形見

mudan tensai genkin desu -yuki

シエラが小さな銀色の箱を見つけたのは、夫の許可を得て彼の私物を整理していた時のことだ。
引き出しの奥深くにしまわれていたその箱は、表面に見たこともない紋様が刻み込まれている。
さては魔法の品なのだろうと持ち主に確認しにったシエラは、けれどそこで、意外な答を聞いた。

「母の形見なんですよ」
「え、お母さんて、あの……」
「青き月の魔女ですね」
御伽噺の中のようなその二つ名に、シエラはぽかんと口を開いてしまった。
勿論、知識としては王弟である夫の母が、大陸最強の魔女であったことは知っている。
知ってはいるが、長い時を生きていたその存在が本当に自分の間近にまで感じられると、不思議な感慨が湧いてくるのだ。
小さな箱を手にじんわり感動している妻が面白かったのか、長椅子に座って読書していたルイスはくすりと笑う。
「開けてみていいですよ」
「いいの?」
促されてシエラは、おそるおそる繊細な掛け金を外した。そっと中を覗きこむと、そこにはほっそりした指輪が入っている。
王族のものにしては飾り気のない銀色の指輪を、シエラはまじまじと見つめた。
「表面のこれ、箱の彫刻と同じ?」
「そうです。どちらもトゥルダールから伝わるものですよ」
「トゥルダール……」
初めてその国の名を聞いたのも、彼の口からだ。
母親である魔女の生まれた国。遥か遠い昔に滅んだ魔法の国に、シエラは及ばぬ想像を巡らす。

乾いた砂の香り。
尽きぬ風。掠れて溶ける詠唱の声。
魔法着に身を包んだ人々の行きかう街並を、黒い子猫が駆けていく。
その先にあるものは白い壮麗な城で――――

「あれ?」
シエラはふと我に返って顔を上げる。目の前にいる夫を不思議に思って見つめた。
「何かした?」
世間を知らない少女の想像にしては、いやに具体的な風景だ。
これは夫が魔法で何かしたのではないかと疑うシエラに、ルイスは目を丸くすると小さく噴き出した。
「何もしてませんよ。その指輪自体に魔法がかかってるんです。トゥルダールの景色を記憶させた魔法具と言えばいいでしょうか」
「そんなのあるんだ!」
「ありますよ。トゥルダールの遺産は、半分がファルサスに持ち込まれていますが……もう半分は母の塔に置かれていました。これもその中の一つです」
大きな手が、シエラの手の中から銀の箱を取り上げる。
懐かしそうに母の形見を扱うその手は、彼女が初めて見る郷愁に溢れていた。
―――― 生まれた時には既に亡国であったトゥルダールに、彼がどのような感情を抱いているのか。
不思議に思うというほど不躾ではない。ただシエラがじっと見つめていると、ルイスは恥ずかしそうに肩を竦める。
「姉は父似ですから、芯からファルサスの人間ですが、僕はどちらかというと母寄りですからね。子供の頃は体が弱かったせいもあって、よくトゥルダールの景色を見せてもらっていました」
「見せてって、魔法で?」
「ええ。と言っても、母自身は城の中しか知りませんから。主に精霊たちが見ていた景色ですけどね」
「ああ」
夫が使役する四人の精霊にはシエラも会ったことがある。
トゥルダールが栄えていた時代から生きてきたという彼らは、やはり何処か人間とは違って、立ち入れぬ領域をシエラに感じさせるのだ。

聞けば聞くほど果てしない話に、シエラは感嘆の息をつく。
「なんかすごいな……想像できない」
「僕にとってもトゥルダールは、絵本の中にあるような国ですよ」
ルイスの手が長椅子の隣をぽんと叩く。
シエラはそれに応えて、戸惑いながらも夫の隣に腰かけた。伸びてきた手が彼女の目の上を覆う。
「―――― こんな景色です」
「……っ」
言葉と共に流れ込んできたのは、先程よりもずっと鮮明な異国の風景だ。
広がる青空と、その下に聳える城。品のある華やかな街並みにシエラは息を飲んだ。夫の苦笑混じりの声がそこに重なる。
「規模としては小さな国だったらしいですがね。……母は、僕にはよくトゥルダールのことを教えてくれました。こんなことをあなたに言うのは申し訳ないのですが、僕は後継が出来ない人間ですからね。思い出を継がせるにちょうどよかったんでしょう」
穏やかな声に、己の境遇を厭う響きはない。
そのことにシエラは幾許か安堵して―――― そして物悲しさをも覚えた。

とうに滅びた国の、最後の女王。
永い時を経て新たな大国に嫁いだ彼女は、血の行き止まりとなる息子にだけ、祖国の思い出を伝えたのだ。
それはファルサスという国に溶け消えて行くトゥルダールの、純粋な真摯であったのだろう。
過去と今。どちらにも繋がる愛情が、そこにはきっとある。

鮮やかな景色がふっと消えると、シエラは目を開けた。
「ルイスが懐かしいって思ってるのは、トゥルダールじゃなくてお母さんの方?」
「まぁ、そうです。あの人は子供の前であっても私情をあまり出しませんでしたから。トゥルダールの話をする時は少し人間味があって……印象的でした」
言いながら、ルイスの手はシエラの頭を撫でる。
郷愁を漂わせるその仕草は、だがやはり優しく穏やかなものだ。
それは家族を思う温度に満ちており、シエラの安堵は少しずつ大きくなっていく。自分が、彼の大切な記憶を伝えられる人間であるということも、それを支えた。
ルイスは銀色の箱の蓋を閉めると、彼女の手の中にそれを戻す。
「しまっておいてください。見たい時にはいつでも見ていいですから」
「ありがとう、ルイス」
「今度はあなたの話を聞かせてください」
「あんまり面白い話はないんだけど」
くすぐったくい空気を味わいつつ、シエラは手の中にそっと箱を包みこむ。
伝わって来る感触はひんやりとして、けれど何処か懐かしい温かさを彼女に伝えていた。