指輪

mudan tensai genkin desu -yuki

白く壮麗な城を外から見上げたことは、思えばここ数年ほとんどなかった気がする。
一生のうちの大半の期間、自分の居場所であったそこを、ラザルは目を細めて振り返った。
日の光を受けて輝いて見える城は、まるでこの国を象徴する希望そのものにも思える。
規則的に並ぶ一つ一つの窓の先に、どのような部屋があるのか、彼には考えずとも手に取るように思い出せた。
この場所で生きてきた時間が、色鮮やかに胸へと迫る。
「……もう戻ってこない訳でもないだろうに」
無意識のうちに滑り出た言葉は、それを耳にした彼自身に不思議な郷愁をもたらした。
城から完全に去るわけではない。ただ自分自身にちょっとした区切りがきていることは確かだ。
転機という程でもないささやかな変化。ラザルは懐にしまった小さな袋のことを思い出す。



家を継がなければならない、という重圧は、さほど重いものでもない。
彼の両親は幸い、自分の息子にそのような期待をかけてはこなかった。
それよりも王の為に生きろと、彼のことを自由にさせてくれていたのだ。
だから、王の子たちもすっかり大きくなった今になって結婚を考えたのも、別に家を継ぐ為のものではない。
ただ王の子たちがやんわりと心配してくるのが嬉しくて、親に紹介を頼んでみただけだ。
それを聞いた王は「お前の好きにしろ」と笑っていた。
お互い、年月が経ったのだと実感した。



壮麗な姿を佇ませる城は、遠目からでも眩しい程だ。ラザルは白い城壁に背を向けて歩き出す。
―――― かつてはよく、城門の外から城を振り返ることがあった。
当時は奔放が過ぎて何処にでも行ってしまう主君に引きずられ、城を抜け出して出かけることが度々あったのだ。
その度にラザルは「早く帰りたい。こんなことはこれで最後にしたい」と思っていたのだが、今思い返すと無性に温かく懐かしい。
彼が城を脱走する王の子供たちに、あまり強く出られないのも、この手の感傷が関係しているのだろう。
ラザルは人通りの多い道を、己の生まれた屋敷に向かって歩いていく。

「ずっと友達でいよう」と誓った幼い日のことを、王は覚えているだろうか。
忘れるはずがないとは思う。それは、共有する思い出が得難いものだからというよりは、単純に主君が頭のよい人間であるからだ。
だからきっと覚えているだろう。お互いに子供が生まれたなら、その子同士も友達になれたらいいと語っていた。
その約束を果たすには時間が経ちすぎてしまったが、結局はこれでよかったのだと、ラザルは思っている。
彼は懐から小さな袋を取り出した。
城を出る時に王女から渡されたそれは、感触からして小さな指輪が入っているようだ。
「父様から」と笑っていたフィストリアは、外見こそ故王妃そのものだが、中身は父親によく似ている。
その彼女に預けられた指輪は「妻になる女に渡せ」という意味合いなのだろう。
ラザルは袋の上から金属の円をなぞると、それを再び懐にしまった。
言葉に出来ることは多くないと、とうに分かっていた。






「それで、いつ式を挙げるんだ?」
「来月中には。小さな式にするつもりですが」
家の紹介で会った女性は、目立ったところはないが、気性が穏かでよく気のつく性格の持ち主だった。
自分には勿体無いくらいの相手であると、ラザルは思う。
もはや燃え上がるような恋をする年でもない。仮にもっと若くとも、自分がそのような激情に突き動かされることはないだろう。
そんなことを考えつつ主君に報告していたラザルは、けれどふと、ある昔の出来事を思い出した。ほろ苦い表情の王と目が合う。
オスカーは小さく頷いた。
「そうか。ならよかった」
「……もしかして、今まで気になさっていたのですか」
「まぁな」
―――― そんな昔のことは、彼自身すっかり忘れていた。
ずっと昔、彼らがまだ若かった頃、ラザルは一度だけ主君の意に背いて、或る人外の女に己の命を与えようとした。
それで死んでも構わないと思って―――― けれど結局は、オスカーの手によって阻まれたのだ。
ラザル自身、年月が経ってそのようなことをすっかり失念してしまっていたが、オスカーはずっと覚えていたのだろう。
この主君は、普段表には出さないが、芯には繊細なところを持っている。
或いはそのことを知っているのは、ラザルだけなのかもしれない。
彼は泣き出したい気分で微笑んだ。
「それは……ご心配をおかけしました」
「俺が勝手に覚えてただけだ。掘り起こして悪かった」
「いえ。ありがとうございます」
深く頭を下げて、目を閉じる。顔を上げずとも、オスカーがどんな表情をしているのかはよく分かった。
積み重ねた思い出が胸を満たす。

―――― 自分は間違いなく幸福な一生を送っている。
そういつの時でも、迷いなく言い切れることが嬉しかった。