金目のもの

mudan tensai genkin desu -yuki

普段は森の奥に住み、二つ名自体も「閉ざされた森の魔女」と呼ばれる彼女は、しかしその名とは裏腹に人前に出ることが少なくない。
勿論、魔女の名を出して衆目を集める訳ではなく、単なるお忍びの外出としてである。
その辺りは、普段塔に引きこもっている別の魔女などから言わせれば、「好んで騒動を振りまきに行っている」ということになるのかもしれないが、ルクレツィア自身はそんなつもりは一切ない。
ただ彼女は他の魔女とは違った意味で―――― 人間が好きなのだ。

ファルサス東部にある小さな農村は、その日久しぶりの結婚式により昼から盛り上がっていた。
すっかり日が落ちかけた夕暮れ時、ふらりと村を訪れたルクレツィアは、季節外れのお祭り騒ぎに目を細める。
「ひょっとして、いい時に来た?」
「そうさね!」
明るい声で返してきたのは、酒瓶を手に鼻歌を歌っていた壮年の男だ。
普段は真面目な農夫であるのだろう。よく日に焼けた男は、村の入り口に立っているルクレツィアに大きく手を広げてみせる。
「今日は村長の娘の結婚式があってね。あんたは旅人かい?」
「ま、そんなところかしら」
「ちょうどいい時に来なすったよ! 振る舞い酒はあるし、宿が必要なら村長の家に行けばいい。
 ―――― ほら、あっちの方だよ」
そう言って男が示す先の広場では、篝火が煌々と焚かれている。
素朴な旋律の祝い歌が聞こえてくるそこを、ルクレツィアは嫣然と微笑んで眺めた。
「それは……面白いじゃない」
人間嫌いな友人が聞けば「帰りましょう!」と即言われかねない呟きは、誰の耳に入ることもなく夕闇の中に消える。
ルクレツィアはそうしてこの日、ある名前のない村で一晩を過ごすことにしたのだった。

彼女が広場に行った時には既に、花婿たちの姿はそこにはなかった。
なんでも話を聞くだに、結婚式の晩、この村では花婿と花嫁は、それぞれ別の部屋で過ごすしきたりなのだという。
花婿は主神ディテルを祀った部屋に、そして花嫁は神妃ルーディアを祀った部屋に、式の後から篭っているという話を聞いて、ルクレツィアはあっけらかんと言い放った。
「それ、何か意味があるの?」
「神さんみたいに仲睦まじく過ごせるように、ってことさ」
「へえ」
神を祀ったところで、何の恩恵もないことを魔法士のルクレツィアは経験上知っている。
知ってはいるが、人々にとってはそれも大事な儀式の一つなのだろう。
人々が囲んで踊る篝火を見ながら、広場の隅のテーブルについている彼女は、向かいに座る男から酒を注がれて視線を戻す。
「あんたは魔法士かい? 魔法士ってのは小難しい理屈をこねるもんなんだろ?」
「そういうのもいるわね。私はもっと物分りがいいつもりだけど」
「この村はどうだい? あんたの目から見て」
小さな村の人間からすると、魔法士は得てして大きな街に住む知的存在という印象が強い。
その為に入れられた探りを、ルクレツィアは正直な感想で返した。
「素敵」
「ならよかった」
ほっとした男の表情に、少しの苦味が見えるのは気のせいではないだろう。
先程から彼女の相手を務めているこの若い男は、篝火が作る影を遠い目でしばしば見つめていた。
憂いの窺える横顔を何度か見ていたルクレツィアは、悪戯っぽく微笑む。
「気に入ったから、面白いものをあげるわ」
―――― 指を軽く鳴らす。
そうしてテーブルの上に現れたものは、小さな金色の盃だ。
中には透明の液体がなみなみと湛えられている。
無詠唱での魔法に驚いていた男は、我に返ると美しい女を見返した。
「なんだこれ、酒か?」
「そうね。薬でもあるけど」
「薬?」
「失った恋を忘れる薬よ」
男の目に、明らかな狼狽が映る。
それを指摘することなく眺めていた魔女に、彼はややあって苦笑を見せた。
「わかるもんか?」
「分かるわね。分かりやすすぎ」
誰が聞いているか分からぬ場で、具体的なことは言えない。
だがルクレツィアの目には、この男が今夜の花嫁に、ひとかたならぬ想いを抱いていたことは明らかに見えた。
彼女は金の盃を男の前に押し出す。
「飲めばいいわ。楽になれる。神を祀るよりよっぽど確実よ」
いずれは薄れていく想いを、今薬によって消し去る。
それは彼女にとって別段難しいことではない。精神など、脆い泡沫に過ぎないのだ。男は息を飲んで、透明の薬を注視した。
村人たちの歌う調子外れの歌が、二人の間を流れていく。

数秒の間は、一晩に等しい重さを含んでいる気がした。
小さな溜息が落ちる。男は顔を上げると、首を横に振った。
「……いや、やめておく」
「そう? ちゃんと効くけど」
「自分でなんとかするさ。そういうものだろ」
「そうね」
ルクレツィアはにっこり笑うと、おもむろに盃を手にとった。その中身を一息で飲み干す。
そのまま唖然としている男に向かって、空になった金盃を軽く放った。
「じゃあ、いい子にはそれをあげる。本物だから好きに使うといいわ」



人が好き、というと、他の魔女たちは大体が渋い顔をする。
今まで彼女が起こしてきた騒動を思って、そういう反応をするのだろう。
だが自らの力の強大さを気にし、人から遠ざかった魔女たちと違って、自分は充分にあらゆることを楽しんでいるとルクレツィアは思う。
歌って踊って酒を飲んだ翌朝、ふらりと村を出た彼女は大きく伸びをした。
「さーて、次は何処に行こうかしら」
気紛れな魔女は、足跡を残さず転移して消える。
永遠を楽しむ旅路に退屈はない。
彼女は人に触れ、いつもそのことを思い出すのだ。