夢幻

mudan tensai genkin desu -yuki

城の回廊から見える景色は、気温の高さをまったく感じさせない整然とした佇まいだ。
均一に刈り込まれた庭木は日の光の下で瑞々しい輝きを放っており、その向こうには白い城壁が染み一つない荘厳を主張している。
風に揺れる草は青緑の絨毯のようで、彼女の立つ回廊からは白い飛び石が点々と庭木の向こうまで続いていた。
かつて子供だった頃、よく皆でここを駆けていったとジウは思い出す。
或いは、そうして過去に思いを馳せること自体、大人になってしまったということなのかもしれない。
彼女は、自分の中でもっとも変化を示しているだろう大きな腹を見下ろした。
隣に控えている使い魔のメアが、身重の主人を気遣って問う。
「暑くありませんか? 部屋に戻りますか」
「平気。いい気分転換になるし」
実際ファルサスの暑さに慣れきった彼女は、長袖の服を着ていても汗一つかいていない。
直接日にあたる場所にいるわけでもなし、そう大したことではないだろう。
ジウは目を細めて薄い青空を見上げた。深呼吸しようとした矢先、不機嫌そうな声がかかる。
「何やってるんだい、そんなところで」
「……陛下」
供もつけず歩いている青年は、回廊の隅で佇んでいるジウを呆れたように眺めた。
「この暑いのに外に出て。馬鹿になるよ」
「そのような理由で思考に影響が出るのなら、とっくにそうなっているかと」
「お腹の子供のことを言ってるんだよ」
言い捨てる声は冷たかったが、その奥には彼の優しさが窺える気がした。
ファルサスに嫁いで以来、ずっと壁を数枚隔てていたようだった青年のささやかな変化に、ジウは瞠目する。
「心配してくださるのですか」
「僕はそこまで人でなしじゃない」
「今までに見て見ぬ振りをされたことが何度か」
「見てなかったんだろ」
不機嫌すれすれの返答からは、これ以上つついては完全に彼の機嫌を損ねるだろうということが予想出来た。
ジウは頷いて庭に視線を戻す。
「ありがとうございます。もう少ししたら部屋に戻ろうと思います」
「……聞き分けが悪いね」
「そのようなことはありません」
ジウとしては充分に聞き入れているつもりだ。
そもそも彼の意見を全て聞いていては「見たくないから外に出るな」などと言われかねない。
物心ついてまもなくからこの我儘王と共にいるジウは、まったく動揺することなく庭を眺めた。 きらめく青草の上に、かつての子供たちの幻が浮かんで見える。
それは遠い日の記憶だ。
いつの間にか隣に並んでいたセファスが、ぽつりと呟く。
「昨日、昔の夢を見た」
遠ざかる幻を追うような声。
いつの夢か、どんな夢か、それ以上を彼は言わなかった。
―――― 言わなくても分かる気がした。



「ほら、もう帰るんだよ」
長い沈黙は、唐突な王の言葉によって破られた。
セファスは軽くかぶりを振るとジウを見下ろす。
誰もが認める秀麗な顔立ち。そこに拗ねたような子供の感情はない。ただかつてよりもっと澄んだものはあった。
青い瞳の中に浮かぶそれをよく見ようと目を凝らしたジウは、だが頬をつねられて閉口する。
「何をなさいますか」
「憎たらしい」
「それは失礼いたしました。そろそろ帰ります」
頭を下げようとするとセファスは手を離した。手袋を嵌めた大きな手は一瞬彼女の頭を撫でようとして、だがそのまま下ろされる。
ジウは一度王を見つめると、丁寧な礼をして彼に背を向けた。数歩歩いたところで感情のない声がかけられる。
「気をつけなさい」
振り返った彼女が見たものはセファスの背中だ。
それはもう子供のものではなく、彼は庭を駆けたりはしない。
ジウは黙ってもう一度頭を下げると、日の下で輝く庭を見つめる。
誰の姿もないそこは、しかし彼女の記憶の中と同じく美しかった。