mudan tensai genkin desu -yuki

王都に移り住んだラジュの住む家は、妻と二人で暮らすにふさわしい慎ましやかなものだ。
部屋数もそう多くはない。多くはないのだが、何だかよく分からない魔法のものを保管する為の部屋として、彼の妻は私室を一つ持っていた。
魔法具や魔法書ばかりの部屋を覗き込んだラジュは、作業中の彼女を呼び止める。
「何やってるんだ?」
「あ、ラジュ」
魔法着姿の彼女は調合机に向かって何かをしているようだ。ラジュは机の隣にある薬品棚へと目を留めた。
「すごいな。これ全部魔法薬?」
「大体そうですね。自分で作ったのも貰い物もありますが。その辺で売っているのは質が悪くて駄目です」
「へえ」
試しに歩み寄って一つ瓶を手に取ってみると、そこには妻の字で「解毒薬その一」と書かれていた。
何がその一なのか、その二は何なのか、つい隣の瓶も手にとって確かめてしまう。
しかし次の瓶には「その二」でなく、「猫薬」とある。
「……猫薬?」
「猫になる薬です」
「なんでそんなのがあるんだよ」
「折角作ったので勿体無くて……」
何を思ってそんなものを作ったのか、不審この上ない。
ラジュは棚に猫薬を戻すと、調合机を覗き込んだ。
「今作ってるのは?」
「犬薬」
「…………」
「冗談です。単なる麻酔薬です」
透明な瓶の中の透明な液体を、ティナーシャは笑って振ってみせる。
微かに漂う甘い香りは、材料の一つだろうか。ラジュは赤い花弁をすり潰した鉢を見た。
「媚薬でも作ってるのかと思った」
そんなことをつい言ってしまったのは、魔法薬として有名なものの一つがそれだからだ。
言ってしまった瞬間不味いと思ったが、妻の様子を窺うと彼女は闇色の目を丸くして、彼の顔を見上げていた。
まじまじとした視線が居心地の悪さを煽る。
「……貴方が飲んでくださるのなら作りますが」
「飲まない! 飲むわけがない!」
「なら作りません」
けろりとした様子の妻は、さっさと片付けを始めた。
からかわれたのかもしれない。強い脱力感を覚えてラジュは棚に手をつく。
「ってか、結婚してる相手に飲ませても仕方ないだろ」
「と、私も思うのですが、万人がそう思うわけではないようでして」
振り返った女は、ぐいと一歩踏み込んだ。伸ばされた手が襟元を掴む。
長い睫毛が艶を持ってゆらめき、ぞっとするような色香が漂った。
ティナーシャは鮮やかに微笑んで、彼へと顔を寄せる。
「たとえば―――― 私が飲んだのなら、貴方は愉しめます?」
「…………それは」
女の言葉は、それ自体が強すぎる媚薬のようだ。
甘やかな香りに引きずられる想像を、彼は気づいて何とか留める。
酩酊に似た空気が喉を乾かせる。だがすぐにティナーシャは笑いなおすとラジュに抱きついた。猫のように懐いて邪気のない声を上げる。
「冗談ですよ。お望みならば叶えますが」
「あのさ……何で結婚してからもそうなんだよ」
「そう、と言われても。前からいつも通りですよ」
「無自覚なのがなお悪い」
たちの悪い女だ。癖のあるその性格をラジュは噛み締める。
そうして彼は、抱きついてきた女に口付けを一つ落とすと「外行こう、休みだし」とその白い手を引いたのだった。


「ちなみにあの棚にあるのは危険物が多いので持ち出さないでくださいね」
「言われなくても持ち出さない」
「ルクレツィアの薬とかも混ざってるので注意!」
「誰だそれ……知らないけど何か嫌な予感がする」