恋文

mudan tensai genkin desu -yuki

人目につかぬ森に在る彼らの屋敷は、広く作られてはいるが、その分内部にはそこかしこに混沌が潜んでいる。
それは住人である二人が悠久を生きる以上仕方のないことで、つまりは捨てられないものたちが、密やかに戸棚や引き出しにしまいこまれていたりするのだ。

切っ掛けは読みかけの本を何処に置いたか忘れてしまったことだ。
心当たりのあるところを二、三見て回り、それでも本を見つけられなかったオスカーは、ひょっとして妻がそれを片付けてしまったのではないかと思い至る。今は買い物に出ている彼女は、確か午前中はあちこち本の整理をしていたはずだ。
彼はそうしてティナーシャが触っていた本棚の一つに歩み寄り、背表紙を眺め始めた。
上から順に見ていったところで、オスカーはふと何も背に書かれていない分厚い一冊に目を留める。
「何だこれは」
この家の蔵書は彼ら二人が好き勝手に買っては溜めていっている為、見覚えのない本は珍しくないが、題名がないのは気になる。
オスカーは深い赤色の一冊を取り出し―――― それが本ではなく箱であることに気づいた。
本の形を模した箱は、中に書付の類が入っているらしい。ゆするとかさかさと音がした。
―――― 開けていいのかどうか、迷ったのは数秒だ。
本当に開けられて不味いものなら、このようなところには置かないだろう。そもそもティナーシャは、夫に私事を知られることについてほとんど抵抗を持たない。研究室など自分の空間を持ちたがるのは、単に集中する為だ。
だからこの箱も、大した秘密ではないのだろう。
本当に大事そうなものであれば、すぐにしまいなおせばいい。そう思って軽く箱を開けたオスカーは、だが数秒後己の判断を後悔した。

「…………何でこれが」
箱の中にしまわれていたものは、何十通もの封書だ。
それに見覚えがないはずがない。彼自身が送ったものであるのだから当然だ。
差出人の名前は三種に分かれているが、それはいずれも彼自身だ。
そして宛名は二種。そのどちらもが、同じ女を意味していた。
おそらく劣化防止がかけられているのだろう。何百年経とうとも出した時のままの封書を前に、彼は黙って箱を閉める。
オスカーは、自分が動転していることに気づくと重く頷いた。
「よし、燃やすか」
「何言ってるんですか」
背後から白い手が伸びてきて、ひょいと赤い箱を取り上げる。
いつの間に帰って来たのか、箱を胸の中に抱え込んだティナーシャは、呆れた目で夫を見上げた。
「勝手に人のものを処分しようとしないでくださいよ。何なんですかもう」
「……俺が出したものだろう」
「貰った以上私のものです」
小さく舌を出す女は、オスカーの苦い顔にまったく頓着していない。
彼は冷えた背を汗が伝っていくのを感じた。
「まぁ待て。そんなの取っておいても仕方ないだろう」
「やですよ。大事なんですから」
「もう要らないだろう。用は済んでる」
「そういうこと言うと朗読しますよ」
「俺が悪かった!」
激しい敗北感と共に両手を上げると、ティナーシャはくすくす笑う。
―――― 赤い箱の中にしまわれている手紙は、全て彼がかつて送った恋文だ。
本来の彼には女に手紙を送る習慣はない。だが悠久を生きていれば、それが当然の習慣だったこともあるのだ。
誤算があるとしたら、その全てを取っておかれていること自体だろう。
あの頃自分は何を書いたのか、思い出そうとしてオスカーは反射的に記憶の汲み出しを拒絶する。意味のない叫びを上げたい衝動に駆られつつ、深呼吸して気を落ち着けた。
箱を抱えたままのティナーシャは面白そうにその様子を眺めている。
「貴方のそういう顔、珍しいので得した気分です」
「そうか……よかったな……」
「これは捨てられないところにしまっときましょう」
「負の海なんかどうだ?」
「やですってば」
女は軽く指を弾くと手の中の箱を消した。簡単には彼の目に触れないところに送ったのだろう。
オスカーはそのことに若干安堵しつつ―――― だが激しい疲労に小さく呻いた。
探していた本は、長椅子の隙間に落ちていた。