mudan tensai genkin desu -yuki

子供時代は貴重だ、と大人たちは言う。
そこにどのような意味が込められているかは人それぞれだろうが、ジウは少なくとも「子供には総括的な自由さがある」ということではないかと考えていた。
すっかり大人になった日のある日、久しぶりに離宮に集まったかつての子供たちは、のんびりとした時間を共有している。
普段は子供の頃とまったく違う重責の中にいる彼らは、けれど今、少しだけ昔と同じ自由さを満喫しているように見えた。
眠っている赤子を胸に抱いたジウは、広い部屋にいる幼馴染たちを見回す。
一人でテーブルに座り盤上に駒を並べているセファス、長椅子で本を読んでいるイルジェ。
今は両国の王となった二人がこうして何も言葉をかわさず一部屋にいるということ自体、見る人間によっては不思議な光景だ。
彼らの中でもっとも若いエウドラは、窓辺でつまらなそうに庭を見ている。我儘をぶつけていたシスイが、所用で席を外してしまったので手持ち無沙汰になったのだろう。彼女は深い溜息をついて兄たちを振り返った。
「ねえ、レーンはいつ来るの?」
「もうすぐ来るんじゃないか? お前に会うのを楽しみにしていたよ」
盤上から顔を上げてそう微笑んだのは長兄だ。
六人の中では一番子供時代から変化したかもしれない彼は、けれど妹に向ける顔だけは以前とまったく変わりがない。
エウドラは「仕方ないわね」と肩を竦める。少なくともイルジェとシスイ以外に対して、彼女は随分おおらかになったようだった。
母親そっくりの美貌にもますます磨きがかかり、物憂げに見える横顔は数多いる求婚者たちに溜息をつかせると評判である。
その彼女が広間の扉を振り返った時、ちょうど話題の人物が入ってきた。
成長期ににょきにょきと伸びて、今や六人の中でも一番の長身となったレーンは、妹の姿を見ると真っ先に彼女へと歩み寄る。
「エウドラ!」
「レーン、忙しいの?」
「そんなことない。ああ、エウドラ、今日も美しいな。お前に会えるだけで心が浮き立つ。元気にしてたか?」
言いながらいきなり彼女を抱きしめる青年を、他の三人は冷めきった目で見やった。
しらっとした空気が流れる中、エウドラの「離して頂戴……」という声だけが響く。

それぞれ大人になった彼らのうち、一番「駄目になった」のは、このファルサス王弟レーンだろう。
もっともそれは剣術や勉学についてではない。単に元から酷かった妹への偏愛がますます高まり、ちょっとした病気の域にまで達したのだ。
おかげで彼自身にはまったく浮いた話などない。それどころか妹の縁談まで追い払う始末だ。
他国に属する弟のせいで王女の縁談が難航しているイルジェは、彼女を抱き上げているレーンに向かって冷ややかな声を投げつける。
「エウドラを下ろせ。触るな」
「なんでそんなことを言うんだ、兄上!」
「暑苦しいからだよ」
長兄にまでそう言われては従わないわけにはいかない。
渋々小柄な妹をそっと床に下ろしたレーンは、けれど気持ちが抑えきれないのか妹の周りをぐるぐる回り出した。
髪が綺麗、ドレスが似合う、口元が愛らしい、耳朶の形がよい、と次々独り言を呟いては頷く青年に、年長の三人は無視を決め込む。
ただ当のエウドラだけが「目が回るわ」と苦言を呈して兄の動きを止めた。
「ねえ、レーン。最近、私の求婚者たちがそろって腹痛を訴えてくるのだけれど、心当たりはある?」
「知らないな。というかお前がそんな奴らのことを気にかける必要なんてないだろ」
「噂だけれど、彼らは『筋肉が迫ってくる……』って魘されているそうよ」
「ひ弱な奴らだ」
「―――― いい加減にしろ、阿呆」
イルジェの投げた本は、緩い弧を描いて角からレーンの後頭部に直撃する。
ごつっと響く鈍い音。真鍮で縁を補強された厚い一冊は、床に落ちても微塵も歪んではいない。ジウなどは、投げる為に頑丈な本を持ってきていたのではないかと考えた程だ。
さすがに全身筋肉のレーンでもそれは痛かったのか、両手で頭を押さえて振り返る。
「何するんだよ!」
「それくらいで済むことを感謝しろ。お前のせいで戦争が起きてもいいくらいだぞ」
「まったくだね。イルジェは目を離すとすぐにファルサスに攻め込んでこようとするし。
 ―――― レーン、悪さが過ぎるようなら今度は転移出来ないよう精霊を取り上げるよ」
「げ、それは……」
「もう適当に結婚させたらいいだろう。何処かに繋いでキスクに寄越すな」
「これでもエウドラが絡まなければまともなんだ」
弟を擁護するセファスは、盤上から視線を移すと「そうだね、ジウ?」と同意を促した。
それについてはまったく同意であったので彼女も首肯する。
「殿下は国内にいらっしゃる限りはまともです」
「ならキスクは出禁だ」
「兄上! エウドラに会えなくなったら俺は死ぬ!」
「死ね。ひからびろ。真人間に戻れ」
「エウドラ! 俺と別の国に逃げよう!」
「嫌よ」
レーンがやって来たのを皮切りにどんどん騒がしくなっていく広間。
ジウは眠っている我が子を気にして視線を落とした。それに気づいたセファスが「部屋に戻っていなさい」と促す。
頷いた彼女がそっと立ち上がり部屋を出て行こうとする間にも、イルジェとレーンの応酬は熱くなっていくようだ。
まるで十年以上前に時が巻き戻ったかのような感覚。一礼して扉を閉めたジウに、廊下を戻ってきた弟が声をかけた。
「姉さん、どうしたの?」
「レーン殿下がいらっしゃったから」
「ああ」
察しのいい弟はそれだけで、重厚な扉の向こうで何が起きているのか察したらしい。「ちょっと煽ってくる」と止める間もなく中に入っていった。
一人取り残されたジウは思わず溜息をつく。
「どうしてああなんだろ」
独りごちてみても答はよく分からない。
―――― それでも、彼らの仲がいいのは本当のことだろう。
ジウはふっと微笑むと自分の部屋へと帰っていく。微かに聞こえる怒声や魔法の爆発音も大した問題ではない。
ファルサスとキスクの両国は、今のところおおむね平和だった。