雨露の匂い

mudan tensai genkin desu -yuki

雨の降り始めは、熱され乾ききった土の匂いがむっと沸き上がってくる。
その匂いが青臭さを含んだ水の匂いに変わるまでの間、雫は自分の前髪から滴る雨露をわずらわしげに払っていた。かん、かん、と鳴る音を聞きながら、目前で同じく濡れている夫に問う。
「これって、雨天中止とかにならなかったんですかね」
「無理だね。風邪を引かないように気をつけた方がいい」
「と言っても、こっちの世界、傘とかないですし……」
雨避け用の外衣ならあるが、そんなものを羽織っていては動きにくいことこの上ない。ずぶ濡れになっている今も十分動きにくいが、その辺りは我慢すべきことだろう。採掘用のツルハシを手にした雫は、周囲の森を見回した。改めて自分が掘っている石床を見る。
「あの、ここで採掘してる意味はあるんですか? 私たち、魔物の調査に来てるはずですよね」
「うん。今までその魔物を目撃した人間が、採掘夫ばかりだからっていう理由だからなんだけどね。
 単にこの辺りの鉱脈って、濡れていると鉱石が光って見えやすいんだ」
「あー、だからひょっとして、みんな雨でも採掘するって訳ですか」
「そう。と言っても、採掘することもある、ってくらいらしいけどね。どっちかと言えば、指揮を執ってる人間の好みじゃないかな」
「…………」
かん、かん、と音が鳴っている。
先ほどから規則正しく―――― むしろ速まってきている音の主を、雫は振り返った。溜息をつきたい気分を、現実が一瞬で乗り越える。
そこで嬉々としてツルハシを振るっているのは、ファルサス現国王ラルス・ザン・グラヴィオール・ラス・ファルサスだった。

ファルサス王宮にて、問題人物リストを作るならまずその筆頭に上がるのが城の主であるだろう。
人の嫌がる顔が大好きなファルサス国王は、しかし今回は「臣下を雨に濡らしてみたい」というより単に「自分が採掘してみたい」という気持ちで動いているようだ。
いい音をさせてかんかんと石床を掘っているラルスは、誰も聞いていないのに薄灰色の地面について語り始めた。
「この石床なー、大昔の『迷宮』の一部が露出したものらしいぞー、だから貴重な鉱石が混ざってるんだと」
「迷路なんですか!? それ崩落しちゃわないんですか?」
「君の思っているのとちょっと違うと思う。魔法仕掛けの地下要塞のことだ」
「へー……」
言われてみても、なんだかよく分からない。
雫は惰性でツルハシを振り上げた。―――― その時、森の中からがさがさと物音が聞こえる。彼女はそちらを振り返って、ぽかんと口を開いた。
「……なんかいる」
「出たか魔物!」
「魔物、っていうか……」
森の草陰から覗いているのは、雫の膝くらいまでしかない小さな泥人形だ。つるりと丸い頭には目口らしき穴が穿たれており、手には小さなツルハシを握っている。
おどおどと窺うように彼女を見上げてくるその姿は、妙な愛嬌があった。
雫は泥人形を見たまま固まる。
「か……」
「か?」
「可愛い!」
「可愛い?」
「可愛いけど、可愛いってことは私を騙そうとしているってことですよね! もう学習した! もう騙されない!」
「君も最初から比べれば大分世間ずれしたよね。行きすぎてる気もするけど」
「よし、人参娘それ捕まえろ」
「了解でっす!」
ツルハシを投げ捨てて駆けだす女と、あわてて草の中を逃げ出す泥人形。
雨の中の二人の追いかけっこは、その後どんどん泥人形の大きさが増していく大乱闘にまで発展したのだった。
―――― 後日の調査で泥人形は、迷宮が外殻補修のため自動発生させているものと判明した。