目隠し

mudan tensai genkin desu -yuki

相性の悪い男だ、というのが、ヘルジェールの抱く彼への印象だ。
彼女が懇意にしている王子のもとへ、彼女自身を要求して現れた男。
国を守る代わりに自分の妻になれと言って憚らない彼は、確かに大言を大言で終わらせない実力を持っていた。
将としても政務家としても一流と言って差支えない彼の手腕は、日々少しずつ国を変えている。
ただそれは、周囲の人間たちからの圧力に相殺されてのものだ。彼自身の本来の力はもっと遥か上を行くものなのかもしれない。
―――― そんなことを思いながら、ただヘルジェールは彼のことを「相性が悪い」と思っていた。

「少し休んだ方がいいですよ」
男の顔を見るなりそんなことを言ってしまったのは、彼がこの三日間不眠不休であることを知っていたからだ。
彼の敵は周辺国だけでなく、悪意を持った味方や無能な者もまた含まれる。
それら全てを捌きながら手を打っていくのは、沼地に腰まで浸かったまま歩き続けるに等しい行為だろう。
しかし男は条件の悪さに音を上げることなく、ひたすらに自分の出来ることをこなしていた。
今も与えられた部屋で仕事に取り掛かっていた男は、入ってくるなり忠告を口にしたヘルジェールを、苦笑をもって見上げる。
「どうしたんだ急に」
「急にではないでしょう。自覚がないわけでもないでしょうに」
他の人間は、彼のことを「何でも簡単にこなしてしまう男」と思っている。
それは事実で―――― だがそれだけではない。
彼は神でもなんでもないのだ。働き続けている負荷は、間違いなくその体へとかかっている。
ヘルジェールは平静を装う男を、目を細めて睨んだ。
「薬士を誤魔化せると思ってるんですか? 適度に休まないと何も出来なくなりますよ」
「あとちょっとできりがいい」
「今」
言いながらヘルジェールは後ろに回した袖の中で薬瓶を弄った。
この男は「魔法薬は効かない」と自称しているが、それは魔法薬であることが分かって服用する場合に限られるのだ。
言ってしまえば、こっそり盛ってしまえば薬は効く。
短い付き合いながら激しい攻防によってそのことを知ったヘルジェールは、小さな眠り薬の瓶を掌に握りこんだ。そっと机に近づいていくと、男は持っていたペンを置く。
「そうだな。お前が添い寝してくれるなら今寝てもいいぞ」
「また何、寝言いってるんですか!」
「寝言を言ってるなら寝てるんだな、きっと。だから放っておいて大丈夫だ」
「…………」
―――― やはり相性が悪い。彼とぶつかってやりこめられないことはないのだ。
ヘルジェールはぶすっとした顔で男の机へと近づいた。実力行使で薬をねじ込んでしまおうと彼の背後に回る。
しかし瓶を持った手を伸ばそうとした時、彼は前を見たままひょいとその手を掴んでしまった。
「ちょ……っ」
「後ろに回るなんて、何かしようとしてるのが見え見えだぞ」
くるりと椅子を回した男は、嫌がるヘルジェールを膝の上に抱き上げる。
逃げ出そうともがいた彼女は、けれど男が離してくれないと分かると肩を落とした。
「なんなんですか、もう……」
「折角近づいてきたから。触りたい」
「猫扱いしないでください」
抱きしめられ、額に口付けられる。
それくらいはもういつものことだ。ヘルジェールは両手をつっぱったが、細い腰はしっかりと男に抱き取られていて降りれない。
彼女は薬瓶を持ったままの手で男の胸を叩いた。
「無駄な力を使わないで寝てください。後に響きますよ」
「お前を手に入れる為だからな。これくらい何でもない」
「私が約束を反故にして逃げたらどうするんですか?」
「追いかける」
「ね、粘着……」
言いながらヘルジェールは、軽い眩暈に襲われた。ぐらりと視界が傾く。そこに、見たはずもない景色が幻影のように重なった。


『―――― 殺してやる。何処までも追いかけて。貴様らの血肉の欠片さえ残さない。全て滅してやる。焼き尽くしてやる』
乾ききった荒野。
天を衝く声は慟哭にも似ている。
深い悲しみが人を殺す。
何もかも見失ってしまう程の狂乱。
それからどうしたのか―――― 彼女は、覚えていない。


「ヘルジェール」
囁く声は、すぐ耳元で聞こえた。
ヘルジェールは体を震わせて男を見る。彼は、青い目に穏かな熱を湛えて彼女を見ていた。
その一瞥に安堵を覚えるのは何故なのか。彼女はふっと息を吐いた。
「……寝てください」
「そればっかりだな。お前は」
苦笑されても、それしか言うことが出来ないのだ。自分の力はそう強いものではない。転移や治療と、後は精霊魔法で薬を作るくらいだ。
ヘルジェールは手の中の瓶に視線を落とした。
「こ、これを飲んでくれるなら……そ、添い寝してもいいです、から」
「ん? 一緒に寝る気があるなら薬は不要だぞ」
「薬で眠らせてないと安心出来ません」
「俺は猛獣か何かか」
―――― 大差ない、とは思ったが、口にすると苛められそうなのでヘルジェールは押し黙る。
男は微笑すると、彼女を抱いたまま立ち上がった。
「なら折角だから休むか。お前を邪険にしては本末転倒だからな」
「邪険にしてもいいです」
「俺が構いたい」
彼はヘルジェールを片手で抱き直すと、もう一度ペンを取り書類に何事か走り書きをした。その一枚と他の数枚を束にして手に取る。
政務官にでも預けていくつもりなのだろう。暴れることの無駄さを知っている彼女は、小さく溜息をついた。
扉に手をかけた男は、だが不意にそのままの姿勢で留まるとヘルジェールを見上げる。
「ヘルジェール、お前は精霊術士だと言ったな」
「はい。薬専門ですけど」
「勿論お前は、精霊術士の条件を知っている」
「そりゃ知ってますよ……。だからあなたを嫌がってるんですけど」
―――― 純潔が精霊術士の条件だということは、彼も知っているはずのことだ。
彼はそれを知りながら「構わない」と求婚してきたのだ。それともやはり力を失わせるのは惜しくなったのだろうか。
何を言いたいのか掴めぬ男に、ヘルジェールは眉を寄せる。
「それがどうしたんですか?」
「いや……」
何かを考え込んでいるような沈黙は、そう長く続かなかった。
男はヘルジェールを床に下ろすと改めて手を差し出してくる。
「おいで」
「……はい」
大きな掌は温かい。
彼女はそのことに自分でも不思議なほど安堵すると、そっと指を絡めて強く握った。
何も思い出せない。
なかったはずのことなど何も。分かるはずもない。
ただ少しだけ声を上げて泣きたいと、ヘルジェールは思った。