夜這い

mudan tensai genkin desu -yuki

その日の帰りが深夜になってしまったのは、引き受けた仕事が思ったよりも早く終わったせいだ。
翌朝までかかるという当初の予定から半日程早く解放されたエヴェンは、すっかり明かりが消えている新居に戻ると、音をさせないよう家の中へと入る。もう妻である女は寝ているであろう時間。彼は浴室で簡単に血と汗を流すと、着替えを済ませて寝室を覗いた。
明かりの一つもない部屋の中は、けれど窓の隙間から差し込む月光でぼんやりと様子が分かる。
広い寝台で一人膝を抱えて眠っているクラリベルは、安らかな寝息を立てて、彼の存在にまったく気づいていないようだった。
そのことに安心する半分、悪戯心も覚えて、エヴェンは足音を忍ばせる。
寝台に歩み寄った彼は縁に腰を下ろすと、手を伸ばして妻の髪を梳いた。
「よく寝てるなぁ」
彼の新妻は、眠りに関しては浅くも深くもない。
疲れていれば何をしてもぐっすりと起きないが、そうでなければ適度なところで目を覚ます。
だからエヴェンは、彼女が起きないであろうぎりぎりのところを辿りつつ、顔にかかる髪を指で避けてみた。
油断しきった寝顔は、彼女がまだ少女から抜け出したばかりの十代であることを思わせる。
起きている時の、何処か毅然とした様子とは異なるその表情に、エヴェンは声を潜めて笑った。妻を起こさぬよう気をつけつつ、その背に寄り添って横になる。夜着の上からそっと細い肩に口付けた。
瞬間、頭の中で誰かの殺気を思い出し、エヴェンは苦笑する。
「……さて、あいつはいつ頃来るんだろうな」
新妻の兄である青年は、訳あって置いていかねばならない妹をエヴェンに頼んでいったのだ。
その結果がこれだと知ったなら、まず剣を以って応えてくるだろう。
さすがに殺されるまではいかないだろうが、ある程度の怪我は覚悟した方がいい。
だがそうは思っても、エヴェンは無性に可笑しくて仕方なかった。笑いを堪えて、妻の耳朶に顔を寄せる。
その額をぺしゃりと女の手が叩いた。
「―――― 何笑ってるんですか」
「あれ、起こしちゃったか」
じと目で振り返ったクラリベルは、顔を緩める夫に冷たい眼差しを注いだ。
「変な気配がしましたから。起きますよ。お仕事早く終わったんですね」
「そう。おかげで明日は一緒にいられる」
両手を伸ばして妻の体を抱き寄せたエヴェンに、しかし返って来たのは平坦な反応だ。
「じゃあお疲れでしょうから、早く寝てくださいね」
「まだ眠くない」
「エヴェンさん、さっき兄のことを考えてにやにやしてたでしょ」
「………いや、そんなことは」
ひょっとして彼女は読心の術を持っているのだろうか。
そんなはずはないと思いながら内心ひやりとしたエヴェンに、クラリベルは己の目を擦って欠伸をした。
眠気が残っているのか舌足らずな声が夫を諌める。
「私に悪戯したらどんな怒られ方するかな、なんて考えてちゃ駄目ですよ……」
「……はい」
「はい。分かったらおやすみなさい」
「おやすみ……」
彼の腕の中でくるりと反転した女は、夫の胸に寄りかかり再びすやすやと眠り始めた。
それを確認したエヴェンは、だがそれ以上何をする気にもなれず嘆息する。

―――― 自分よりもずっと若いはずの妻は、どうしてこんなに何もかもを見抜いてくるのだろう。
そう不思議に思いつつも抱き寄せる温もりは大体が甘く、少しだけ苦く、何よりも幸福だった。