薔薇の咲く庭

mudan tensai genkin desu -yuki

ファルサス城の中庭は、季節によっては薔薇で真紅に染まる。
それは、現王オスカーの曽祖父たるレギウスが、当時の守護者であった魔女のために植えたもので―――― 今も王妃となった彼女の目を、密やかに楽しませている。



「レギウス様ってどのような方だったんですか?」
友人からの無邪気な問いに、ティナーシャは読んでいた本から視線を上げた。鏡の中、自分の髪を結ってくれているシルヴィアを見返す。
「どんなって……馬」
馬鹿、と言いかけてティナーシャは口を噤む。
いくらそれが事実でも、また相手が友人であるシルヴィアであっても、レギウスはかつての王で一応敬意を払われるべき存在だ。あまりにも不遜な印象を今の臣下たちに抱かせるべきではないだろう。
そう思い直したティナーシャに、鏡の中のシルヴィアは首を傾げた。
「ば?」
「いえ……なんでもないです。レギウスは……ちょっとあれですよ、オスカーより精神年齢が二十歳ほど若いというか」
「陛下は今、二十二歳になられたばかりだと思うんですが……」
「頭が足りないというか」
「ティナーシャ様、はっきり仰りすぎです!」
気遣ったつもりなのに逆効果になった。
ティナーシャはこめかみを押さえかけて、しかし髪を結われていることを思いだし手を止めた。代わりに本のページをめくる。
劣化防止をかけられた古い歴史書は、暗黒時代を取り扱った一冊だ。ファルサスの名も散見されるその本には、アカ―シアにまつわる武勇伝もいくつか記されていた。ファルサス王自らが魔女討伐を行ったとの記述に、ティナーシャはどうしようもない血統を実感する。
「なんというか……ファルサス直系は、大体駄目なんですよね」
「大体駄目……」
「レギウスも割と駄目でしたね。可愛げはありましたけど」
「可愛げ、ですか」
「オスカーにもあると言えばあるんですが、基本的に腹立たしさがそれを上回ります」
四百歳以上年下の夫をティナーシャがそう結論付けると、シルヴィアは困惑顔になってしまった。
もはや最初の気遣いなど微塵もない。気遣っても無意味だということに気づくのが遅かった。

開き直って読書に戻る王妃と、無言になってしまった臣下。珍しくもない日常の光景に、新たな一人がやって来る。
髪に飾る為の薔薇を摘んできたパミラは、部屋に入るなりシルヴィアの縋るような視線を向けられ、きょとんとした。
「シルヴィア? どうかしたの?」
「ああ、大したことじゃないんですよ。レギウスについて聞かれたものでちょっと」
「……そうでしたか」
臣下である女の目に納得の色が浮かんだのは、以前にもレギウスについて少し話したことがあるせいだろう。
ティナーシャにとって生粋のファルサス人である他の臣下たちより、パミラには言えることも多い。
結果として先程の話よりもずっと切ない歴史の現実を聞いていた彼女は、曖昧に笑って話題を逸らした。
「レギウス様も名君で知られていらっしゃいますが、今の陛下の方がティナーシャ様とは相性がよろしかったのでしょう」
「そ、そうですよね! ティナーシャ様、陛下のどこが気に入られたんですか!?」
「ええ……?」
息を吹き返したシルヴィアの好奇心に、ティナーシャは再び顔を上げる。
王妃である魔女は、鏡の中に親しい二人の顔を見て―――― 再び手元に視線を落とした。
端的な結論を口にする。
「強いところ、ですね」
「え? そんなとこですか……?」
「あの人の性格は結局、全部そこに結びついて出来てるんですよ」

例えばそれは、魔女に相対することの出来る自信だ。
そして寛容さ、揺るぎない優しさ。
怯まぬ毅然も深い愛情も、みな彼の強さと繋がっている。
そうであることを選び取った意志でさえ、また同じだ。
ティナーシャは、淡々と本の中の文字を追う。
「―――― 強いから、私みたいのを拾ってしまうんです」

ファルサスの中庭に咲く赤い薔薇。
それはまるでティナーシャ自身であるようだ。
歴史の上にぽたりと落ちた、血のような染み。
忌まわしくもあるそれから、だがオスカーは目を背けない。棘にも構わず手を伸ばそうとする。手折って慈しもうとする。
それは彼がひとえに、強い人間であるからなのだろう。



ティナーシャは鏡の中の友人たちを見上げて微笑した。
「とは言え、そのおかげで今あなたたちとこうしていられるんですけどね」
「ティナーシャ様」
「折角なので、次代はちゃんと教育します」
ぱたんと、音を立てて本を閉じると、ティナーシャは目を閉じた。髪に挿しこまれる薔薇の香りを嗅ぐ。
―――― 今のこの暮らしをレギウスが知ったら、彼は何と言うだろうか。
想像しかけて、だがすぐにティナーシャは他愛もない夢想を打ち消した。淡い郷愁を飲みこんで笑う。
「オスカーには今の話、内緒ですよ」
「かしこまりました」
「ところでこの本を信じるなら、ファルサス直系って暗黒時代から酷いんですが」
「きっと誇張されて伝わっているのでしょう」
「そうかなあ!」
「そうです。多分」
パミラの言葉に後押しされて、ティナーシャは再び歴史書を開く。
平穏な空気、温かな時間は七十年前と変わらず―――― 妃となった魔女はそうして己の幸福を噛みしめた。