出発点

mudan tensai genkin desu -yuki

―――― 気がつけば、何も出来ない女にやたらと縁があるのは何故なのだろう。
神域の片隅にある小さな広間にて、割れたカップの破片を拾い集めながらカルディアスはそんなことを考えた。
床に膝をつき片付けをしている男を、傍らから困惑顔の女が覗き込んでくる。
「どうしましょう」
「捨てるしかないだろう。壊れたものは元に戻らない」
「そうなのですか……」
物知らずな彼女は、初めて知ったとでもいうように赤い瞳をまたたかせた。
お茶を飲もうとしただけでカップを割ってしまったクレメンシェトラは、何かを思い出したのかカルディアスに問う。
「それでは、私が割った大陸も元には戻らないのですか?」
「…………戻らないだろうな」
何も知らないのは仕方がないが、せめてその力に見合う認識くらいは身につけていて欲しい。
カルディアスはしみじみと願ったが、願っているだけでは何も改善しないだろう。
破片をまとめてテーブルに置いた男は、椅子に座りなおすと女に向かいの席を示す。
「座るといい。まだカップはある」
「はい。同じものが複数あるのは何故ですか?」
「さぁな。同じになるように作ったのだろう。同じ型を使ったとかな」
「人間も同じ親を使えば同じ人間が出来ますか?」
「出来ない。同じ人間は二人といないんだ」
人間である彼からすると、重要で動かしがたい事実。それを口にすると、クレメンシェトラは赤い瞳に不透明な不安を揺らした。
「ではあなたも、一人だけ?」
「そうだな」
「壊れなければ大丈夫なのですか?」
「いずれは死ぬ。死を避けることは出来ない」
人間は、生まれたその瞬間から死の可能性を内在させている。
死なぬ者などいない。そうして生まれ、死に、新たな者が生まれて世は移り変わっていく。
彼女はまずそのことを、知らなければならないのだ。

はたして理解されたかどうか、カルディアスがじっと女を見ていると、クレメンシェトラは真紅の瞳をまたたかせた。吹き込まれた息を吐き出す。
「それは……残念なことですね」
「そう思うか?」
「他のものも全てそうなのですか? 壊れたものは戻らない?」
クレメンシェトラはカップの破片と無事なカップを見比べる。
不安を不安としてうまく認識出来ない彼女に、カルディアスは肯定を返した。
「そうだ」
―――― 酷なことをしているのかもしれない、とも思う。
こうして変化をもたらすことが、彼女にとってよいこととは限らない。
だが知らぬままでいることはまた、精神の不自由に他ならないだろう。
知った上で彼女が何を選ぶのか、その選択をカルディアスは生み出したいと思っていた。
子供に物事を教えるように、彼は一つ一つ、人の常を説いていく。



一度に多くを詰め込むことはしない。時間の猶予はまだある。
カルディアスは無言で考え込んでしまった女に苦笑すると立ち上がった。
「また明日話をしよう」
「ええ……お願いします」
「茶が冷めてしまったな」
クレメンシェトラのカップには、ほとんど手のつけられていないお茶が残っている。
彼がそれを片付けようと手を伸ばした時、しかし広間の扉は外から乱暴に開けられた。若い女が飛び込んでくる。
「カルド! 何してるの!」
「普通に入って来い……」
「またこいつに構って!」
「茶を飲んでいただけだ」
「お茶ならわたしだって作れるわ!」
カルディアスの手からカップをひったくったダニエ・カーラは、しかし勢いのまま中身の入ったそれを床に落としてしまった。
高い音を立てて砕け散るカップを、クレメンシェトラは目を丸くして見やる。
「あ……」
「何よ、カップの一つや二つくらいで! こんなのいっぱいあるじゃない! ばか!」
「ディニア。もう少し落ち着け……。お前の言動は教育に悪い」
低い声で注意すると、ダニエ・カーラはびくりと震えた。悪いとは思ったものの何をしていいのか分からないらしい彼女を前に、カルディアスは再び破片を拾い始める。

並ぶ者のいない剣の腕を以って神域に招聘された男。
カルディアスの日常は、おおむねこうして小さな苦労の積み重ねの上に行過ぎていくのであった。
―――― その苦労を、子孫の青年はあんまり汲んでいない。