由来

mudan tensai genkin desu -yuki

「おとうさん、わたしの名前って、だれがつけたの?」
そのようなことを聞かれたのは、四歳になる娘を背負って木登りをしていた最中だ。
アージェはひとまず目標である太い枝に手をかけると、両腕の力だけで枝の上に上がる。
娘を前に抱き取って枝に腰を下ろした。
「えーと、何の話だった?」
「わたしの名前!」
「お母さんがつけた」
あっさりと答えて、それで終わると思っていた若い父親は、しかし「どうして? お父さんは? なんでこの名前にしたの?」と立て続けに聞かれて閉口した。自分も子供の頃こんなだったのだろうと考えかけて、だがもう少し大人しかった気もする。
町の風景が一望出来る丘の木の上で、青臭い風に前髪を揺らされながらアージェは考える。
「お母さんがつけたそうだったから、つけてもらった。その代わりお父さんは兄さんの名前をつけた。
 なんでその名前にしたかは―――― 」
娘の名前の由来を、勿論アージェは知っている。
知ってはいるのだが、それを自分が伝えていいものかと少し迷った。伝えるなら、どう伝えるのかということも。
ふわふわと風で浮き上がる白金の髪を撫で付けながら、アージェは続けた。
「その名前は、お母さんとずっと一緒だった人からつけたものだ」
「ずっと一緒? お友達?」
「どうだろうな。もういない人だからな。ただ、お母さんにとって大切な人だったんだろう」
―――― そうでなければ、娘に彼女からとった名をつけるはずがない。
レアリアがいつから、どのような気持ちを抱いているのかは、はっきりとは分からないが、彼女には彼女の思うところがあるのだろう。
「いつか大きくなった時、気になったらお母さんに聞いてみなさい」と結んで、彼はこの話を終えようとした。
その時、娘の青い瞳が彼を見上げる。
「お父さんは、その人を知ってる?」
「知ってるよ」
「どんな人だった? お父さんは好きだった?」
子供の質問とは、大体率直で容赦がない。
アージェは自分でもあまり考えたことのない事柄に、改めて過去の風景を振り返った。
同じ草の匂いがする中庭で、「彼女」と過ごした日のことを思い出す。

「彼女」は、いつでも少し物憂げで、自分の存在に引け目を感じているように見えた。
自嘲気味で、愚かで弱く、だが最後には笑って自らを拭っていった女。
彼女への印象を一言で言うことは出来ない。
レアリアとまったく似ていなかった彼女は、ただ確かにあの時彼の前にいた。

「どんな人だったかな。不器用な人だったな」
「ぶきよう?」
「色んなものを背負わされて損な目にあって、でも愚直に、不器用に生きてる人だったよ」
分かりやすく言ったつもりはない。
現に娘は、分からない、といった様子で首を捻った。
「好きだった?」
「嫌いじゃなかったな。お母さんの方が好きだったけど」
手繰り寄せる過去には、いつも何処にでも後悔が付随している。
そういうものなのだろう。アージェは娘の髪を一房手に取ると、白金のそれに口付けた。
見渡せる景色に黒い染みは見えない。
世界は少しずつ平穏を己のものとして、未来へと歩んでいくようだった。