災難

mudan tensai genkin desu -yuki

―――― 王太子に呼び出されてもまったく嬉しくない。
それはキスク宮廷に仕える大多数の人間に共通する感想で、だがこの感想が表に出されることは当然ながらまずなかった。
急にイルジェに召喚され、おどろおどろしいケーキを差し出されたニケもまた同様、内心はともかく平然とした表情を保つ。
「……頂いてもよろしいのでしょうか」
「ああ。感想をこの場で報告していけ」
食べてすぐの感想が求められているということは、見えないところで吐き出せないということだ。
ニケは覚悟を決めるとシスイの手からケーキの小皿を受け取った。いつでも作ったような笑みを崩さない少年を、後で怒鳴ってやろうと心の中で決定する。

白い皿の上に乗せられたケーキは、泥団子の上に蛙の卵をぶちまけたような、という比喩が一番しっくりくるように思えた。
泥に見える茶色は、おそらく「アンコ」だ。ケーキ自体がひしゃげているのは、王太子の手が滑ったとかそんな理由だろう。
あちこちに飛び散っている血痕のような赤は、今までの経験からいって激辛である可能性が高い。
しかし何よりも問題であるのは、上から執拗にかけられた謎のどろっとした液体である。
ほぼ透明でかすかに薄緑がかったその液体は、中に眼球を思わせる小さな粒を沢山含んでいる。
気のせいであることは確実なのだが、それらの粒がぎょろりと蠢いている気がして、ニケは皿の上を焼却したくなった。銀匙を手にしながら、目の前のシスイに確認してみる。
「蛙の卵か何かの目玉か?」
「違います。ご安心ください」
シスイの保証する安心に、人を安心させる力はまったくない。
だがイルジェが見ている以上、あまり長引かせることも不可能だ。
ニケは意を決すると匙の上にケーキを掬った。ついてこなければいいと願ったのだが、小さな粒は大量にまぎれこんでくる。
運命の岐路を思わせる時間。彼はけれど、それ以上迷うことなくケーキを口に運んだ。
途端、まったりとねちゃねちゃして生臭い味が舌の上に広がる。
重厚な苦味と軽快な生臭さの多重構造。ニケは反射的に吐きそうになるのを精神力だけで堪えた。
生理的に浮かんでくる涙をさりげなくまばたきでごまかしつつ、とりあえず自称ケーキを飲み込んでしまう。
それでもなお残る後味が、ニケの胃液を積極的に誘った。
「味はどうだ?」
「……あまりよろしくはないようで」
「やはり食用には堪えないか」
―――― 元は食用じゃなかったのか、と叫び出したくなったがそれも出来ない。
結局その後ニケは、散々感想を聞かれて、だが「それ」がなんであったのか聞くことも出来ず、負に満ちた部屋を辞したのだった。



「おかえりなさいませ」
夜になって帰って来た夫を迎えたマーリアは、その顔色の悪さに一瞬きょとんとした目を見せた。
「何処か体調でも優れないのですか?」
「いや、そんなことはない」
「あの、では……夕食はいかがなさいますか?」
貴族出身である彼の妻は、上流の出としては珍しいことに、家事のほとんどを自らの手で行っている。
その為ニケは、彼女が作ったのであろう食事を無駄にしてしまうことにいささかの抵抗を覚えた。食欲がないのを隠して頷く。
「頂こう」
「では用意いたします」
正直なところ、今何かを食べたら吐いてしまう気もするのだが、最悪の時間も意志の力で耐えられた。
ならば彼女の料理が食べられないはずもないだろう。
ニケは決心も固く手を洗って食卓に向かう。
―――― 用意されていたものは、いずれもすっきりとしたよい香りをさせる皿ばかりだった。
目の前の野菜スープを一匙口に運んだニケは、ぽつりと呟く。
「……美味い」
「ありがとうございます」
照れたような笑顔は少女のものによく似ている。
胃の中に溜まりこんだ負を押し流すような優しい味。
ニケはこの日妻の料理の腕に感謝して、自分の幸運に安堵したのだった。