血の雫

mudan tensai genkin desu -yuki

城の天井はやけに歪んで見えた。繊細な花の模様がぐらりと揺れてお互い混ざり合い、単なるまだら模様に溶けていく。
前髪は既に汗でべったりと張り付いてきた為、布で他の髪ごとまとめてもらっていた。
波のようにやってくる痛みの狭間、雫はただ浅い息を繰り返す。隣から伸びてきた女の手が、冷やした布で顔の汗を拭っていった。
寝台に寝かせられた雫は、陣痛の連絡を受けて自分をここに運んできてくれた女を見上げる。
「これ、どれくらい時間かかりそうですかね……」
「どうでしょう。個人差が大分あるみたいですしね」
黒髪の女は美しい眉を軽く上げて考え込んだ。その指が雫の肩に軽く触れると、体がふっと軽くなる。
おそらく魔法で痛みを軽減してくれているのだろう。オルティアの出産の時も、確か精霊がそうして肉体の負担を減らしていたのだ。
―――― これで弱音を吐いていては、手を貸してくれている彼女や城に引き取ってくれた女王に申し訳ない。
雫がそう息をつきかけた時、部屋の扉が叩かれた。
ファルサスから呼び戻されたのだろう。魔法着姿の夫が入ってくる。
彼は寝台側まで来て雫の様子を確認すると「大丈夫?」と聞いた。
「今のところは……。波が収まってますんで」
「欲しいものがあったら言って」
「ありがとうございます」
エリクはそのまま枕元にいた女と交代した。女が部屋を出て行くと、水盆に浸した布を絞って妻の額を拭う。
魔法士の女は席を離れても沈痛の魔法を残して行ってくれたのだろう。嵐の前の静けさに似て、雫には思考する余裕が残されていた。
ゆったりと膨らんだ腹部を雫は一瞥する。
「よーし、頑張りますよー……」
「程々に。どうしても無理だったら別の手段がないわけじゃないから」
「あー、魔法で出すって奴ですか。でもあれって子供に魔力がないと危険じゃなかったですか」
「理想を言えば、だけどね。今は彼女がいるから。大抵のことが可能だ」
エリクが言っているのは先ほど部屋から出て行った黒髪の魔法士のことだろう。
大陸の歴史上最強と呼ばれる彼女なら、それくらいの不都合は何とか出来るに違いない。
雫はしみじみとした気分で息をついた。
「なるほどー。こっちの世界って帝王切開とかないですもんね。お腹切るよりは目に優しそうです」
「昔は切ってたらしいよ。暗黒時代」
「ええー。それ大丈夫だったんですか?」
「大丈夫じゃないね。大体死ぬね」
「駄目じゃないですかー」
体力が消耗しつつある為、つい間延びした受け答えになってしまうのだが、実際のところ雫はげっそりとした顔になった。
そんな時代にやって来なくてよかった、と思う彼女の傍らで、エリクは淡々と説明を続ける。
「暗黒時代の初期は魔法士差別が強かったからね。
 ちょうど戦乱が多くて死体に困らなかったこともあって、刃物を使った医術が盛んに研究されたんだ」
「外科ですかー。怖いですよ」
「それだけじゃなく薬草学から来る医術もあったけどね。
 そういった技術は脈々と継がれて、大体三百年くらい前まではだから、魔法士じゃない医者が多かったよ。
 ファルサスの魔法技術が抜きん出るに従って、魔法士に淘汰されて減っていったんだ」
「色々あるんですねー」
「……何の話してるんですか、貴方たちは」
戻ってきた黒髪の魔法士は、出産の床にあって歴史の話をしている夫婦を呆れ顔で眺めた。
雫は息を整えると改めて彼女に頼む。
「あの、いざって時には出来るだけ血が出ない方向でお願いします……」
「ああ。止血は後でちゃんとしますから、安心してください」
「いやそれ、血出るってことですか?」
「貴女からは角度的に見えないから平気です」
「なら大丈夫じゃないかな。痛みを感じなくて、血が見えなければ出てないのと変わらない」
「いやあのちょっと……」
貧血持ちではないが、想像するとくらくらしてしまう。
陣痛の合間に眩暈を覚えた雫はばったりと力尽きると、心の中で「早く終わらないかなー」と呟いたのだった。
遅れて来たオルティアが一番真剣に心配してくれた。