賭け

mudan tensai genkin desu -yuki

日常というものは、退屈でつまらないものだと考える人間も多いらしい。
だがそのような者たちとは違い、少なくともイルジェは、日常に不満を抱いたことはほとんどない。
彼の毎日は基本多忙で、やりたいことが列を成している。
だから退屈を感じる暇もないのだ。
―――― それでも時折、空隙のように退屈を感じることも、ないわけではないのだが。

「何をなさっているのですか」
うららかな昼下がり、城の回廊の只中に椅子を置いて座すイルジェは、従者にそのように言われて顔を上げた。手に持ったペンを示す。
「統計を取っている」
「統計ですか。何のですか」
「ここを通る人間の」
手元の紙には、時間と男女、大体の年齢と役職が整然と記録されている。
何を思ってこのようなものを記しているのかは分からないが、イルジェの書くものだけあって過不足がない。
主の力作をシスイはざっと見て納得した。
「これは、何に使われるものなのですか」
「何に使えるだろうな。特に考えてない」
常に何かしらを変質的に追及している王太子としては、珍しい発言だ。
シスイはいつもより少しだけぼんやりして見えるイルジェの横顔を窺う。
まさかとは思ったが、一応確認してみることにした。
「殿下、お暇なのですか」
「……そうと言えなくもない」
「お暇なんですね」
―――― まったく稀有な事態だが、暇であるらしい。
首を捻りかけて、シスイは王太子の教師を勤めている一人が、昨日から急病で倒れていることを思い出した。
それに加えてちょうど今は、趣味の研究も一段落している。
これは偶然が重なったことによる暇の誕生だろう。シスイはしみじみと感動しかけて、だが我に返った。
「それで統計ですか」
「そうだが、あまり面白くないな。どうしてか段々通る人間も減っているし」
「殿下がここに椅子を置いて座ってらっしゃるという話が広まったからです」
「なるほど」
だからシスイも話を聞いて様子を見に来たのだ。
完全に飽きてしまったのか、放り投げられた紙を受け取って、彼はしばし考えた。
主人の退屈を拭う為に、あることを思いつく。
「―――― 賭けをいたしましょうか」
「何を賭けるんだ?」
「品はお好きに。これから通る者が男か女かを賭けましょう」
「古典的だな」
「切り上げる切っ掛けにはなります」
このままここに居残られて新たな退屈しのぎを始められても、城の者が困るだけだろう。
イルジェもそれは分かっているのか、あっさりと頷いた。
「じゃあ俺は男で」
「了解しました」
シスイは懐から時計を出し、時刻を確認する。
もうまもなくだ。計算通りと言えば聞こえはいいが、計算をするまでもない。
そして実際、回廊の反対端にはシスイの待っていた人物が顔を覗かせた。
ふんわりと白いドレスを着た王女が、彼ら二人を見るなり走ってくる。
「シスイ! 呼び出していたのに何故こないの!」
怒りながらそう叫ぶエウドラに、イルジェは何ともいえない表情で従者の少年を見上げた。
「…………」
「僕の勝ちですね」
「ずるくないか?」
「先に選択されたのは殿下です」
正論は、イルジェを無言にさせただけだ。
背中にエウドラが激突し、それを背負いながら「では戻りましょう」と平然と言う少年に、王太子は諦めて立ち上がる。
「次は統計で勝敗を決めよう」
「分かりました」
「シスイ! 聞いてるの!? 反省しなさい!」
「エウドラ、煩い」
―――― 多少悔しくはあるが、確かに退屈は拭われた気がする。
こうしてイルジェは騒々しい平穏の中、多忙な毎日へと戻っていくのだ。