峰打ち

mudan tensai genkin desu -yuki

傾いた木の机に置かれたものは、この街の地図だ。
仲介人が差し出してきたそれに、アージェはざっと目を通す。
いくつか印が打たれているのは探索候補の場所だろう。少年の域を脱しかけた青年は、依頼の内容を確認した。
「で、その男を適当に痛めつけて連れてくればいいわけか」
「そうだ。殺さぬように。あまり重傷も困る。魔法士を雇わなければならなくなるからな」
「難しそうだな」
―――― 傭兵として一人立ちしてからまだ一年も経っていないが、このように面倒な仕事を頼まれたのは初めてだ。
アージェは鞘に入ったままの愛剣を見下ろす。今は亡き男からもらったそれは、言葉を繕わなければ「殺す為の代物」だ。相手に触れたならまず重傷は免れない。
何か別の得物を調達すべきか、悩んだ彼に気づいたのか、仲介人の男は背後の木箱を振り返った。そこから一振りの剣を取り出す。
「これを使えばいい。貸してやる」
「何これ」
鞘ごと受け取った剣を確かめると、中に収められていたものは細身の直剣だった。
片刃の剣身を、アージェは触れて確かめる。
「あー、なるほど。刃のない方を向ければいいってわけか」
「心して使え」
端的な指示に頷いて、アージェは試しに剣を構える。そのまま刃の背を以って、目の前にあった椅子を薙いでみた。
大きな音を立てて、簡素な木の椅子は床に乾いた木片を撒き散らす。
座面が割れ、もはや椅子としては機能しないそれを、二人は無言で見下ろした。
仲介人の男がややあって釘を刺す。
「……あまり重傷も困る」
「あ、うん。分かった」
刃の背であっても、加減は必要らしいということは分かった。



傭兵として若輩である自分が上手く仕事をこなしていく為には、二つのことが重要だとアージェは考えている。
一つは依頼自体をよく吟味すること。そしてもう一つは、必要以上に依頼主の事情に踏み込まぬことだ。
だから今回も、彼は自分の追う男がどのような理由で手配をかけられているか、詳しいことまでは聞いていなかった。
ただ婚約にまつわるごたごたがあったらしいとは、仲介人から聞いている。
頭の中に叩き込んだ地図を元に、三つ目の廃屋に足を踏み入れた彼は、暗がりに蹲っている男に気づいて剣に手をかけた。仲介人に聞いていた言葉をする。
「―――― 子供の約束を忘れたか?」
問題の男であれば、必ず反応すると聞いていた問いかけは、アージェが予想した以上の変化を相手に生み出した。
男は飛び上がると、顔の前で必死に両手を振る。
「ち、違う。本当は結婚するつもりなんてなかったんだ。ただ何となく雰囲気で言っちゃっただけで……」
「…………」
どうして適当に痛めつけて、殺してはいけないのか。
別に知りたくもなかったのに分かってしまったアージェは、何とも言えない微妙な気分を味わった。堪える気もない溜息をつきながら、借りた剣を抜く。その刃が外からの光を反射して、男はびくりと身を竦めた。
「ひぃ」
「じゃ、痛めつけるから」
「ひぃぃぃぃいい」
四つ這いになって逃げ出そうとする年上の男に呆れながら、アージェは無造作にその後を追った。
刃の背を男の上に振り下ろそうとして―――― だが思いなおすと、それを近くの木箱に向かって振るってみる。
人が入れるくらいの大きな箱は、予想通り耳障りな音を立てて真二つに割れた。立ち込める埃に、男は涙を滲ませて咳き込む。
「た、たすけてー」
「……これやっぱ背骨とか砕けそうだよな。刃があるなしの問題じゃないだろ」
「殺されるううううう」
じたばたと暴れる男の足を、アージェはとりあえず踏みつける。
借り物の剣は使えないとして、どう痛めつければいいのか。彼は手袋を嵌めた左手を一瞥した。
だが、このようなところで異能を使う気には到底なれない。
アージェは少し悩んだが、あっさりとした結論に至ると頷いた。
「よし、殴ろう」
「え、ちょ、ちょっと」
「骨や内臓は痛めないようにする」
男の襟首を掴んで、アージェは無理矢理に立たせる。
そうして拳を握った青年を見て、男は蒼白の顔を左右に振った。
「ま、待って……」
「いや、仕事だから」
「誰しも人の期待を悪気なく裏切ってしまうことはあるじゃないか! 君にだってあるだろう!」
「…………」
男の言葉は―――― 他意のない指摘ではあったが、アージェにある少女のことを思い出させた。
白金の髪が印象的だったかつての友人。今はもう会うことのない少女の青い瞳を、彼は思い出す。
やり場のない苛立ちが、腹の底から湧きあがってきた。
アージェの据わった目に、男はたじろぐ。
「あの、ちょっと」
「……歯、食いしばっとけよ」
「え、そんな、どうして」
「依頼だから」
とは言え、拳に仕事への義務感以上のものがこもっているのは確かだ。
それ以上の嘆願を聞かず右腕を振りかぶったアージェは、そうして多少の鬱屈を得て、ちょっと変わった依頼を無事成功させたのだった。
後で仲介人からは「どれだけびびらせたんだ」と言われて報酬を上乗せされた。