報せ

mudan tensai genkin desu -yuki

その日、執務室にいたのは本来の主人である王ではなく、彼の妻である魔女だった。
極めて珍しいことに風邪で寝込んでいる夫に代わって、執務をしていた彼女は、扉を叩く音に顔を上げる。
「入りなさい」
そっと中に入ってきたのは王の側近であるラザルだ。
彼は何故か申し訳なさそうにティナーシャを見ると、溜息混じりに頭を下げた。
「実は近隣の村の洞窟で奇怪な生き物の目撃証言が出ていまして……」
「揉み消せ」
反射で答えてしまった彼女は、ラザルの蒼白な顔を見て己の発言に気づいた。
白々と、何も言わなかった振りをして言いなおす。
「分かりました。後で私が様子を見に行きます。いいですか、私が! 行きますからね!」
「は、はい」
「絶対にオスカーに知られないようにしてください。分かりました?」
「分かりました……」
ラザルの返答に満足して、ティナーシャは書類を受け取る。
そうして彼女がその日の全ての執務を終えて、夫の寝室に様子を見に行った時、そこは見事に空っぽだった。


「―――― 時々、本気でしばき倒したいなって思うんですよ」
「…………」
「言っても聞かない時とかね。学習能力がないっていうか、聞く気がないんですよね、あれは」
「…………」
「一度半日くらい逆さづりにして言い聞かせてみましょうか。それでも治らなそうですけど」
淡々と怒っていることが明らかな王妃の言葉に、ラザルはただ項垂れていくだけだ。
しまいに彼は「本当に申し訳ありません」と頭を下げた。怒られているのは自分ではないのだが、主君についての説教は自分が受けているのと同じである。
暗い夜の洞窟を魔法の光で照らして歩きながら、二人はいなくなった王に対しぶつぶつと文句を重ねていた。
とは言え、文句を口にしているのはティナーシャだけで、それも文句というより愚痴である。
ラザルは大きな溜息を零した。
「どうしてばれたんでしょうか……」
「どうしてですかね。そんなところに無駄な勘を発揮しないで欲しいんですけど」
言いながら二人は、洞窟の先が薄蒼く光っていることに気づいた。
そろそろ目的地が近いらしい。ほっとしたような緊張するような矛盾する感情をラザルが抱いた時、突然隣のティナーシャが走り出す。
ぎょっとした彼は、しかしすぐに我に返ると王妃の後を追った。彼女は小柄な体に見合う身軽さで駆けていく。
やがて洞窟の奥が開け、そこに泉が広がっているのが見えた。―――― 更には泉の中から頭をもたげている大蛇と、それに剣を向けている男の背中も。
ティナーシャが泉に向かって走りこみながら叫ぶ。
「なああああああああにやってるんだ馬鹿ああああ!」
白い右手に魔法の光が宿る。それを大蛇の頭に向かって投げつけた彼女は、直後夫の背に飛び蹴りを入れた。


高熱が下がっていないオスカーに怪我はなかった。どちらかというと、ティナーシャが入れた蹴りが一番問題だった気がする。
その場で王を問い詰めた二人だが、彼の返答は熱に浮かされているせいか、まったく要領を得ないものだった。
「蛇が呼ぶから見に来ただけ」と繰り返す王を気絶させて、二人は転移門で城へと帰る。
夫を元通り寝台に寝かせたティナーシャは、控えの間に戻るとラザルにぼやいた。
「なんですかね、あれ。風邪の症状の一種なんですか?」
「らしいと言えばそうなのでしょうが……」
「あの人の意味不明さは処置なしですよ」
これは次に熱が出た時には物理的にも魔法的にも拘束しておかねばならないだろう。
何ともいえない疲労感に解散した二人は、翌日まったく記憶のない王に更に疲労したのだった。