同じ

mudan tensai genkin desu -yuki

上の子供が十六歳になり家を出て行った後、家の中は途端に静かになったように思えた。
それは兄が心配で仕方ない妹までもが、彼の住む集落を度々訪ねるようになったせいもあるだろう。
一人暮らしをしてみたい、と言って王都を出て行った息子とそれを追う娘に思うことがないわけではないが、アージェはおおむね彼らを好きにさせていた。
休日の午後、自分で二人分のお茶を淹れた彼は妻のいる調剤部屋の戸を叩く。
返事を受けて中に入ると、レアリアは魔法薬を作っている真っ最中だった。
彼には見分けがつかない薬草の類が、調合机の半分に積み上げられている。
「少し休憩すれば?」
「あ、ありがとう」
机にカップを置かれた彼女は、少女のように微笑んだ。
そこに年を経ても変わらぬ照れが浮かぶのは、いつ見ても彼を悪い気分にはさせない。
アージェは身に染み付いた癖で女の指先に口付けると、壁際に置かれた椅子へと座った。すぐ近くの壁に貼られている大陸地図を見上げる。
下の子が生まれた頃に行商人から買い上げたそれは、国名も国境も記載のないただの白地図だった。
国の興亡が激しい為、その時の情勢を書き込めるよう作られている白地図を、しかしレアリアは買った時のままに飾ってある。
年月によって多少変色はしてしまったが、まっさらなそれに彼女が何を思うのか、アージェは分かるようで分からなかった。
レアリアは両手でカップを持って少しずつお茶を飲んでいる。少し翳りのある貌はその分美しく、彼女の負ったものを思わせた。
アージェは女の瞳をじっと見つめる。
―――― 若い頃には何でも口にしていた気がする。
それは彼だけでなく、彼女もまたそうだった。言い渋ることがあろうとも、レアリアは重ねて問えばその真意を吐露した。
だが子供たちが長じるに従って、彼らは己の中の問題をそれぞれ無言で消化するようになっていったのだろう。
言葉にせずとも通じることは増えたが、それ以前に表に出さないことも増えた。
アージェはだからこそ、時に何の脈絡もなく距離を詰めたりする。
「また旅にでも出てみる?」
「え」
「たまには国外に出てもいいだろ。二人だけの日のが多いし」
レアリアにとっては、その方がいいのかもしれない。アージェは白地図を横目に笑った。
「ぐるっと見てきて、で、また戻ってくる。魔法士の数は減ってるだろうし小さい村回ってもいいだろうな」
かつてはそうして大陸のあちこちを彷徨っていた。
懐かしい日を思わせる提案に、レアリアは驚きから覚めると微笑する。
「そうね。いいわね」
「じゃあ明日から出るか」
「ど、どうしてそんな急なの?」
「気が変わらないうちに」
機を逃して面倒事でも舞い込んできたら困る。アージェはお茶を飲み干すと立ち上がった。
「よし、準備する」
「え、え、本気?」
「本気」
子供たちには手紙で連絡して、そこから城にも伝えてもらえばいいだろう。
扉に向かったアージェは、けれどばたばたと走る音が近づいてきて頭を抱えたくなった。
すぐに乱暴に開けられた戸を、彼は途中で押さえる。その隙間から十七歳になったばかりの息子が声を上げた。
「母さん、相談あるんだけど!」
「なあに?」
「ちょっと行商人から変な話を聞いたんだ。それでひょっとしてもうすぐ大変なことが―――― 」
「まず落ち着け」
無理矢理入ってこようとする息子を死角から扉で挟んだアージェは、「ぐえっ」という声を聞いて溜息をついた。
一体どちらにどう似たらこのような性格になるのか、陽気ですぐに何処にでも駆けて行ってしまう少年は戸を叩いて抗議する。
「父さん何すんだよ!」
「アージェ!」
「何も確かめずに部屋に入ってこようとするのが悪い」
兄がこのようであるからこそ、クレスも心配で放っておけないのだろう。
アージェはそれ以上を妻に任せると、自分は壁際に下がった。
すぐに中へ駆け込んできた少年は、隣国の情勢とその不穏な兆候について母に相談し始める。
―――― これは旅に出られるのはまだ先のことなのかもしれない。
アージェは溜息をついて壁に寄りかかりながら、それでもてきぱきと指示を出す妻が普段より生き生きとしているように思えて微笑したのだった。



「戦闘が起きそうなら連絡入れろよ。あとクレスを巻き込むな」
「分かってるって。父さんこそ母さんちゃんと隠しといてよ。王都までは来させないつもりだけどさ」
「先に叩いた方が有利だ。面倒だけど準備しとくか」
「あの、二人とも、どうしてそう戦う気満々なの……?」