醒めない夢

mudan tensai genkin desu -yuki

魔力はその大部分魂に起因し、魂は生物を構成する部分だ。
それらは生きている限り不可分で、だからこそ魂に体が引きずられることもままある。
強い魔力を体に宿し、それがゆえ人より長い睡眠を必要とする魔女はその日、前日までの城都結界張り直しの反動で、昼を通り越して夕方まで眠りについていた。
それでも起きない妻を、休憩に戻って来たオスカーが覗きこむ。
「いつまで寝てるんだ……そんなに疲れたのか?」
寝台に座って王は手を伸ばすと、彼女の顔にかかる髪をかきあげた。芸術品めいた美しい貌が露わになり、眉間に軽く皺が寄る。
だが、ティナーシャに変化が見られたのはそれだけで、まったく起きる様子はない。僅かに寄せられた眉もすぐに戻り、安らかな寝息で肩が上下した。
すっかり安心しきったその様子に、オスカーは嬉しいようなつまらないような、単純ならざる感情を抱く。
―――― いい加減起こそうかと思ったが、疲れている時くらい寝かせておいた方がいいのかもしれない。
普段は眠たがる彼女をきりのいいところで起こしてしまうことがほとんどなのだ。
オスカーは妻を起こさずして諦めると、寝台から立ち上がった。部屋を出ていこうとしていたところで、背中に魔女の声がかかる。
「どんな夢を見てるか、知りたくない?」
「別に。というか寝室にまで勝手に入ってくるな」
「夜は入らないわよ?」
当然のように笑うルクレツィアに、オスカーは溜息をつきながら振り返った。
いつの間にか寝台の、彼がいた場所と同じところに座している魔女は、ティナーシャの額に手を触れさせている。
その仕草を見てオスカーは熱があるのかと心配したが、どうやらそうではないらしい。ルクレツィアは反対側の手で彼を手招いた。
「ほら、夢の中に入れてあげるから」
「いいというのに。後で俺が怒られる」
「興味ないの?」
「多少は。でも勝手に知る気はない」
「つまんない男ね」
呆れたような感想は、すっかり聞き慣れたものだ。
オスカーは妻の悪友に軽く手を振った。
「とにかく、俺は執務に戻る。あまり悪さをするなよ。あとそいつは寝かせておいていい」
「これ以上寝かせると顔がむくむから、適当に起こすわよ。もう魔力も回復してるし。ただ寝てるだけだし」
「そうなのか?」
「そう。……じゃ、また後でね」
ルクレツィアは嫣然と笑ってティナーシャに手を伸ばす。
その横顔は姉が妹を見るような、情に満ちたものだった。


魔女の戯言など信じていたわけではないが、オスカーが執務室に戻って一時間ほどした頃、妻である女は欠伸をしながら訪ねてきた。
ティナーシャは軽く目をこすりつつ彼の膝上に収まる。
「ルクレツィアに起こされました……」
「さっき来てたな。あいつは自由過ぎて困る」
本来なら王の寝室に侵入されることなど、あってはならない。
だが、彼女相手にそれを言っても無駄だろうし、構えばかえって面倒なことになるだけだ。ティナーシャは「すみません」と謝ると、また小さく欠伸をした。
「そういえば、昔の夢を見ていました」
「…………」
「貴方が塔を上ってくる前の辺の夢です。リトラと二人、塔で暮らしていて、一日本を読んだり研究したりしている、そんな夢でした」
「そうか」
「すごく平和でした。今から比べると嘘みたいです」
「今は毎日俺が振り回しているからな」
結婚前と比べれば彼も大分落ち着いてはいるが、出会う以前の彼女の暮らしからすれば激変もいいところだ。
ティナーシャはそのことをどう思っているのか、気にはなるが聞くのは少し躊躇われる。内心を隠して微笑むオスカーの胸に、魔女は寄りかかると闇色の瞳を向けた。
悠久を見てきた双眸が、嬉しそうに細められる。
「平和な夢でしたけど―――― 今の現実の方が、夢みたいです」
幼い少女のように、絶望を忘れえぬ老婆のように、魔女は静かに微笑する。
そこに潜む感情は、彼には理解しきれぬ何かだ。オスカーは底のない年月に息を詰めかけて、だが我に返ると妻を抱き寄せた。拭えぬ記憶に重ねるように、白い額に口付ける。
「そう言われると嬉しいな」
「前より苦労もしてますけど」
「起伏に富んでていいだろう」
「物は言いようですね……」
まだ覚めきらないのか、ティナーシャは男にもたれかかると目を閉じた。
安らいでいるようなその表情にオスカーは安堵して―――― だが、現状に気づくと彼女の頬をつねる。
「待て、寝るな。起きてきたんだから寝るな」
「だって眠い……」
「本当にこっちが夢くらいの割合で寝てるぞお前。もっと現実を生きろ」
「明日から頑張ります」
やる気のない王妃は執務机に顔を伏せると、また寝息を立て始める。
安らいだ日常の一日。窓から見える夜空には、青い月が浮かんでいたのだ。