森の魔女

mudan tensai genkin desu -yuki

深い森の奥には魔女が住んでいる。
道なき道を進み、垂れ下がる枝をくぐり抜けた先にひっそりと居を構えているという魔女。暗い森を無事抜けて、彼女の前に辿り着くことが出来れば、魔女はその勇気に応えて一つ望みを聞いてくれるという。
―――― もっともその話を聞いた当の魔女は「私、そんなこと言ってないんだけど!」と叫んだのだが。






一人の青年が傷だらけで疲れ果て、小さな家の扉を開けた時、中ではテーブルに向かった男がのんびりとお茶を飲んでいるところだった。
整った顔立ちに青い目の男は、突然現れた来訪者を苦笑して見やる。
青年は予想を大きく外れたその相手に虚を突かれたが、気を取り直すと声を張り上げた。
「あなたが魔女か!」
「男に見えないか?」
「見える」
寒々しい沈黙が、二人の間を通り過ぎた。

騒ぎを聞きつけたらしいティナーシャが奥の厨房兼実験室から顔を出す。
彼女は夫と、戸口に立ったままの青年を順に見比べて首を傾げた。
「何やってるんですか」
「あなたが魔女か!」
「え? まぁそうですけど……」
「いやあれは違う」
「え?」
錯綜する会話に、オスカー以外の二人は困惑顔になった。彼らの当惑を解消すべく、オスカーは青年に確認してやる。
「どの魔女を訪ねてきた? ちゃんと言って見ろ」
「……閉ざされた森の魔女を」
「あ、じゃあ違います」
手を上げてあっさりティナーシャが言うと、青年はついに泣きそうな顔になってしまった。
オスカーは、消沈してそのまま消え去りそうな彼に「まぁ落ち着け」と椅子を勧める。ティナーシャが厨房に戻ってしまったので、手ずから冷めかけたお茶を彼に注いでやった。
「で、何しに来たんだ?」
「あなたは魔女ではないのだろう?」
「そうなんだが、留守を預かってる」
この家の主人である魔女は、昨日から急用があるとやらで出かけてしまっているのだ。
その間止められない実験の監視をさせる為に、彼女は友人を呼んだのだが、オスカーはそれに付き合ってここに来ている。
一応留守番である以上、やってきた来訪者を無碍には出来ない。
かつては自分がそうやって魔女を訪ねたことがある彼は、青年の表情から深刻な事情があるのだと察していた。
青年は少し躊躇いを見せたが、大きく息を吐き出して話し始める。
「村から子供が消えるようになった。どうも傍の川に魔物が住み着いたらしい。退治したいのだが、大人が行くと姿を見せない」
「なるほど」
「城に訴えてはみたが、宮廷魔法士は派遣出来ないと言われた。代わりの魔法士を紹介されたが、どうも魔法士が来ている間は魔物は何処かに逃げてしまうらしい。そうやって川を伝っていくつかの村が被害にあっているそうだ」
「それはなかなか面倒な話だな……」
オスカーは頬杖をついて考え込む。
ついていって手を出すのは構わないが、近づくと水中を辿って逃げ出すのではそもそも退治することも出来ない。これは確かに魔女の手を借りたくもなるだろう。彼は厨房へと声をかける。
「聞こえてたか? ティナーシャ」
「聞こえてましたけど、私はここを離れられませんよ。それになんかルクレツィアが、私の塔がなくなってからこっちに挑戦者が来て困るって怒ってましたし」
「引っ越せばいいんじゃないか?」
「貴方のその傍若無人っぷりは懐かしくていいんですが、ルクレツィアが聞いたら激怒しますからね」
「どうもあいつとは相性が悪い」
妻の溜息を聞かなかった振りをしてオスカーは纏めたが、彼女がついてこられないということは自分と青年で何とかするしかないということだ。
オスカーはしばらく考え、結論を出した。
「よし、これで行くか」



「本当に大丈夫なんですか……?」
不安そうな青年の目がオスカーを見下ろす。
問題の川辺から少し離れた林の中で、彼は自分の姿を確認しているところだった。手の甲に刻まれた魔力の封印紋を見やる。
「大丈夫だろう。誘い出して倒す。単純で確実だ」
「ですが……」
青年が困惑を拭えないのは無理もない。今のオスカーの背丈は、青年の半分程しかないからだ。
今回の件に協力するにあたって、彼は魔女に頼んで自分を五歳前後の姿に変えてもらっていた。
それに加えて、魔力を関知されないよう強固な封印も施してもらっている。今の彼はただの子供同然だ。
オスカーは空の右手を握って確かめる。
「よし行くか」
気負いも恐れもない男(子供)を、青年は理解しがたいものを見る目で眺めた。
オスカーは彼をその場に残し、水音の聞こえる方へと向かう。

問題の川はそう広いものではないが、その分中央部は大人の背丈近くの深さはあるようだ。
川縁に立ったオスカーは、日の光をきらきらと反射する水面を注視する。
天気はよく風もない。だが美しい川の畔には彼以外に人の姿がなかった。
被害の話が広まって、村人たちも近づかなくなったのだろう。オスカーは澄んだ浅瀬をのぞき込む。
「―――― 来たか」
すぐに罠にかかるかどうか期待はしていなかったが、ここのところは獲物も少なく飢えていたに違いない。水面にゆらりと暗い影が差した。
軽い水音と共に、青黒い触手が数本、水の中から現れる。半透明のそれは子供にとっては好奇心を誘うものなのかもしれないが、オスカーには一目で魔物の一部だと分かった。彼は自分の両足に絡みついてくるそれらを見下ろす。
「さて、尻尾を切り捨てて逃げられても困るからな。しっかりきっちり根絶させるか」
川の中に引きずり込まれながら、オスカーは子供の体に見合う小さなアカーシアを右手に生み出す。魔女がかけておいた捕縛結界が、するすると触手を追って広がった。オスカーは自ら水の中へと大きく踏み込む。
―――― そうして魔女の代理人は無事、請われた役目を果たしたのだった。






「ただいまー、何もなかった?」
「達成者が来たから望みを叶えといたぞ」
「なんでそう余計なことすんのよ! 私の森は塔じゃないっつの!」