当てのない道

mudan tensai genkin desu -yuki

「そんなことばっかりしてると、いつか死ぬわよ」
と言われた。
誰に言われたのかは覚えていない。いつ言われたのかも。
ただ「自分が死ぬわけがない」と思った。それと同じくらい―――― 「死んでもいい」と、思った。



足の裏は血で汚れていた。
石畳を裸足で歩いているうちに汚れたのかもしれない。そう思ってレオノーラは、だがすぐに背後のことを思い出して振り返った。
薄暗くがらんとした地下室に積み重なる死体は、半数以上が血の海に沈んでいる。
その上を踏み越えてきたのだから、血に汚れるのも当然だろう。

―――― そんなことさえも忘れていたレオノーラは、覗きこむために上げていた足を石畳へと下ろす。
自らが築いた屍の山は、既に意識の上にない。
今彼女が見ているものは広い地下の聖堂で、今なお生きている一人の男だった。

「レオノーラ」
剣を支えとして立っている男。
冷え切った目を彼女ではなく床の上に注いでいる男は、年齢こそ二十代後半の若さに見えたが、その眼差しはひどく老成したものだった。
満身創痍の男は、何も映さない目で彼女の名を呼ぶ。
「レオノーラ」
「何かしら」
「お前を愛しているよ」
―――― 余分なものが何もない言葉だ。
それはともすれば、言葉と繋がる感情さえ空虚ではないかと思えるほどだ。
レオノーラは裸足のまま石畳を歩いてくると、男の目の前に立った。
男の視線は、それでも彼女を捉えない。血臭の立ちこめる部屋の暗い影だけを見つめている。
「お前は最初から、退屈を隠そうともしなかった。人のことなどなんとも思っていなかった。まるで興味のない顔をして……その実、人を殺したがって仕方がない。お前は砂糖菓子を貪るように、悦んで人間を殺して、そしてすぐ忘れてしまうんだ。―――― だからいつまでも満たされない」
ゆっくりと吐き出される言葉は、床に触れる端からさらさらと溶け消えてしまうようだ。
それはレオノーラの中を通り過ぎて、何も残さない。何かを感じることもない。全て当たり前のことだからだ。
彼女は空の両手を広げる。
「それで?」
「劣悪なお前を愛しているよ」
「知らなかったわ」
「レオノーラ、お前をこのままにはしておけない」
「知っていたわ」
男はそこで初めて顔を上げた。静かな感情を湛えた視線が、魔女である女を射抜く。
何処までも強く、真っ直ぐな空色の瞳。
それは彼女の記憶を少しだけ刺激した。レオノーラはふっと息を吐く。
「お前、今までにも私を追ってきていたわ」
「そうだ」
「私を殺そうとしていたわね」
「そうだな。最初の時からずっとそうだ。お前は覚えていないのだろうが」
「今、殺してあげるわ」
細い腕を上げる。
その間に、彼女の魔力は白い焔となって燃え上がった。
しかし、男の体を焼くはずだった炎は、振るわれた彼の剣身によってかき消される。
反射的に後ろによろめいていた、その目前を通り過ぎて行った刃に、レオノーラは瞬間、虚を突かれた。
―――― 今までは、こんなことはなかったはずだ。
忘れていたわけではない。その証拠に長剣を構え直した男は、掠れた声で笑った。
「無理を言って借り出してきた。魔法士を殺す為の剣だ」
「……そんなものがあるのね」
「お前の為にだ、レオノーラ」
靴底の、石畳を擦る音。
それを聞く前に、だがレオノーラは短距離転移で男から離れた場所に移動していた。
―――― 本能で、畏れた。
自らの恐怖を遅れて認識した彼女は、死体の山の上で歯軋りする。
剣を手に一歩一歩近づいてくる男を見返し、レオノーラは塊の息を飲みこんだ。
戸惑いが、畏れが、たちまち怒りによって塗り込められる。
彼女は強張る指を手の中に握りこんだ。
「……面白いわ」
「それはよかった。ならここで決着としよう」
「ええ」
名も知らぬ男を前に、レオノーラは再び一歩を踏み出す。
冷えた肉を踏む素足が、僅かに痛んで現実を訴えた。「今を記憶せよ」と無意識が囁く。
胸の奥が熱くなる。
そんな感覚はついぞ忘れていた。だから覚えていなかった。
久しぶりの自分らしい感情にレオノーラは微笑む。
「―――― お前が、畏れなさい」






「そんなことばっかりしてると、いつか死ぬわよ」
呆れたような声は、頭上から降って来た。
冷たい石畳の上、気を失って倒れていたレオノーラは薄く目を開ける。
そこには同じ魔女である女が立っていて、布でくるんだ剣を抱えてレオノーラを覗きこんでいた。
心配しているようにも聞こえるその声に、レオノーラは血混じりの唾を飲みこんで返す。
「死ぬわけがないわ」
「へえ。まあ私は別にどうでもいいんだけど」
「なら消えて」
「勿論。あ、この剣は持ち主と約束してたから、回収していくわね」
軽い断りの言葉と共に、女の姿はふっと消えうせた。
再び戻って来る静寂の空気に、レオノーラは失望を抱いて天井を眺める。とどめを刺されるかもしれないと思った、その想像が期待であるのか否か分からない。ただ拍子抜けしたことは事実だ。硬い石床の感触を味わいながら、レオノーラは宙へと吐く。
「死んでもいいのに」



死ぬならば何処を選ぼうか、と思う。
だが、そんなこともすぐに忘れてしまうだろう。疲れているのかもしれない。眠りたいと思う。
けれど―――― それでは摺りきれ負けてしまったと同じだ。
何も残さない。
残せない。この世界への爪痕一つさえ。



息を、飲みこむ。
目を閉じる。忘れかけていたものを、一つ一つ引き寄せる。
自分のこと、半身のこと、愛情、憎悪、そして、尽きることのない怒りを。
「―――― いいわ」
痛んだ腕に治癒をかける。
足にも、腹にも。そうしてレオノーラは立ち上がる。
石畳に転がる躯を、彼女は探したりはしない。振り返らない。だが忘れることもしない。
血に汚れた足で、魔女は再び歩き出す。
研がれた爪を世界に突き立てるために。
いつか何処かで死ぬ日のために。