来訪者

mudan tensai genkin desu -yuki

ニケがその小さな村を訪ねたのは、仕事絡みでのことだ。
城都から逃げ出した或る犯罪組織。それを追っていた彼は、彼らの根城がとある山中の洞窟にあると聞き、近くの村に滞在しながら情報を集めていたのだ。
「彼女」に会おうと思ってそこにいた訳ではない。
単なる偶然で、ニケは「彼女」がそこにいることさえ知らなかった。
だが彼はそうしているうちに―――― 「彼女」を見たのだ。

城から来た魔法士であるとばれてしまえば、追っている相手にも話が伝わりかねない。
ニケはその為、旅の研究者として宿に逗留しているのだが、何もない村で何でもない日々を送るというのは存外堪えるものであった。
通りに面した茶屋でもそもそしたパンを齧りつつ本を読むだけの毎日。
学者というものが何をするのかいまいち分かっていない為、下手にぼろを出すよりはと読書に専念しているのだが、こうしてじっと文字を追うだけの時間はやたらと過ぎるのが遅く感じられた。城からの連絡が早く来ないか、そればかりを考えてしまう。
舗装されていない道を談笑しながら行き交う村人たち。素朴で平和な風景を眺めながら、ニケはぼやいた。
「不精しないで他の奴に任せればよかったな……」
誰かに事細かに説明して派遣するより、自分が動いた方が楽だと思ったのだが、結果としては全然楽ではなかった。
このままあと三日くらいこうしていたら、根が生えて地面と一体化しそうである。
既に半分植物になっているような気分でテーブルに頬杖をついた彼は―――― その時、通りの向こうから走ってくる子供に気づいた。
長い髪を二つに縛った七歳くらいの少女は、買い物帰りらしく両手に大きな籠を抱えている。
息せき切って駆けていく彼女の横顔を、ニケは何とはなしに眺めた。

―――― 何処かで見たような気がする。
それはきっと気のせいなのだろう。子供の知り合いなどいない。キスクの城に基本子供は入ってこないのだ。
だからニケは、特に意味もなくただ少女を目で追った。
角を曲がる瞬間、少女は軽く彼の方を振り返る。
特別なことは何もない。ただ視線が交差した一瞬、幼い瞳に驚きが過ぎったように見えた。
少女はけれど、そのまま角を曲がって見えなくなる。
「……まさかな」
既視感の辿りつく先にある記憶は随分前のものだ。ニケは頬杖をついた姿勢から体を起こす。
―――― かつてキスクの城で忌まわしい実験が行われていた頃、彼の前に小さな子供が立ったことがあった。
一人の女に言葉を教えられて、その知を証明する為に立った子供。
ニケはその子を女から取り上げて、城を出て行くという老魔法士に預けたのだ。
当の老魔法士が何処の村に移り住んだのか、当時は覚えていたが、今はもう思い出せない。
会っても分からないだろう。特に子供は幼かった。彼の顔を覚えているはずがない。
「まぁ……気のせいだな」
ニケはあっさりと片付けると、読む気のない読書に戻る。
平穏過ぎる昼下がり、代わり映えのしない時間は苦痛になるほど平和だった。



あまりにも退屈すぎて彼としては珍しいことに転寝をしていたようだ。
かさり、という音が近くでして、ニケは反射的に意識を引き戻す。
見るとテーブルの上に大さな籠が置かれていた。何処かで見たばかりであるようなそれには、焼き立てのパンがぎっしりと詰まっている。
周囲に人はいない。ニケは籠を引き寄せると、中を覗き込んだ。
「……何だ?」
そこにはパンと共に一枚の手紙がおさめられていた。開いてみると子供の字で一言だけ「ありがとう」と書かれている。
宛先も差出人もそこにはない。ただパンの奥に一つだけ、黄色いデウゴが入っていた。
ニケは数秒の沈黙の後理解を得ると、そっと籠を手に取る。

確かめようとはしない。会いにいこうなどと思うはずもない。彼女の前に顔を出せる人間ではないのだ。
だからニケは黙ってその籠だけを受け取っておく。
日はまだ高い。遠くから聞こえる子供の笑い声が、穏やかな村の風景を変わりなく彩っていた。