千年

mudan tensai genkin desu -yuki

どれだけの月日をともに過ごしたのだろう。


ふっと目を覚ました時、部屋はまだ暗い夜の帳に閉ざされていた。
ティナーシャは体を起こし、隣の男を見下ろす。
彼女の夫である男は、安らかな眠りの中をたゆたっているようで、規則的な寝息が聞こえてきていた。
その体の上に、彼女は掛布をかけなおす。
体に触れたいと思ったが、彼は気配に敏感だ。ティナーシャは指を伸ばすことを我慢して、夫の寝顔をじっと見つめた。
他には何も聞こえない。ただ彼の息の音に耳を澄ます。
静寂に、詮無き思考が浮かんだ。


―――― たとえば愛した相手が彼でなかったのなら、自分はこの運命を渡ることが出来たのだろうか。
その仮定に対する答は「否」だ。
彼以外を愛するはずがない。そう思う以上に、やはり彼が片翼でなければ千年を越えて生きることは出来なかったと思う。
自分は、決して強い人間ではない。今の彼女はそのことを知っている。
時に不安定に狂う感情に、楔を打つのはいつも彼で、だからティナーシャは絶望を終わりとはしなかった。
堪えて、越えて行く。次第にそのことに慣れていく。
けれどやはり、自分は一人でも立てなければならないと思う。
いつか来る終わりにこそ、彼を支える為に。


「オスカー」
囁いた名は、声にはならなかった。単なる息となって溶け、寝台の上に落ちる。
甘い訳でも、苦しい訳でもない。不思議な気分にティナーシャは目を細めた。
自分の精神が、静謐の空気の中に染み広がっていくように思える。
―――― 人が人でなくなるのは、いつのことなのだろう。
存在だけで言うなら、自分はもうずっとずっと昔から人ではない。ただ精神は人のままだった。
人のまま、悠久の磨耗を味わってきたのだ。
ティナーシャは目を閉じる。自分が何であるのか自問する。
いつからか、人と、そうではない何かの境界線に立っている。そんな気がした。
「ティナーシャ、どうした?」
突然の声に彼女は目を開けた。同様に目を覚ましている夫を見る。
「あれ……? 起こしちゃいました?」
「肌寒い気がした」
「ああ」
隣で眠っていた彼女が起き上がった為、そのように感じたのだろう。
ティナーシャは急いで掛布の中に潜り込んだ。夫の体に寄り添って目を閉じる。
大きな手が彼女の髪を撫でていった。
「どうかしたのか?」
「何でもないです」
「怪しい」
「ええ……?」
そのようなことを聞かれても何と答えればいいのか。ティナーシャは少し考えて、彼を見上げた。
「そろそろ私に飽きませんか?」
「飽きない」
「即答とか」
「そもそも惚れた相手に飽きるというのが意味分からん。どうしてそうなるんだ?」
「そう思う辺り、貴方も或る意味人間らしくないですよね……」
感心と呆れの入り混じった息をつくと、オスカーは彼女の髪を指に絡めて引っ張った。
「何だそれは。お前は飽きたのか?」
「飽きませんけど」
この点に関しては、きっと自分はとっくに人ではないのだろう。
何処までも人間らしい、だが人ではない熱情と執着で時を越えていく。
月日を重ねるごとに他の部分は擦り切れ、この熱に引きずられて―――― やがて自分はいつか、完全に人をやめるのだ。
その日を待っている。
その時にも彼は、自分を愛してくれているのだろうか。


「オスカー、明日は何をしたいですか?」
「何をするか。海竜でも探しに行くか」
「また凄いのがきましたね。分かりました」
明日の約束は、それだけで何処か懐かしい。
ティナーシャは夫の腕を抱きこんで「おやすみなさい」と囁く。
部屋の中は静かだ。
彼の心臓の音だけを頼りに、彼女は今日も夜を越えた。