お荷物

mudan tensai genkin desu -yuki

―――― 夏休みに入ったと思ったら、魔法のある異世界に放りこまれた。
まるで意味の分からない話だが、現実なのだから仕方がない。
唯一救いなのは、自分が元の世界からある程度の持ち物と共に来ているということだ。
これがなく、本当に身一つで来ていたなら、「自分は異世界から来た」と思いこんでいる狂人だと言う可能性を捨てきれないでいただろう。
雫はそんなことを考えながら、常に携えている鞄を開ける。
そこから使い慣れた筆記用具を出そうともぞもぞ探っている少女に、旅の連れである青年が向かいから声をかけた。
「君のその鞄って面白いよね。便利そう」
「ああ、これですか」
雫が普段通学に使っているバッグは、機能性を重視した丈夫なものだ。
重い本を十冊近く入れて歩くのだから、強度がなければ困る。加えて、小物を入れるスリットが多い方がいい。
鍵や定期などを出すのに探す手間が省けるからだ。
雫は中の本を出して、鞄をテーブルの上に置く。
「便利ですよー。こっちの世界って、マチが広い鞄あんまりないですよね」
「マチ?」
「奥行です。布鞄だと薄いものが多いっていうか」
「あまりたくさんものを入れると、強度が足らないから奥行を取れないんだと思う」
「布地とか縫製とかの問題なんですかね」
そのあたりは雫の専門外だ。とは言え、単なる学生の彼女にとってはほとんどのことが専門外である。
元の世界でも「学ぶ意欲があり、環境を与えられている」ということが肝要なだけの身分なのだ。
彼女は元通り鞄に本を詰めてしまうと、それを椅子の上に戻した。
「エリクも欲しいなら作ってみましょうか。私の技術じゃあんまり本何冊も入れられないかもしれないですけど」
「興味あるけど僕は別にいいや。そんなに本を持ち歩かないし」
「荷物の少なさがすごいです」
いつも重い鞄が標準装備な彼女に対し、エリクは出来るだけ荷物を減らしている。
両手をあけているのが常で、それは不測の事態に対応できるようにとのことだろう。
「私はこれ、借り物多いですからね……」
所持している本のうち、約半数が図書館からの借り物だ。
間違っても異世界で失くしたり焼けたり水没したり爆発したりしないようにしなければならない。
そうやって気を付けている代わりに、雫自身は水没したり邪気に飲まれかけたり失血死しそうになっているのだが、まだ生きているので結果オーライだ。
いざ荷物か自分かどちらかしか救えないような状況になったら、心の底で永遠に詫びながら荷物を犠牲にするかもしれないが、出来ればそうならないでいたいと思っている。
「なんか他に役に立つものがあればいいんですけど」
雫は普段使っていない鞄の外ポケットに手を入れた。どうせ何もないだろうと思っていたその手が、薄いビニールに触れる。
彼女は怪訝に思ってそれを引き出した。
「……おおう、これは」
「何それ?」
「味海苔です」
薄いビニールパックに入った二枚の味海苔。
なんでそんなものが通学用鞄に入っているのかとも思うが、確か最後の日に学食でもらったものを食べずに押しこんでおいたのだ。
真空パックされているということは、まだ食べても平気だろう。
彼女は何の迷いもなくそれをぴりぴりと開けると、中の一枚をエリクに差し出した。
「どうぞ」
「何これ」
「食べられます」
もう一枚を雫は自ら口に入れる。
ぱりぱりという小気味のよい音。懐かしい醤油風味の味に、彼女は束の間の幸福を味わった。
幸せそうに涙ぐみながら黒い紙を食べる少女を、エリクは真顔で見つめる。
彼はそうして、自分に手渡された一枚を口に運んだ。ぱり、と音をさせて咀嚼する。
「……美味しい」
「でしょう! そうでしょう!」
「不思議な味だ」
「それが我が国の擁する醤油の力です! 味海苔待ったなしです!」
「よかったね」
降って湧いたような幸運を雫は噛みしめる。
これも鞄にいっぱいポケットがあったおかげだろう。彼女はひとしきり余韻を味わうと、他のポケットも探り始めた。
だがそれ以上面白いものは見つからず―――― 雫は「次に異世界に来るなら醤油瓶は持ちこみます」と断言して、エリクに「そんなに行き来する目的は何?」と流されたのだった。