守る

mudan tensai genkin desu -yuki

川縁に座る青年は、その時血のついた上着を自らの手で洗っていた。
辺りに人影はない。手出しを断られたレアは、草の上に座ってその背を見つめる。
「アージェ」
「何?」
彼の名を呼ぶ声には少しだけなじる響きがあった。
振り返った青年を、彼女は半眼でねめつける。
「私がやるって言ってるのに」
「俺の上着なんだから俺が洗えばいいだろ」
「でも」
「じゃあ俺がレアの服も洗うよ」
「それは絶対嫌!!!!!」
真っ赤になって返すと、アージェは「だろ」とだけ言って洗濯に戻った。
それとこれとは話が違うと言いたいのだが、何だかんだでやり込められる気もする。レアは膝を抱えて黙り込んだ。

彼女の友人である青年が珍しく怪我を負ってしまったのは、転びかけた彼女を野盗から庇ったせいだ。
その傷は既に魔法で治してあるが、ついてしまった血の痕はどうにもならない。
レアリアはその為「私が洗う」と言ったのだが、あっさりと断られてしまった。釈然としない気持ちで彼女は頬を膨らます。
「わ、私だって洗濯くらいは出来るのよ」
「知ってるよ。今までだって自分で全部洗ってただろ」
「そう」
「でも力がなくて全然絞れてないとかあったよな。水が垂れてたから絞りなおしといた」
「いやあああああああああああ!! なんで! いつ!」
「この前野営した時」
「ひどい! なんでそういうことするの!」
「いやだってあれじゃ朝までに乾かない……」
「魔法で乾かすからいいの!」
立ち上がって地団太を踏む彼女を、アージェは振り返って見上げる。暗い緑色の両眼には呆れというよりも不可解さがあった。
「そんな怒るなよ。絞りすぎて破いたとかそういうんじゃないんだから」
「だ、だって」
「よし、終わった」
立ち上がった青年は手際よく厚い皮の上着を絞る。
軽々と水を切るその膂力は、確かにレアの及ぶところではないだろう。
そんなに全力で絞って斬られた箇所が広がらないかとも思ったが、彼はまったくそのようなことを気にしてないらしい。
レアはぶすっとした表情のまま、アージェへと両手を差し出した。
「貸して。乾かして繕うから」
「ほい」
また断られるかとも思ったが、青年はあっさりと水を切った上着を彼女へ渡してくる。
レアは内心ほっとしてそれを受け取り―――― 触れた指の冷たさにぎょっとした。
彼女の表情から驚きを読み取ったのか、アージェは苦笑する。
「地下水が湧いてるみたいで冷たかったんだよ。血は水で洗わないと落ちないし」
「……そんなの」

―――― かつて彼の主人であった頃、レアリアは多くのことを身につけたいと思っていた。
それは料理や裁縫など、普通の女であれば当然出来ることで、だが彼女には不要なものだった。
不要だと知りながら練習していたのだ。彼の妻にはなれなくても、努力をしている間は夢を見ていられたのだから。
だが今は純粋に、彼の足を引っ張らないようになりたい、と思う。
しかしそう思って彼女が努力するのと同じく、彼も彼女を守ってくれているのだろう。
冷えた手が彼女の頭を撫でる。行き場を失った不満が音もなく溶けていく。
レアは濡れたままの上着をそっと抱え込むと、表情に困って、僅かに微笑んだ。
「ありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃないですよ」
「後はちゃんとやるから」
「ん」
草の上に座りなおして、レアはいそいそと魔法構成を組む。
冷えた皮が伝えてくる感触はその時、彼女にとってはひどく温かいものに思えていた。



「アージェ、出来ました!」
「………………えーと、これ何?」
「繕ったついでに刺繍してみたの。可愛いでしょう?」
「また仔犬か……」