天女

mudan tensai genkin desu -yuki

大陸一の美貌と謳われる彼女の姿を見たことは、それまでも何度かあった。
完璧な造作。完全なる美とさえ言われる顔立ち。それはだが、整っている分人間味が薄く、冷気さえ漂って見えたのだ。
王を支える王妹として存在する刃。それが彼女の在り様で、他に意味などなかったのだろう。
今でも時折、当時の彼女を夢に見ることがある。
ただ遠い存在としか思わなかった女―――― 彼女は今、彼の妻として隣に在る。

目が覚めた時、視界にまず入ってきたものは女の青い両眼だ。
真昼の高い空に似た青色。それをまじまじと見上げていたアルノは、しばらくしてそれが妻のものだと気づく。
彼のすぐ隣で寝台に頬杖をついているレウティシアは、無言のままじっと夫の顔を注視していた。
長い睫毛が動いたのを機に、アルノはようやく声を出す。
「おはよう、ございます」
「おはよう」
「何をしているんですか?」
「貴方を見てるの」
剥き出しの白い肩を竦めて、レウティシアは微笑んだ。
そのような時、彼女は完璧な造作に似合わぬ愛くるしさを見せる。
思わず見惚れかけたアルノは、しかし我に返ると彼女に断って体を起こした。
「ひょっとして寝坊してしまいましたか?」
「いいえ、全然」
「早起きですね」
「そうかしら」
平然と嘯く彼女は、夜着を滑らかな背に羽織ると浴室へと消える。
優美な均整を持った歩き姿。だがその彼女が途中で帯の端を踏んで転びかけたのを、アルノは見逃さなかった。



現王のただ一人の血縁である彼女への評判は、主に「完璧な人間」といったもので、彼女についての批判や欠点が噂されることはまったくもってない。
強いて言うならばアルノと結婚したことが彼女の欠点であり、だがそういった話を聞くとレウティシアは顔を真っ赤にして怒るのが常であった。
もっとも彼女のそんな怒り顔を見るのはアルノ自身だけであり、表に出る時の彼女はどちらかと言えば冷えて揺るぎない空気を持っている。
夫の存在以外は非の打ち所がない(と思われている)彼女は、今日もおおむねいつも通りだった。

「アルノ、これ結構難しいのね」
午後の執務をしていた彼のもとに、レウティシアがそう言いながら持ち込んできたものは小さな籠だ。
中には固い茶色の殻で覆われた木の実がたっぷりと入っている。
この領地ではよく取れるこれらの実は殻を刃物で剥いて水につけ、それから甘く煮ることが通例になっていた。
子供の頃はよく口にした木の実を、アルノは目を丸くして見やる。
「どうするんです、こんなに」
「殻を剥くの。皆がやっていたから……」
収穫の季節になれば、城の中庭には女たちが集まって木の実を剥き始める。
どうやらレウティシアはそこに通りかかり、籠を一つ貰ってきたらしい。執務室の隅にあるテーブルに籠を置き、ナイフでもたもたと殻を剥き始めた妻を、アルノは横目で眺めた。
レウティシアは数分かけてようやく一つを剥けたらしく、ほっと息をつく。
「どうして皆、すいすいと剥けるのかしら」
「彼女たちは慣れていますからね。こつを聞いてこなかったんですか?」
「忙しそうだったから……」
気まずそうに目を逸らす彼女は、次の一つを手に取る。再び危なっかしい手つきで殻に刃が入れられるのを見て、アルノは自分の席を立った。
「貸して下さい。真横の部分に垂直に刃を入れるんですよ」
「アルノ」
受け取った木の実の殻は、彼の手元でくるりと剥ける。
それを手渡されたレウティシアは、子供のように目を輝かせた。
「凄いわ」
「この土地の人間なら誰でも出来ます」
「やってみる」
ナイフを受け取った彼女は新たな一個を手に取る。
そうして集中し始めると、レウティシアはもう周りの様子が意識に上らないらしい。
黙々と殻剥きを始める妻を置いて、アルノは執務机へと戻った。ペンを手に取りながら彼女を見ると、レウティシアは頑なな横顔で作業に没頭している。

完璧と言われる彼女が、実は負けず嫌いで甘え下手の努力家であることを、アルノはよく知っている。
彼女も最初から何でも出来る訳ではない。単に見えないところで必死に苦労を重ねているだけなのだ。
その苦労が人に知られていないのは、王族として生きる上で体面が重要であったことと、彼女自身人に頼ることの出来ない性格であった為だろう。
何しろ領民の女たちにやり方を聞くことも出来ずに、練習用の木の実を持って帰ってきてしまうくらいなのだ。
不器用なそのやり方を子供じみた意地だと笑うことも出来るだろうが、アルノは自分しか知らぬ彼女の素顔が好きだった。

「アルノ! 出来たわ!」
いささか歪ではあるが、くるりと剥かれた殻を見せられ、彼は思わず噴出しそうになる。
咄嗟に書類を手にして顔を隠したが、挙動の怪しさは誤魔化せなかったらしい。膨れたような声が返ってきた。
「……何がおかしいのかしら」
「いえ、お上手ですよ」
「笑っていなかった?」
「とんでもない。笑っていません」
「そう?」
納得しきらない表情のレウティシアは、けれどすぐに残りの木の実へと向かう。
いつも通りの午後、いつも通りの彼女は美しく―――― だがそれ以上に愛らしかった。