く上回る。
相手もそれを知ったからこそ、この橋で迎え撃つことを選んだのだろう。
しかし正面から素直にあたるだけではいずれ数の少ない方が押し切られる。
その不利を彼がどう覆すつもりなのか、ティナーシャは伏せられた手札が捲られる時を待っていた。
手持ち無沙汰に護身用の銃を引き抜こうとした女を、付き従っていた護衛官が止める。
「おやめください」
「撃ちませんよ」
「皆が動揺しますので」
それはどういう意味でなのか、ティナーシャは問いただしたくなったが、面倒なのでやめた。
先日撃った時には、護衛の鼻先を銃弾が軽く掠めたが、わざとではないので大目に見て欲しい。
そもそも魔法なら外さないのだが、それは現状禁じ手だ。ティナーシャは人として勝負している。それは彼もそうだった。
「人として勝負してあの才覚なんですから、腹立ちますね……」
「何か仰いましたか?」
「こっちの話です」
橋を行軍している自軍を、彼女は腕組みして眺めた。
ふと思い立って構成を組む。一人の男の魔力を捜し居場所を特定する為の構成を作り、その場に放った。
反応はすぐに返ってくる。男は確かに、目の前の橋を遠くから少しずつ近づいてきている。
―――― まるで世界の全てが闇で、そこにたった一つの光が浮かんでいるかのようだ。
魂を焼く憧憬と恋情。そしてそれとは別の高揚に、ティナーシャは笑う。
彼に支配されていない今、精神が得ているものは不均衡な自由だ。
その自由が、彼女の属性にささやかな熱を吹き込む。
「一度本気で戦ってみたくなりますね」
独りごちたつもりの言葉は、しかし護衛官には聞こえていたらしい。怪訝そうな顔で問い返される。
「この戦闘でですか?」
「いえ。きっとそんな機会は永遠にないでしょう」
この自分で、死力を尽くして、彼に挑んでみたい。
命を奪う火花を散らして、地を焼き天を割いて、極上の力で王たる男を撃つ。
それはきっと甘えに似た欲望だ。気紛れよりも真摯な空想。
ティナーシャは目を閉じて微笑んだ。今すぐ彼のもとへ、彼を殺しに行きたい衝動を抑える。
「ご機嫌がよろしそうですね」
「ええ」
濁った川の流れを見下ろす女は、自分だけの思考から離れると踵を返した。
戦場に残る部下たちへ、簡潔な命を下す。
「速度を上げて押し切れ。策を挟む余地を与えるな」
「かしこまりました」
「私はディクハの方へ行く」
この戦闘の勝敗がどう転んでも、次の手は必要になる。むしろそちらが本題と言っていい。
黒衣の女は本営から去りつつ、一度振り返って橋を見た。
「―――― 会える日を楽しみにしています」
その声は男までは届かない。彼女はそうして、新たな駒を盤上に置く。



かつて城の一室で、似たような遊びをしたことは彼は覚えているだろうか。
最後の形を作る為に、駒を戦わせ札を並べた思い出。剣と盾を打ちあわせ入れかえて勝負をした。
今の二人は、あの時の遊びをなぞっているのかもしれない。
そしてそうであるなら最後には、彼に会うことが出来るだろう。
何一つ問題はない。だから、終わりの時が楽しみだった。