蝋燭

mudan tensai genkin desu -yuki

女の白い手が蝋燭を灯す。
日が沈んだばかりの室内は澄んだ明るさが残っており、だがすぐにやってくるであろう暗闇の為に、彼女は燭台に火を灯していた。
二人だけの空間以外ではそのような瑣末なことをしない女の手を、ラルスは面白そうに眺める。
傍の椅子に深く腰掛けた彼は、隣に立つ不機嫌そうな女を笑って見上げた。
「今日はどうした? 暇なのか?」
「別に暇ではない」
「そうか? もう退位したんだし暇だろう? 暇だよな?」
「暇ではない! お前を放置しておくとろくでもないことをするから見に来ているだけだ!」
細い肩を怒らせて叫ぶオルティアは、ラルスが楽しそうに喉を鳴らすと息をついた。自分と同様、既に玉座から退いている男を呆れの目で見やる。

二人の間に生まれた子供たちがそれぞれ二国の王位を継いだのは、どちらもここ三年以内のことだ。
二十歳を過ぎてまもなくの即位、他国から見ればいささか早すぎる王の交代は、ファルサスにおいては王剣の主の代替わりを意味する為に然程珍しいことでもない。
だがキスクの王がそれを追うように代わったのは、王太子が充分な能力を持ったと看做された―――― ことだけが原因ではなかった。
「父上を野放しにすると騒動を起こすから」と息子たちから内密に頼まれたオルティアは、子供の父たる彼を相殺するように王冠を息子に渡し、今ではこうして時折自分からファルサスの離宮を訪ねている。
それを知ってか知らずか「暇なのか?」とからかってくる男に、彼女は溜息をついた。
「それで、最近は何もやらかしていないのだろうな」
「別に何も。つまらないから何かするか」
「するな! 大人しくしていろ!」
「折角暇になったのになー。色々やりたい」
「分かっていないようだから教えてやるが、お前は昔から好き放題やっていたからな」
「あれで結構手加減してた」
「一生手加減していろ!」
おそらく彼は、基本自由を与えてはならない人種なのだろう。
オルティアは今更ながら息子たちの言い分を理解した。空恐ろしさを抱きつつ、だがそれを表に出さないよう彼女は窓辺に歩み寄る。
異国の空は深い青色に変わりかけており、夜の足音が微かに聞こえる気がした。
彼女は気を落ち着けようと思いつつ、だが反射的に苦言を続ける。
「大体、お前が何かをしたら子供たちが困るということを理解していないのか? お前を止めねばならぬ妾もいい迷惑だ」
「多少の苦労はした方がいいと思うけどなー」
「多少ではないから言っている」
そもそも子供が彼の性格の影響を受けていることさえオルティアには腹立たしいのだ。
更に続けようとする彼女に、だがラルスは軽く笑った。
「あと子供たちがお前に退位を勧めたのは、俺だけのせいじゃないからな」
「え?」
そうだとばかり思っていた。
けれどラルスは子供たちの進言を知らないと思っていたのだ。彼女は鎌をかけられたのかと一瞬疑って、だが続く言葉に息を止めた。
徹底して彼女とそりが合わない男は、年を経ても変わらぬ稚気に富んだ笑みを浮かべる。
「お前に楽をしてもらいたいと言っていたぞ」
「……は?」
思いもかけない答にオルティアは目を瞠った。それがどういう意味なのか、改めて咀嚼する。
―――― 好きで即位したわけではない。
それは口にすれば彼女の傲慢ではあるが、また一つの事実でもあった。
生まれたその時から、運命が一変した幼い日から、そして愚かであり足掻いてもいた若き頃から、彼女はずっと自分の役割というものと向き合ってきたのだ。
それを苦しいと思うことを、女王となってから彼女は自分に許していなかった。
子供たちには一切見せていないつもりであった翳。しかし彼らは何処かで気づいていたのだろう。
沈黙するオルティアの肩を、いつの間にか歩み寄っていたラルスが叩く。
「よかったな。情深い人間に育って」
「…………余計な気遣いだ。お前を見張る方が苦だ」
「俺はおかげで幸福を貰ったけどな」
男の声はさっぱりとして、何の糊塗もされていないように聞こえた。オルティアは驚いてラルスを見上げる。
青い瞳に映っているものはただ暮れ行く空だ。それ以上のものは分からない。彼の過去を彼女は知らない。
オルティアは改めてそのことを思い出すと、自分の掌に目を落とした。
「そうか」
目に見えるものはない。
だから何も言わなかった。



小さな炎が少しずつ蝋燭を削っていく。
気づけば最初の半分程の高さになっていたそれを、オルティアは興味がなさそうに見やった。
彼女が席を立つと、ラルスはテーブルの盤上を見たまま声をかけてくる。
「帰るのか?」
「長居しすぎたからな」
「面白かった。明日も来い」
「毎日来れるか! 面倒だ! 少しは大人しくしていろ!」
「なら一緒に暮らすか?」
男の声は笑い混じりのものであったが、からかいは感じられなかった。
オルティアは形のよい眉を顰めて男をねめつける。
「試すな。まだ飽きないのか」
「癖みたいなものだからな」
僅かに細められる青い瞳に愁いはない。
それはこの二十年で彼女が得られたささやかな変化だろう。
オルティアは男に背を向けると微苦笑した。窓から差し込む青い光は、いつの間にか息苦しいものではなくなっていた。