放浪者

mudan tensai genkin desu -yuki

旅をする経験は初めてではない。
けれど初めてだったとしても、することは変わらないはずだ。
荷物を作り、情報を集め、道を選ぶ。
町から町へかかる日数を計算し、補給を考える。
思考を組み立て、行動に移す。
それは生きている以上、当たり前のようにすることで、取り立てて特別なことではない。
―――― そう、エリクは思っている。



「エリクって旅慣れてますね……」
「そう?」
魔法大国ファルサスを目指して町から町へと移動する途中、同伴者である少女に言われて、エリクは振り返った。
馬の鞍に荷を結びつける手を止めぬまま、聞き返す。
「慣れているって程、旅をしたことがあるわけじゃないけど」
「そうですか? 荷造りもルート選びも随分手際いいですよ」
感心したように見上げてくる少女は、肩にいつもの鞄をかけている。
そういう彼女こそ異世界に来てしまったという状況の中では、手際よく動いていると思うのだが、どうにも自分のことに関しては客観的に見られない性質らしい。
エリクはそう大きくもない荷を鞍上にまとめてしまうと、彼女へと手を差し出した。見慣れない作りの鞄を引き取る。
「手際いいかな。これが普通だと思うけど」
「普通では絶対ないと思いますけど。物とか場所に執着が微塵もないですし」
「優先順位をつけているだけだよ」
逆に言うと、それが出来ない人間は旅になど出ない。
自らの領域に望むものを押し留めて生きる。或いは、押し留められてそこに居続けるかだ。
そして、自分はよくも悪くも、そのような人間ではない。
必要なものを必要なだけ、それが不可能な時は、可能である分だけ持つ。道筋を選ぶのも同じ手順でだ。
「変わったことはしてないよ。出来るだけ先のことまで考えてはいるけど、その場その場で考えることもあるし」
「その違いがはた目からでは分からないんですけど」
「君は大体逆に見えるね」
「へ?」
長い黒髪をまとめて、旅人の外套を身に着けた雫は、元々丸い目を更に丸くした。
鞄をエリクに預けた彼女は、今は右手には何も持っておらず、ただ左手にはこの町で買った小さな鐘を下げている。
エリクからすると「取り立てて要らない」としか思えないそれを、雫は軽く振った。
「あ、この鐘ですか? いえ、山に入るかもっていうから熊よけになるかと思って……」
「なんだかよくわからない」
「あれ?」
不思議そうな顔で、彼女は耳の横に上げた鐘をからからと鳴らす。
その仕草は何処か、置き去りにした故郷を手繰り寄せるようだ。黒い瞳が茫洋と乾いた空気を眺める。

―――― その場その場で全てを考えているような彼女だ。
柔軟で、それでいて頑固で、くるくると感情が変わる。
だがそれでいて彼女は、時にひどく先を見据えてもいるのだ。

雫は小さな鐘を腰につけ直すと、脇に持っていた地図を広げる。
「熊がいないならそれでいいんですけど、山は何がいるか分かりませんからね」
「そうだね」
「下手に人間と会っちゃうよりはいいんでしょうけど」
彼女は頭を動かさないまま、目線だけで後方を窺った。取り出したペンで無造作に地図に道程の書きこみをすると、それを服の中に捻じ込む。
からからと軽い鐘の音をさせて、雫は馬に歩み寄ると笑った。
「行きましょう」
「うん」



旅をする経験は初めてではない。
だが彼女にとっては、何もかもが初めての体験のはずだ。
にもかかわらず、彼女は一瞬一瞬、現実に適応し続けている。
計算し、思考し、行動に移す。
その道程は時に迂遠で、だが彼女の選ぶ道だ。
馬上の人となり、町を離れて行く途中、雫の服から地図が落ちるのをエリクは無視する。
そして彼女が、森の中の木の一本に小さな鐘を結びつけた時も。
鞍の上に戻った雫は、彼に向かって肩を竦める。
「これで騙されてくれるといいんですけどね」
「時間は稼げると思うよ」
少なくとも、町にいた時から二人の様子を窺っていた盗賊崩れは、彼女の落とした地図から間違った道を行くだろう。
鐘を買ったのもそこまで考えてのことなのか。エリクは隣を行く少女の横顔を見やった。
「君の『当たり前』は面白いね」
「異世界人ですからねー」
当然のように嘯く少女に並んで、青年は先へと手綱を操る。
取り立てて特別なことはないはずの旅路。
だがそれも、彼女の存在一つで興味深いものに変わるのだと思いながら。